第229話 謎の魔導士が現れた
アザレア公爵家の令嬢、ヴィオレッタの公開処刑当日。
王都の空は抜けるように青く、皮肉なほどに穏やかな小春日和だった。
俺は処刑場となる広場を見下ろす、周囲の建物の上へと音もなく降り立った。屋上を吹き抜ける風はまだ冷たく、春の陽光を遮るように白いローブを翻す。
今の俺は『変身の指輪』を装着し、白いローブのフードを深く被り、不気味な無表情を湛えた仮面を身に付けている。
まさに、歴史の裏側で暗躍する秘密結社に所属する「怪しい魔導士」といった風体だ。我ながら、胡散臭さの極致だと思う。
処刑開始の時刻は正午。
それまでには、まだ一時間ほどの猶予がある。
だが広場には、すでにこの凄惨な見世物を一目見ようとする民衆が、黒山の人だかりを作っていた。
下界からは、興奮と恐怖が入り混じった不快な熱気と、野次馬たちの汗の匂いが、ざわめきと共に這い上がってくる。
視線を広場の中央へ向ける。
そこには、無機質なギロチンを背にしたヴィオレッタがいた。
処刑台の上で、粗末な縄によって無残に体を拘束され、数千の衆目に晒されている。その白い肌は恐怖のせいか、あるいは寒さのせいか、痛々しいほどに青白い。
俺は彼女を救出するため、静かに計画を始動させる。
まず、屋上にあらかじめ用意しておいた木箱の台座へ、『時限式爆裂魔法』を込めた魔石を設置した。
爆発設定は十分後。
すぐさま「転移」を発動し、空間が捻じれる独特の浮遊感と共に、他の二箇所の屋根の上でも同様の細工を施していく。
仕込みを終えると、俺は自邸の庭にある倉庫へと転移した。
そこには「キラー・マシーン二号機」が、重厚な鋼鉄の光沢を放ちながら静かに佇んでいる。
「写し身の魔法」で分割した魂の一部を機体の魔石へと付与する。
意識の一部が冷たい機械の身体へと移り変わる奇妙な感覚。魂を削るような鈍い痛みがあるが、無視して俺は再び広場周辺の薄暗い路地へと転移で舞い戻った。
湿り気を帯びた路地の地面へ、持参した巨大な巻物を勢いよく広げる。
「バササッ!」 乾いた音を立てて、長い紙が石畳の上を走った。
巻物には、緻密かつ冒涜的な幾重もの「魔物召喚」の魔法陣が刻まれている。
そこに俺がドス黒い魔力を流し込むと、魔法陣が視界を灼くほど眩い光を放ち、おびただしい数の魔物たちが、粘つくような咆哮を上げながら次々と這い出してきた。
「広場へと進軍しろ。迎撃に来た『兵士』とだけ戦え」
魔物の群れに短い命令を下すと、俺は少し離れた位置にある建物の屋上へ再度転移した。路地から溢れ出した異形たちが、逃げ遅れた民衆の悲鳴を裂きながら広場へと突き進んでいく。
「さて、上手くいくといいが」
喉の奥に張り付くような渇きを覚えながら、俺は仮面の奥で独りごちた。
これで大方の準備は完了だ。
あとは、最後の仕上げを残すのみである。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
(王都騎士団長、サー・ガイウス視点)
私は広場の警備にあたっていた。
太陽は天頂にあり、広場に置かれた処刑台は鋭い影を石畳に落としている。今日この場所で、アザレア公爵家のご令嬢の公開処刑が執行されるのだ。
見物に来た民衆が暴動を起こさぬよう、そして万一、アザレア公爵が娘可愛さに処刑を妨害し、軍を動かして救い出そうと画策した場合に備え、我ら騎士団は鉄壁の迎撃態勢を敷いていた。
全身を包むプレートアーマーの中には、緊張による嫌な汗が溜まり、革のインナーが肌に張り付く。
処刑予定まであと一時間と迫ったその時、私は不意に、胃の底を冷たい蛇が撫でるような嫌な予感を覚えた。
(……なんだ、これは。何か形容しがたい邪悪な存在が、広場の周囲でうごめいているような……?)
私は気を引き締め直し、即座に部下たちへ見回りの強化を命じた。
この広場には、二百名の近衛騎士、そして五百名の常備兵が配置されている。
処刑場の直近を近衛騎士が固め、広場全体の警備を五百の兵士が担う布陣。
鋼の靴音が重々しく響き、兵士たちはそれぞれの持ち場に就き、殺気立った民衆の動きをそれとなく監視している。
(何事もなく、処刑が済めばいいが……)
私がそう祈るように考えた矢先、広場の北東端で突如として、大気を震わせるような騒ぎが発生した。
***
怒号、驚愕の声――
そして引き裂かれたような悲鳴が、春の風に乗って聞こえてくる。
(なんだ!? アザレア公爵家の私兵が強行突破してきたか……!)
