第225話 悪い意味で諦めの悪い奴
俺は今、カストル侯爵の嫡男オーギュストが率いる、三人の不良グループを「掃除」している。
放課後の駐車場に吹き抜ける冬の突風が、俺の頬を冷たく撫で、乾燥した藁と馬糞の入り混じった特有の臭いを運んできた。
人気のない空間に、俺たちが放つ殺気だけが濃密に沈殿している。
まず、グループ内随一の武闘派とされるレオニード・グラーフ。
その引き締まった腹へ、俺の先制攻撃が深々とめり込んだ。
『加速魔法』発動の瞬間、世界はモノクロームのハチミツに沈んだように鈍化し、俺だけがその静止した時間を滑走する。
放たれた拳は物理法則を置き去りにし、超高速の衝撃波となって奴の肉体を内側から破壊した。
大柄なレオニードの身体が、重力に逆らうように「ぐわり」と浮き上がる。
どさっ!
雪の混じった硬い地面に、肉の塊が落ちる鈍い音が響いた。
たった一撃で、完全に沈黙。
白目を剥いてのたうち回る余裕すら与えない。
もはや、ただの置物だ。
左右から俺を挟み撃ちにしようと動いていたオーギュストとルシアンが、彫像のようにその場で凍り付いた。
魔力ゼロ、身体強化も使えないはずの「落ちこぼれ」が、あの一撃を放ったのだ。現場には、脳が処理を拒否するほどの驚愕と、言いようのない混乱が充満していく。
加速魔法の使用は、最初の一発だけで十分だ。
あとは通常の身体能力だけで、この温室育ちの「悪役」たちを分からせるには事足りる。敵は慌てて身体強化の魔法で戦闘力を底上げし、指先を震わせながら構え直しているが――。
(……その程度か)
魔法でどれほど出力を上げようと、俺と彼らとでは実戦経験が違いすぎる。
ここからは二対一、しかもこちらは魔法による強化なしという圧倒的なハンデ戦。だが、俺の心臓は平時と変わらぬリズムを刻み、喉の渇きすら感じない。
***
予期せぬレオニードの脱落に、二人は絶望的な隙を晒していた。
俺は獲物を狙う獣のような踏み込みで、ルシアンへと躍り出る。
放ったのは、右フック。
こめかみを狙い澄ましたその一撃に、ルシアンは反応すら間に合わず、首が千切れるかのような勢いで衝撃を食らった。
だが、奴も意地を見せた。
視界が火花を散らしているだろうに、顔を醜く歪めながらも反撃のパンチを放ってくる。
魔法で強化された重い一撃が空気を切り裂くが、俺は首をわずかにずらすだけで、その鼻先をあっさりとかわしてみせた。
そして、返す刀でのカウンター。
先ほどと全く同じ場所へと、精密機械のような正確さで拳を突き刺す。
ごっ!
耳障りな音を立てて、ルシアンもまた地面に沈んだ。
***
「調子に、乗るなよ……! 魔力ゼロの落ちこぼれがぁ!!」
ルシアンとの攻防はわずか五秒ほど。
俺の背後に回っていたオーギュストが、ようやく腰の抜けた状態から復帰して攻勢をかけてきた。
(……動きは速いが、ただの突進か)
怒りと恐怖で血走ったその瞳。
俺は敵の動きを冷徹に補足し、むやみやたらに掴みかかってこようとしたオーギュストの顔面に、正面から拳を叩き込む。
敵の突進スピードをそのままダメージに転換する――
完璧なカウンター・ストレート。
ばちん!!
「ぐあっ!?」
オーギュストは勢い余って盛大に背中からひっくり返った。
鼻っ柱が砕けたのだろう、鮮やかな深紅の鼻血が噴き出し、冬の冷たい空気に鉄の匂いが混じり合う。
俺は倒れ込んだオーギュストに対し、容赦ない追撃の蹴りを見舞った。
ごっ! ごっ! ごっ! ごっ!
