第235話 予期せぬ展開と打開策
(王女エレノア視点)
姉妹の再会。
張り詰めていた糸が切れ、涙を流し、互いの体温を確かめ合うように寄り添い合った二人がようやく落ち着きを取り戻した頃、一人の男が静かに彼女に声をかけた。
「どうやら、無事に目覚めたようだな」
ゼノス・グリムロックだ。
彼を見た瞬間、エレノアの心臓が早鐘のように激しく波打った。
(なぜ、あの男がここに……?)
しかし、王女としての矜持が、動揺を顔に出すことを許さない。
彼女はそれを悟られぬよう必死に平静を装い、震えそうになる唇を引き結んで問いを投げかける。
「ここは、どこだ。空気の重さが違う……。私はなぜここに……。あの『鋼鉄の魔人』ガダームはどうなった?」
「ここは魔界の魔王城だ。リリアーナ姫はここに匿っていた。――お前が『鋼鉄の魔人』に攫われた後、俺たちで救出したんだ。あの魔人は仕留め損ねたが、ここにいれば手出しはできない。安心しろ」
エレノアは絶句し、驚愕に目を見開く。
魔界、魔王城。
おとぎ話や伝承の中でしか語られない禁断の地。
「あの魔人から、救出したというのか……」
「ああ。手こずったがな。俺にかかれば、あの程度はどうということもない」
ゼノスは事もなげにそう言い放った。
その表情には、激戦を潜り抜けた疲労の色など微塵もない。
(流石に、それは嘘だろう……。あれほどの怪物を相手に、無傷で?)
あまりの豪語に内心で毒づきつつも、エレノアはそこには触れずに先を促した。
今は、もう一人の安否を確認しなければならない。
「……私だけか? 彼女――ヴィオレッタはどうした」
「ああ、ついでに助けたが、ここにはいない。そこで一つ相談がある。彼女を救出しはしたが、それを公表するわけにはいかない。こうなった以上、俺の方で面倒を見ようと思う。構わないか?」
「……私の、王女としての立場では了承できない。だが、見て見ぬふりはしよう。そもそも、もう処刑どころではないだろう。アースガルド王国の中心地に魔人が現れ、暴れたのだ。世界中に激震が走るぞ」
それを聞いたゼノスは、「えっ? ああ……まあ、そうだよなぁ」と、どこか他人事のように呟いた。
まるで、明日の天気の心配でもしているかのような軽さだ。
直後、さらなる衝撃の事態が室内に舞い込む。
バンッ!!
重厚な部屋のドアが激しくノックされると同時に押し開かれ、一人の少女が飛び込んできた。肩で息をする、メイド服を纏った魔族の少女だ。
「き、緊急事態発生だ! 『オルカス』が魔界の有力者をまとめ上げ、この城に向けて進軍を開始した! すでに敵軍は、この付近まで迫っている! 今後の方針を決定するため、至急ルシフィール様の下へ集合!」
先ほどまで余裕を崩さなかったゼノスの表情が――
一瞬で凍り付き、険しい緊張の色に変わった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(ゼノス視点)
俺は現在、魔界の魔王城にある客室にいる。
窓の外には紫色の空が広がり、不気味なほど大きな月が浮かんでいる。
ここは魔界の姫ルシフィールから提供された、俺専用の別荘だ。
ふかふかのベッドには、攫ってきたばかりの王女エレノア。
傍らには彼女の妹リリアーナと、俺の専用メイドであるミナ。さらに獣人のクーコとルミアも控えている。
クーコとルミアは、子猫と子ライオンの獣形態になり、絨毯の上で丸くなってくつろいでいた。
平和そのものの光景だ。
エレノアが目覚め、リリアーナと感動の再会を果たす。
そこまでは計画通り、完璧に順調だった。
だが、ここで予期せぬシナリオ外の事態が牙を剥く。なんと魔人オルカスが、魔界の実力者たちを束ね、この城へ攻め寄せてきているというのだ。
(……おいおい、嘘だろ。ゲームのイベント進行では、魔人勢力が人間界へ侵攻してくるのは、ノーマルシナリオのクリア後だぞ。今から一年後に世界大戦が勃発し、数年かけて終結、その後の話のはずだ。オルカスがこのタイミングでルシフィールを攻めるのか? 早すぎる……)
