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第237話 扇動

 (ゼノス視点 一人称)


 魔界から無事に帰還した俺は、一日の締めくくりに夕食を済ませ、今はリーリアとヴィオレッタを伴って風呂に浸かっている。


 浴室には高価な香油の香りと、顔を上気させる熱い湯気が充満していた。

 揺れる水面に反射する魔導灯の光が、二人の裸身を妖しく、しかし神々しく照らし出している。


 俺は湯船に深く身を沈め、肩まで浸かった。

 どっと押し寄せる疲労が、お湯の中に溶け出していくような感覚……。


「それで、魔人オルカスの軍勢はどうなりましたの?」


 ヴィオレッタが、濡れた髪をかき上げながら問いかけてきた。

 その瞳には、救出された安堵の裏側に、まだ拭いきれない不安の影が揺れている。


 俺は目を閉じ、湯気に包まれながら答えた。


「ああ。エレノアとリリアーナが協力して展開した結界に恐れをなし、攻め込むのを断念したらしい。軍勢もすでに解散したようだ。――まあ、まだ油断はできないが、しばらくは衝突することもないだろう」


 あの姉妹が張った「聖域」の効果は絶大だ。


 魔物や魔人が持つ「闇属性の力」を強制的に半減させる。

 それは魔力に対してだけでなく、身体能力そのものにまで悪影響を及ぼすという。


 ルシフィールを捕獲しようと躍起になっていたオルカス軍も、あの物理的な「聖域」の前では引き下がるしかなかったわけだ。


 これから魔界では、魔人たちの間で熾烈な実力者決定戦が行われることになるはずだ。


 そこで勝ち残った者が代表となり、改めて魔王城に矛先を向けてくるだろう。

 だが、実力者が徒党を組んで押し寄せてくるよりは、個別に対応する方が間違いなく楽だ。


 しかも、こちらは神聖結界付きの城。

 味方の魔人の力も落ちてしまうが、結界の影響をほぼ受けない、天使の血を引くルシフィールが健在なのが大きい。


 ゲームのシナリオ通りなら「ルシフィールはオルカスに敗北する」という展開が有力だが、今回の情勢の変化によって、その結界が勝敗の行方を分からなくさせていた。


「……あの雌豚も、たまには役に立つことがあるのですね」


 エレノアのことをなぜか――いや、理由は察しているが――激しく嫌っているリーリアが、鼻を鳴らして辛辣な感想を漏らす。


 その不機嫌そうな吐息が、白い湯気に混じって消えていった。


「こら。あまり人の悪口を言うものではないぞ」


 俺は彼女の、湯船から覗く赤い蕾を指先で軽くつねって、仕置きを加えた。


「んっ……あぅ……! 申し訳ありません、ご主人様……」


 リーリアはすぐさま顔を真っ赤にし、殊勝な反省の表情を浮かべたので、今回はそれで許してやった。指先に残った弾力ある感触を楽しみつつ、俺は再び湯船に深く身を沈めた。



 ***


 春の訪れと共に、庭の木々もいよいよ瑞々しさを増している。

 校庭の桜は満開を過ぎ、風が吹くたびに淡いピンクの花びらが、まるでお祝いを拒むように地面を覆い尽くしていた。


 学校は今日から新学期を迎え、俺は最高学年へと進級した。


 この春に挙行された卒業式は、まるでお通夜のような惨状だったらしい。


 無理もない。

 次期魔王の手先を名乗る魔人に王国騎士団が蹂躙され、あまつさえ「光の聖女」と名高いエレノア王女が連れ去られたのだ。


 国全体が意気消沈し、冷たい灰を被ったようになっている中、盛り上がれるはずがなかった。


 それでも貴族の意地を懸けて、恒例の卒業ダンスパーティだけは執り行われたようだが、音楽すら空虚に響いていたことだろう。


(……バルトロメウスには、悪いことをしたな)


 彼の婚約者を奪い去ったばかりか、一生に一度の卒業式まで台無しにしてしまった。形ばかりの申し訳なさは感じる。


 だが、後悔は微塵もない。


 エレノアを強奪せずに、指をくわえて彼女の結婚式を眺めているか。

 あるいは奪うか。


 その二択であれば、俺には「奪う」以外の選択肢など、最初から一ミリも存在しなかったのだから。



 ***


 今年度の生徒会長は、リアム王子が務めることになった。

 実績も人望も申し分ない、これ以上なく妥当な人選と言えるだろう。


 彼ならば、揺れる学園をそつなくまとめ上げてくれるはず――。


 そう楽観視していたのだが、実際に登校してみると、どうにも学園内の様子がおかしかった。


 廊下ですれ違う生徒たちの挙動が、皆どこか「ぎこちない」のだ。

 誰かと目が合えば即座に逸らされ、あちこちで小声の私語が波のように広がっては、俺の接近と共に不自然に途切れる。


(まあ、無理もないか……)


 王都のど真ん中に魔人が現れ、王国サイドは手も足も出せなかったのだ。


 いつ黒幕のオルカスが本格的に攻めてくるかも分からない。

 そんな極限の状況下で、誰もが不安に苛まれ、頼れる拠り所を見失っていた。平和の象徴だった学園は、今や疑心暗鬼の苗床に変わり果てていた。



 ***


 俺が教室へ向かって歩いていると、中庭に異様な人だかりができているのが見えた。


 中心からは、一人の生徒の張り上げた演説が響いている。


 どこかで聞き覚えのある、癪に障るような高音。

 足を止め、物陰から様子を伺うと、そこにいたのはルシアン・ヴァイスブルクだった。俺より一学年下の、伯爵家の息子だ。


 かつて俺が、身の程を教え込んでやったオーギュスト・カストルの不良グループ、その一員である。


 主犯格であるカストル侯爵家のオーギュストと、子爵家のレオニードはすでに卒業している。


 俺に痛めつけられて以来、三人揃って引きこもっていたはずだが、ルシアンは再び登校を再開したようだ。しかも、あろうことか、怯える生徒たちを煽動するような不穏な演説まで行っている。


「……白い悪魔の襲来に対し、王家は無力だった! 騎士団はなす術もなく、光の聖女はか弱く連れ去られ、そしてリアム王子は現場に駆け付けることさえしなかったのだ! あの男は臆病にも戦場から逃げ出し、王宮の奥で震えていた! 今回の失態は、王家の信仰心が薄れていることによる天罰、人災だ! 再び魔人が攻めてきたら君たちはどうする!? 王家はもう頼りにならない! 先日、我が父に神託が降りた! 魔人の襲撃に対し、唯一頼りになるのはカストル侯爵家だけであると!!」


(……そういえば、あいつの親父は教会で高位の神職を務めていたな)


 政情不安を巧みに利用し、生徒たちの不安を燃料にして、カストル侯爵家の声望を不当に高めようという工作活動だろう。


 ついでに、いずれ敵対する予定であろうアースガルド王家の評価を、今のうちに地の底まで貶める。


 一石二鳥の、悪辣で狡猾な煽動だ。


(ルシアンは三人の中では大人しく気弱な印象だったが、一人でこれほどの行動に出るとはな。……まあ、裏で親から命じられたんだろうが)


 俺が目立たぬよう物陰から様子を伺っていると、そこへリアム王子一行が姿を現した。春の心地よい陽気とは裏腹に、その場の空気は一気に凍り付く。張り詰めた沈黙の中、ルシアンの嘲笑うような声だけが、静かに響き続けていた。

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