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第228話 妨害準備

 「気配遮断」の魔法を全身に纏い、俺は夜の静寂に沈んだ王宮へと音もなく転移した。鼻腔を突くのは、磨き上げられた石材の冷たい匂いと、廊下の角で細く燃える魔導ランプが発する微かな熱気だ。


 ここには過去、公私問わず何度も足を運んでいる。複雑に入り組んだ回廊の構造も、警備の死角も、俺の頭の中には完璧な地図として収まっていた。


 目的は、公開処刑が決定した悪役令嬢、ヴィオレッタの捜索だ。


 閉ざされた扉の向こう側に意識を集中させ、特有の魔力の残滓を探る。

 罪人という扱いではあるものの、ヴィオレッタはアザレア公爵家の令嬢だ。


 王家も流石に、彼女を地下の不潔で冷たい牢獄に放り込むような真似はしなかったらしい。彼女は、幾重にも重厚な監視が付いた貴賓室の一室に留め置かれていた。


 俺は影に溶け込むように足音を消し、部屋の前で直立不動の姿勢を保つ監視兵に肉薄する。


 彼が俺の存在に気付くことはない。


 その首筋にそっと指先を滑らせた。

 生温かい体温が伝わった刹那、脳の回路を強制的に遮断する「睡眠魔法」を流し込む。


 ガクンと膝を折る身体を、物音が立たぬようゆっくりと床へ座らせた。

 俺はドアを二度、三度と軽くノックし、淀みない動作でその「檻」の中へと侵入した。



 ***


 部屋の中は、高価な白檀の香香が虚しく漂っていた。

 天蓋付きのベッドの上に、ヴィオレッタは幽鬼のような危うさで力なく座っていた。


「……ゼノス様でしたか。外の監視は?」


「眠らせてきた。しばらくは心地よい夢を見ていられるだろう」


 彼女に手ひどい虐待を受けている様子はない。

 だが、刻一刻と迫る死の足音――処刑宣告という精神的な重圧は、確実に彼女の芯を蝕んでいた。


 かつての傲慢なまでの美しさは影を潜め、端正な横顔には隠しようのない疲労の色が死相のように滲んでいる。


「まさか、こんな事態になるとはな。俺の計画にも少々狂いが生じた」


「……いいえ。これも、身から出た錆ですわ。わたくしが過去に犯してきた過ちを考えれば、妥当な報いなのでしょう」


 彼女は自嘲気味にそう呟き、細い指先をシーツに食い込ませた。

 その指先が、微かに震えているのを俺は見逃さない。


「まあ、そうだな。だがお前の過去の罪なら、すでに俺が直接『尻叩き』でたっぷりと罰してやったはずだ。今さら王家に首を差し出す必要はない」


 俺の言葉に、ヴィオレッタの白い頬が瞬時に真っ赤に上気した。

 絶望に染まっていた瞳に、一瞬だけかつての勝気な光が戻る。


「……っ、その……! 破廉恥なことを思い出させないでくださいませ」


「ふん、元気が出てきたじゃないか。いいか、ヴィオレッタ。エリザベートにはとっくの昔に謝罪を済ませ、許しを得ている。――そこでだ。お前のために超法規的措置を取り、ここから強引に助け出すことにした」


 ヴィオレッタの瞳に一瞬だけ歓喜の光が宿る。

 だが、彼女はすぐに顔を伏せてしまった。


「無理ですわ……。たとえここから逃げ出せたとしても、この広い大陸のどこまで追手が来るか。そうなれば、ゼノス様まで大逆人になってしまいます」


「俺がそう簡単に捕まると思うか? それに、隠れ家ならいくらでも用意してある」


 エルフの里に頼めば個室を工面してくれるだろうし、ドワーフ領の砦にも一室確保してある。砂漠の都市国家イスファラにも、魔界の城にも別荘はあるのだ。


 いずれも「転移」で瞬時に移動可能であり、アースガルド王家の監視が届くはずもない。


 追手の手が届く可能性があるのはドワーフ領の砦くらいだろうが、そもそも他領の貴族の領地に王家が直接介入するのは、外交的にも戦争の一歩手前だ。


 俺は絶対の自信を持って彼女を誘った。

 だが、それでもヴィオレッタは頑なに首を縦には振らなかった。



 ***


「……わたくしがここから姿を消せば、実家のアザレア公爵家に多大な迷惑をかけてしまいますわ。お父様やお母様まで断罪されるわけにはいかないのです」


(それが、逃げ出せない理由か。……殊勝なことだ)


 現在、ヴィオレッタ個人は罪人として拘束されているが、アザレア公爵家には未だ何の沙汰も下されていない。


 王家としても公爵家とは血縁が深く、カストル侯爵の謀反が囁かれるこの不安定な情勢下で、有力貴族を無闇に敵に回したくはないのだろう。


 ゆえに、犯罪計画はあくまでヴィオレッタ個人の独断であるとして、公爵家そのものは「被害者側への賠償」程度で不問に付されていた。


 だが、もし彼女がここから逃亡すれば、王家は盛大に面子を潰されることになる。


 帝国の王女を狙った殺害計画である以上、「誰も罰しない」という幕引きは政治的に許されないのだ。もし彼女が消えれば、王家の怒りの刃は間違いなく、代わりの生贄としてアザレア公爵家へと向けられるだろう。