反射的に柄を握る手に力がこもったが、事態は私の想定を遥かに超えていた。
逃げ惑う民衆が「魔物が現れたぞ!」「逃げろ、食われるぞ!」と狂乱状態で叫んでいる。
現場に駆け付けた兵士からも、顔面を蒼白にした必死の報告が上がった。
「緊急事態発生! 路地から、魔物の群れが広場に入り込んでいます!」
その叫びはパニックを増長させるものではあったが、やむを得ないだろう。危険を知らせ、民衆を即座に避難させねばならない状況だ。
人々の足音が地響きのように響き、広場は一瞬で混沌の坩堝へと化した。
私は即座に合図を送り、兵士たちに民衆を広場外へ誘導するよう指示した。
アザレア公爵の介入を想定し、緻密な避難計画を立てていたことが、皮肉にもここで役に立った。しかし、安堵などできる状況ではない。心臓が早鐘を打ち、喉の奥が鉄の味で満たされる。
(大量の魔物だと? 二百……いや、三百か!? いったいどこから……王都の外壁を突破された形跡はない。となると『召喚』か。しかし、これほどの数を同時に召喚するなど、一流の召喚士が五十人、いや百人は必要だぞ!)
私は近衛騎士を集結させながら、この異常事態の黒幕を思考する。
民衆の避難が完了しだい、騎士団を投入して魔物の迎撃に当たる。
(早く逃げてくれ……!)
そう願いながら魔物の出現箇所を注視したが、そこで私は妙な違和感を覚えた。
凄まじい大惨事になるかと思いきや、魔物たちはその場からほとんど動かないのだ。逃げ惑う民衆を追って襲う素振りも見せず、ただ『剣を抜いて迎撃に来た兵士』とだけ戦っている。
(あれが召喚された魔物だとすれば、その不可解な統率にも説明はつく。だがそもそも、これほどの量の魔物を呼び出すなど人間の業ではない。一体、何が起こっている……?)
思考が混迷の泥沼に足を踏み入れた瞬間、さらなる異変が重なった。
突如として、広場に猛烈な轟音が響き渡ったのだ。
ドォォオオオンッ!!!
内臓を揺さぶるような爆鳴。
それも一つではない。ほぼ同時に三つ。
広場を囲む三つの建物の屋上から、巨大な火柱が天を突き、黒煙が春の青空を無残に汚していく。
爆風に煽られた瓦礫が雨のように降り注いだ。
***
「いったい、何が起こっているというのだ……! 王都そのものが狙われているのか!?」
事態が全く把握できない。
だが、騎士団長として今やるべきことは、はっきりしている。
私は爆発箇所の近くに配置されていた三組の兵士に対し、直ちに屋上の確認と消火を指示した。そして、二百名の騎士団を率いて魔物を迎撃する。
広場にいた民衆は、すでに蜘蛛の子を散らすように逃げ去っている。
すると、それまで動きの少なかった魔物の群れが、一気になだれ込んできた。
明確に狙いをこちら――
処刑台を守る騎士団へと定めたらしい。
我ら精鋭二百名で、これを受理る。
咆哮を上げる魔物の群れと、我ら騎士団が石畳の上で真っ向から激突した。
***
「放てッ!」
魔導士部隊による先制の遠距離魔法が炸裂した。
火球と氷塊が魔物の列を薙ぎ払い、その一撃で敵の数を減らす。
しかし、召喚主の意志を体現しているのか、魔物の勢いは一向に衰えない。
「ハァッ!!」
私も大剣を振るい、立ちはだかる醜悪な魔物たちを次々と切り裂いていく。
剣が肉を断つ感触、飛び散る魔物の体液。広場には他に五百の兵が控えている。
彼らも小隊ごとに結集し、死に物狂いで魔物と戦っている。
現れた魔物は、大中小、実に様々な個体で構成されていた。
大型の個体に対しては、三人がかりで一体を仕留める組織戦術で対抗する。
敵は強く厄介だが、我が騎士団には精鋭が集っている。
魔導士による散発的な援護もあり、戦況は着実に殲滅へと向かいつつあった。
(この調子ならば、押し切れる……! 誰が仕組んだか知らぬが、騎士団を侮ったな!)
私がそう確信した、その時だ。
一人の、あまりにも異質で、不審な男が姿を現した。
激戦の最中、魔物が出現した薄暗い路地からゆらりと現れたのは、白いローブを纏い、顔をフードと仮面で隠した男。
血飛沫と爆煙が舞う戦場において、あまりに汚れがなく、静謐なその異様な姿が私の視界に焼き付いた。
(……なんだ? どこかで、会ったことがあるような……?)
男は乱戦の主戦場へと、まるで散歩でもするかのようにゆっくりと歩み寄ってくる。その瞬間、私の体の芯に、氷の刃を突き立てられたような鋭い悪寒が走り抜けた。
鎧の下の肌が総毛立つ。
(こいつは……危険だ。今までの魔物など前座に過ぎない。なんとしても、ここで仕留めなければ、王都が終わる!)
本能が告げる、根源的な恐怖。
だがそれ以上に、この王都を守護する責任者としての使命感が、私の胸に熱く沸き上がった。
私は大剣を握り直し、仮面の魔導士を見据えた。