ゲームの設定上、オルカスは「魔界の王」として君臨する存在だ。
圧倒的な魔力量と、残虐なカリスマ性。
ゆえに、ルシフィールがオルカスに敗北するのは、いわば歴史の必然、既定路線と言えた。
まともにやり合いたい相手ではない。
ならば、策は一つ。
逃げることだ。
俺は即座にそう判断した。
(しかし、この別荘にリリアーナが引っ越したばかりだっていうのに。エレノアもここで暮らさせる予定だったんだぞ)
人間界に居づらくなったから魔界へ来たというのに、速攻で人間界へ逆戻りしなければならないのは、俺にとっても大きな痛手だ。引っ越しの荷解きも終わっていないというのに。
(ともかく、まずはルシフィールを交えて意見を集約し、方針を決めなければな)
俺はエレノアたちを伴い、重厚な装飾が施された会議室の扉を力強く押し開けた。
***
会議室には、張り詰めた緊張感が漂っていた。
魔界の人口はさほど多くない。
むしろ、人間界に比べれば極めて少ないと言っていい。
魔物が跋扈する過酷な世界で、生存競争を勝ち抜き、進化した個体がいつしか「魔人」と呼ばれる。
魔人は個人主義が強く、徒党を組んで国家を形成することはない。
だが、終わりのない闘争を繰り返し、力による単純明快な序列を構築している。
端的に言えば、一番強い奴が魔王になる――
それが魔界の理だ。
現在、この魔王城には先代魔王の忠実な配下だった者たちが残り、娘であるルシフィールを支えている。
先代の死後、暫定的にルシフィールが魔界の頂点に君臨しているが、各地の実力者たちが覇を競い、勝ち残った者が配下を従えて次代の魔王を名乗るはずだった。
「しかし……オルカスは戦うことなく、他者を率いているようです」
ミュリルが、地図の上に駒を置きながら険しい表情で状況を説明する。
諜報員の報告によれば、オルカスは「まずルシフィールを討伐し、拠点であるこの城を確保した後に、正式に戦おう」と各勢力に呼びかけたらしい。
(姫を排除して拠点を確保した後に、改めて王を決める……か。よくそれで、魔界のアウトローな連中がまとまったな……)
疑問は尽きないが、その背景を解明している猶予はない。
窓の外から聞こえる風の音すら、敵軍の進軍の足音に聞こえてくる。
早急に今後の方針を定めねばならない。
「本来なら、実力者同士が殺し合って勝手に戦力が削られるはずだった。それがないとなると、敵軍の戦力は相当なものになる。……ここは、逃げる一手だな」
俺は率直に、冷徹な意見を述べた。
人間界にある俺の屋敷であれば、地下室や隠し部屋を駆使して、この城にいる全員を収容しても十分に暮らせるスペースがある。
逃げる手段も、その後の拠点も確保されており、人間界にある屋敷までは敵も追ってこれない。
客観的に見れば、それがベストの選択だろう。
(大勢を連れ込めば、当分は屋敷に客を呼べなくなるが……背に腹は代えられないしな。生活費も馬鹿にならないが、資金に余裕はある)
「……たしかに、それが賢明かもしれませんね」
ルシフィールも、黄金の瞳を伏せ、沈痛な面持ちながら異論はないようだ。
だがその時、意外な人物が口を開いた。
「お待ちくださいませ、皆さま。相手が魔人であるならば、とっておきの手がありますわ!」
リリアーナが、小さな身体で一歩前に出ると、えっへんと胸を張って発言する。
その瞳には、強い自信の光が宿っていた。
「わたくしとお姉さまが協力して『聖域』を展開すれば、この城の周囲五キロにわたって、極めて強力な結界を張ることができますわ!」
(ああ、あれか……!)
鋼鉄の魔人を演じた俺に対し、エレノアが放ったあの魔法だ。
俺には「魔封印」があったから全く通用しなかったが、通常の魔物や魔人であれば、これ以上なく効果を発揮する天敵の魔法である。
光属性の結界、その聖域では――
弱い魔物なら弱体化どころか、存在そのものを焼かれることになる。
この窮地を脱するため、「光の聖女」と謳われるエレノアに、その力を振るってもらうことになった。