「なるほど、わかった。そちらの懸念も、俺が『何とか』しよう」


 俺はそう告げると、抵抗する間も与えずヴィオレッタをベッドへと押し倒した。

 驚きで見開かれた瞳に、俺の影が落ちる。


「気が張っているのだろう? ……少し、紛らわせてやる」


 俺は彼女の衣服を脱がさぬまま、その熱を帯びた身体をゆっくりと、指先で慰めていった。


 処刑の恐怖を上書きするように、悦楽と支配の感覚を脳に刻み込んでやる。

 荒くなる吐息と、かすかな涙の匂いが部屋に充満していった。



 ***


 事が終わり、俺は乱れた衣服と髪を整えた。

 ヴィオレッタは呆然としながらも、どこか憑き物が落ちたような顔で俺を見上げている。


「必ず助けてやる。そのための準備をこれから進める。作戦決行は処刑当日だ。――その時、広場で『何が起こっても』取り乱さずにいろ。俺を信じて下手に動くな。いいな」


 俺の言葉に、彼女は覚悟を決めたように深く頷いた。


「わかりましたわ。……けれど、わたくしのために、どうか無理だけはなさらないでくださいませ」


「勘違いするな。これは俺のためだ。俺は自分のやりたいように、好きに生きると決めている。そして今――俺がやりたいのは『俺の女を守る』……ただ、それだけだ」


 最後に少しばかりキザなセリフを吐き捨て、俺は一度も振り返らずに部屋を後にした。


 廊下には、未だ見張りの兵士が壁に寄りかかって心地よさそうに眠り込んでいる。


 幸いなことに、巡回の兵士が通りかかることもなかったようだ。

 俺は兵士の顔に再び手を触れ、「睡眠魔法」を解除した。


 ハッと我に返った兵士は、慌てて周囲を確認した。


 すぐさま部屋のドアをノックして侵入し、中にヴィオレッタの姿が――ベッドの上で項垂れる彼女がいることを確認すると、心底安堵した表情で持ち場へと戻った。


 俺はそれを見届けてから、自邸の書斎へと転移した。



 ***


 公開処刑は一ヶ月後。

 その日に向けて、王国全体が異様な熱気に包まれていく。


 処刑の内容は貴族のみならず民衆にも広く公示され、王都の中央広場で行われることが決まった。


 ヴィオレッタは「帝国との和平を妨害した大逆人」として断罪される。


 これは和平反対派、そして不穏な動きを見せる他領の貴族に対する強烈な見せしめでもあった。揺るぎない王権の威光を示すためにも、この処刑には極めて重い政治的意味が込められている。


 自邸の中庭にある倉庫にて、俺は完成したばかりの「キラー・マシーン二号機」を見上げていた。


 魔法の照明に照らされたその巨躯は、鈍い銀色の光を放っている。


 本来、この機体はエレノアとバルトロメウスの結婚式をブチ壊し、略奪するために用意したものだ。だが予定を変更し、これを処刑妨害の主戦力として、王国の法を物理的に粉砕するために投入することに決めた。



 ***


 処刑の日時は、学園の卒業式の一週間前。

 つまり、いよいよ明日だ。


 俺はキラー・マシーン二号機の操縦席に潜り込み、最終の動作確認を開始した。


 コンソールの魔石が淡く発光し、駆動系が唸りを上げる。

 予定より若干早まってしまったが、ドワーフたちの献身的な働きにより、調整は何とか間に合った。


 この二号機は、全長五メートルに達する巨大な人型ロボットだ。

 ドワーフ領から採掘された、魔力伝導率の極めて高い最高級の鋼鉄が、惜しみなく全身に投入されている。


 もちろん、純粋な機械仕掛けだけでこの巨躯を自在に操ることは、この世界の技術では不可能だ。


 乗り込んだ俺が「浮遊魔法」を常時展開し、物理法則をねじ伏せることで、初めてその鉄の腕は真価を発揮する。


 この機体は公の場で暴れ回り、絶望を撒き散らすために造った。

 ゆえに、その存在は制作者であるエイルら五人のドワーフ以外には、徹底的に秘匿してある。


「……各部、出力正常。魔力の流れに滞りなし」


 動作確認を終えた俺に、エイルが不安と期待の入り混じった表情で声をかけてくる。


「ゼノス様、機体の調子はどうですか?」


 一通り各部位を動かしてみたが、俺の魔力制御に遅滞なく反応している。


「ああ、問題ない。最高の出来だ。お前たちの技術に感謝する」


 この機体以外の「仕込み」も、すでに王都の各所に滞りなく済ませてある。

 あとはただ、明日、広場に太陽が昇るのを待つだけだ。

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