第232話 無双する悪党
(王都騎士団長、サー・ガイウス視点)
私は身体能力を底上げする「身体強化」の魔法を全開にした。
血管が浮き出し、筋肉が熱を帯びて膨張する。肺に吸い込む空気は、魔法の代償として焦げ付いたマナの臭いが混じっていた。私は咆哮を上げ、目の前にそびえる『鋼鉄の魔人』ガダームへと斬りかかった。
私の愛用する大剣は、本来ならば大型の魔物すら一撃で両断できる業物だ。
だが、この圧倒的な質量を誇る魔人を前にすると、まるで折れかけの小枝のように小ぶりに見えてしまう。
日光を跳ね返す白銀の装甲が、無慈避な壁となって私の視界を塞いだ。
しかし、攻撃魔法の一斉斉射が無効化されてしまった今、信じられるのはこの手に伝わる確かな感触――長年の相棒である大剣の、ズシリとした重みだけだ。
私はいくつものフェイントを織り交ぜつつ、死角へと肉薄する。石畳を蹴る足に全神経を集中させ、ガダームの足首へ向けて渾身の力で剣を振りかぶった。
(なっ……! これは……!)
その瞬間、私は信じがたい異変に気づいた。
全開にしていたはずの「身体能力強化」の感覚が、掌から、足先から、急速に霧散していく。高まっていたはずの心拍が冷え込み、力が抜けていく。
(……補助魔法まで、無効化するというのか!!)
驚愕が脳を支配し、指先が微かに震える。
だが、一度振り下ろした攻撃の手を止めるわけにはいかない。私は強化を失った生身の腕力だけで、鋼鉄の巨人の足首へと剣を叩きつけた。
ガキィィイイイイイイン!!!
凄まじい火花とともに、鼓膜を劈くような金属同士の激突音が炸裂した。
ヴィオレッタの処刑が行われるはずだった静まり返った広場に、その不快な反響音が長く尾を引く。
「くっ……!」
渾身の一撃を食らわせたはずだった。
にもかかわらず、奴の鉄の身体には、目視できるかどうかの僅かな擦り傷が付いただけ。鋼鉄の魔人は、赤いモノアイを冷酷に光らせたまま、微動だにせずそこに立っていた。
対して、攻撃を仕掛けた私の方は、腕を伝う痺れと強烈な反作用に耐えきれず大きく後方へと弾き飛ばされる。
かろうじて転倒するという無様だけは避けられたが、衆人環視の中で無力さを演じた事実に変わりはない。敵が身動き一つしない無防備な状態でありながら、一方的に斬りつけてノーダメージ。
(……たとえ身体強化の魔法が維持されていたとしても、おそらく結果は変わらなかっただろう)
私の中で、得体の知れない焦りが濁流のように大きくなっていく。
この魔人に対し、有効打を与える攻撃手段が我々には何一つ存在しないのだ。
私だけではない。
この場に踏みとどまっている兵士たちの顔にも、死臭のような絶望が影を落としていた。
だが、それでも我らがここで戦いを放棄するわけにはいかない。
汗で滑る手で何とか剣を構え直した、その時――
沈黙を守っていたはずの敵が、駆動音すら立てずに、ついに動いた。
「お前では、全く相手にならんな」
地響きのような重低音が広場の空気を震わせ、魔人が一歩を踏み出す。
私は反射的に奴の足へと斬りつけたが、剣はあっけなく弾き飛ばされ、私の身体は重力から見放された木の葉のように宙を舞った。
今度こそ踏ん張り切れずに、背中を強く地面に叩きつけられる。
肺から空気が搾り出され、私は石畳の上を無様に転がった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(ゼノス・分体視点)
俺はキラー・マシーン二号機に乗り込み、王国騎士団を蹂躙していた。
伝わるのは、微かな振動と、魔導回路が発する低い唸り声。
騎士団長の全力の攻撃ですら、ドワーフの技術の粋を集めた俺の鋼鉄の装甲には、ほとんどかすり傷一つ付けられなかった。
(……我ながら反則だよなぁ、これ。ちょっとやりすぎたか?)