顔を抑えて情けなくのた打ち回る侯爵家の嫡男には、もはや防ぐ手段などない。
レオニードは完全に沈黙し、ルシアンは意識こそあるものの、俺と目が合うのを恐れて「死んだふり」を決め込んでいる。
「や、やめろ! お、お前……ただじゃ済まないぞ! 親父に言いつけてやる、一族郎党皆殺しだ! 絶対に、絶対に許さないぞ!!」
オーギュストは降参するどころか、父親の威光を盾にして喚き散らした。
(この期に及んでこの言い草。……本当に、悪い意味で諦めの悪い奴だ)
世の中には、弱いくせにやたらと突っかかってくるタイプの馬鹿がいる。
コイツはどうやら、その典型らしい。
俺がオーギュストの頭を泥の混じった靴底で踏みつけていた、その時だ。
異変を察知したカストル侯爵家の御者が、待機室から血相を変えて駆けつけてきた。そいつは現場の惨状を見るなり、腰の剣をガチャつかせて居丈高な態度で叫んだ。
「この御方が、カストル侯爵家の御曹司と知っての狼藉か!」
……あーあ。
これでは喧嘩の収めどころがなくなってしまう。
俺は結局、外野が黙るまで、そしてオーギュストが完全に気を失って静かになるまで、無心で蹴り続ける羽目になった。
せっかくの放課後だというのに、まったく、迷惑な話である。
***
翌日、俺は生徒会長から直々に「呼び出し」を受けた。
昨日拳を交えた三人は、怪我を理由に学校を欠席。
特にオーギュストは絶対安静の重症だという。
案の定、カストル侯爵家が凶悪なモンスターペアレントと化し、学校側に猛烈な抗議文という名の脅迫を送りつけてきたようだ。
(まあ、俺としても多少の反省はしている。……多少は、な)
圧倒的な実力の差を見せつけ、オーギュストが泣きながら降参したところで「ザイツ商会から手を引け」と交渉するつもりだったのだ。
だが、勝ち目がないのにいつまでも負けを認めない馬鹿のせいで、計画がすべて狂ってしまった。
(また失敗してしまった。しかし、あの場合――他に矛の収めどころもなかったからなぁ。死ぬまで蹴らなかっただけ、俺は優しいと思うんだが……)
俺は生徒会室のソファーに座り、出された温かい茶を啜りながら、のんびりとそんなことを考えていた。
部屋には、呼び出された俺と、生徒会長のバルトロメウス。
そしてその隣には、不機嫌そうな顔をしたリアム王子の姿があった。
さらに王子の背後には、抜き身の剣のような鋭さを持つ側近アルドリックと、その相方の「知的キャラ」エリオットが控えている。
総勢四名。
なかなかの布陣で俺を待ち構えていたわけだ。
***
「……しかし君は、会うたびに新しい問題を起こすな」
リアム王子が、眉間を指で押さえながら、呆れ果てたように言葉を投げかけた。
「殿下、このような暴力的な者は、由緒あるアルカナム学園に相応しくありません。即刻、退学、あるいは極刑に処すべきです!」
俺を病的なまでに敵視しているエリオットが、ここぞとばかりに眼鏡を光らせて進言する。
「まあ、良いじゃねーか。喧嘩の一つや二つ。戦いに負けた後で親に泣きついたカストル先輩がダサすぎて笑っちまったぜ」
対照的に、武闘派のアルドリックが不敵な笑みを浮かべて俺をかばう。
この部屋に入った瞬間、王子一行が勢揃いしているのを見て「おや?」と思ったが、理由は明白だ。
二日前、俺はリアム王子へ「カストル侯爵に反乱の兆しあり」という極秘の手紙を送っている。
新学期早々、俺がその嫡男をボコボコにしたのだ。
政治的な関連があると見て、王家が直接介入してきたのだろう。
リアム王子の隣に座る生徒会長、バルトロメウスが、場をとりなすように挨拶してきた。
「本日はご足労いただき、ありがとうございます。昨日のグリムロック様とカストル様の諍いについて、生徒会長として詳細を把握しておきたく、お話を伺いたくお越しいただきました。……なお、カストル侯爵家からの『公式な言い分』はすでに受領しております」
バルトロメウスは手元の羊皮紙を無感情に読み上げる。
「なんでも、『駐車場の暗がりに潜んでいたグリムロック様が、卑怯にも背後から三人へ襲いかかった。襲撃の理由は不明。一方的な暴力行為である』……とのことですが。さて、この相手の主張に対し、異議はありますか?」
(……あるに決まっている)
相手の言い分に文句はある。
だが、さて――
どう説明したものか。