内心でそんな皮肉めいた独白を漏らしつつも、俺は「お前では、全く相手にならんな」と傲慢に言い捨て、本来の目的を果たすべく歩みを進める。
地面に転がっているサー・ガイウスを誤って踏み潰さないよう注意を払いながら――広場中央の処刑台を目指した。
そこには、公開処刑を目前に控えたヴィオレッタが、縄で縛られたまま立ち尽くしていた。
彼女にはあらかじめ、今日俺が救出に現れることを伝えてある。恐怖で瞳を揺らしながらも、彼女はパニックにならず、逃げずに俺を待っていてくれたようだ。
俺は彼女を巨大なマニピュレーターで優しく、かつ逃げられぬよう力強く掴み上げた。そして、周囲を囲む騎士団や残存する兵士たちへ向けて、増幅された音響で声を張り上げた。
「もう一度言う。この人間界で最も強い者をここへ呼べ。この女は人質だ。連れてこなければ、この場でこの者を殺す」
俺の要求を聞き、騎士たちの表情に微妙な動揺が走った。
そもそも、ヴィオレッタは今日ここで処刑される予定だった存在だ。
しかし、ただ死ねばいいという話ではない。
彼女は王国の法の下、「帝国の王女殺害未遂」という罪状によって、王国の手で裁かれなければならないのだ。
『正体不明の魔人に攫われて殺されました』では、国家としての面子が完全に潰れてしまう。
俺の突きつけた理不尽な要求に対し、ガイウスが泥を拭い、血相を変えて食い下がってきた。
「ま、待て! お前は人間界の強者と『手合わせ』に来たのだろう!? こちらとしても万全の状態で応じるためには準備が必要だ! ここは一旦人質を解放し、引き下がってはくれないか! 戦いの場は後日、必ず用意する。日を改めてくれ!」
(ほう、おかしな条件を付けてきたな……。この場で即座にリアム王子を呼ぶと言わないのか)
決闘を申し込めば、てっきりリアム王子やエレノアを即座に引きずり出してくるかと思ったが。
彼らを戦わせたくない特別な理由でもあるのか?
……そうか。
下手に最大戦力を露呈させ、手の内を晒したくないのだな。あるいは、単純にこの「魔人」の底が知れず、勝てる確証がないから温存したいのか。
***
さて、俺の今日の主目的はヴィオレッタの身柄確保だ。
このまま撤退しても目的は果たせるが、どうせならついでにエレノアも捕獲しておきたい。
今ここで彼女を連れ去れば、後日に控える面倒な結婚式をぶち壊す手間が省けるからだ。
(……結婚式の乱入にこの機体を使う予定だった。しかし、ここで使った以上、この魔人を結婚式に出すのも不自然だし――かといって『漆黒の魔剣士ゼノス』で現れるわけにもいかんしな。やはりここで、エレノアも捕まえておきたい)
俺が今後のプランを脳内で練っていると、広場の入り口がにわかに騒がしくなった。
馬のいななき、そして鎧の鳴る音。
この国の第一王女エレノアが、少数の供を率いてこの混乱の渦中へと駆けつけてきたのだ。どうやら王宮で騒ぎを聞きつけ、飛び出してきたらしい。
(……リアム王子は来ないのか?)
周囲を見渡すが、王子の姿はない。
どうやら今日は、都合よく王宮を不在にしていたようだ。
(あるいは、ヴィオレッタの処刑という現実から、無意識に距離を置きたかったのかもしれんな)
個人的には、リアム王子とはなるべく直接戦いたくないと思っていたので、これは好都合だ。
***
「姫様! 来てはなりません! お下がりください!!」
サー・ガイウスが、喉を引き裂かんばかりの悲痛な声で叫ぶ。
だが、エレノアの進撃は止まらない。
たとえ勝ち目がなかろうとも、一国の王女として、そして戦う力を持つ者として、ここで背を向けることはできないと彼女の魂が告げているのだろう。
太陽に輝く彼女の姿は、戦場の泥にまみれた騎士たちには聖女のように見えたに違いない。
彼女は愛馬に跨ったまま、凛然たる声で魔法を行使した。
その瞳に強い決意の光を宿し、掲げた掌に莫大な光り輝くマナを集中させる。
「――聖域展開! すべての邪悪なるものよ。この場から立ち去るがよい!」
エレノアを中心に、視界を灼くようなまばゆい純白の光が波及していく。
光の波は一瞬で広場を呑み込み、鉄錆と血の臭いに満ちた周囲一帯を、温かくも暴力的な神聖結界が包み込んでいった。




