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第223話 無理難題

 冬季休暇もあと僅か、というタイミングで急用が舞い込んできた。


 窓の外では冬の乾いた風がヒュウヒュウと鳴り、屋敷の重厚な石壁を叩いている。そんな静かな時間を切り裂いたのは、ザイツ商会のバルタザールからの、悲鳴のような切実なSOSだった。


 なんでも『カストル侯爵』家の嫡男が、商会に対して到底呑み込めない無理難題を吹っかけてきたため、助けて欲しいというのだ。


 俺は午後に予定していた魔道具の調整をすべてキャンセルし、すぐさまザイツ商会へと向かうべく、冬の刺すような冷気の中へと馬車を走らせた。



 ***


 商館に到着すると、微かに高級な香油と古い羊皮紙の匂いが混ざり合った独特の空気が俺を包んだ。


 そこには、青い顔をしたバルタザールとお目付け役のグレゴール、それにランカスター男爵家の三女メリンダが出迎えてくれた。


 メリンダはバルタザールの婚約者だ。

 俺は促されるまま、奥にあるいつもの商談用の部屋へと案内された。暖炉の火が爆ぜる音だけが、沈痛な面持ちの彼らの静寂を強調している。


「本来ならば、こちらからゼノス様のもとへ出向かなければならないところを……。お越しいただき、本当にありがとうございます」


 バルタザールが、心臓の鼓動がこちらまで聞こえてきそうなほど恐縮しきった様子で、深々と頭を下げてきた。


 初めて会った頃は、親の威光を傘に着ただけの甘ったれた小僧だったが――。

 冷汗を拭いながらも、必死に商会の責任者として振る舞おうとする姿。コイツも、随分と成長してきたものだ。


「いや、なに、気にするな。相手が高位貴族の無理難題というのであれば、商会だけで対応するのにも限度がある。ここは俺の出番だろう」


 俺が低い声でそう告げると、バルタザールとグレゴールは、まるで絞首台から解放された罪人のように、露骨に安堵の色を浮かべた。


「で、その無理難題の内容というのは?」


 手紙でおおよその事情は察しているが、改めて詳細を確認しておく。

 俺の問いに対し、グレゴールが神妙な面持ちで、震える指先を組んで説明を引き継いだ。


「昨日のことでございます。カストル侯爵家の嫡男、オーギュスト様が当商会にいらっしゃいまして、一方的に武器の購入を依頼してきました。その内容が……一万人分の武具を、金貨一千枚で用意しろ、というものでして――」


 手紙には「オーギュストが無茶を言ってきた」とあるだけで具体的な金額は伏せられていたが、まさかそこまで酷い要求だったとはな。あまりの数字の乖離に、俺は喉の奥が乾くのを感じた。


 一万人分の、武具。


 頭の中で、ドワーフ領の相場と現在の流通価格を叩き出す。

 スピアまたは長剣の単価が、約一点五金貨。厚手の革鎧、あるいは部分的な鉄板を補強したチェインメイルなどの防具が、三金貨。木枠に皮や鉄を張った盾と、シンプルな鉄兜が、一金貨。


 ここまでは、俺が統治するドワーフ領に直接注文できる最低ラインだ。


 これに加え、頑丈な布の服、外套、泥濘の行軍に耐えうる革靴。

 これらが他商会からの仕入れで、最低でも約零点五金貨。


 つまり、兵士一人分を一式揃えるのに、どれほどコストを削っても最低約六金貨が必要になる。


 一万人分となれば、総額は六万金貨だ。


 それを、わずか金貨一千枚で売れというのだ。

 六万を千で済まそうとは、オーギュストの要求はもはや交渉ですらない。「鬼畜の所業」と切り捨てていい。



 ***


 奴隷商が本業であるはずのザイツ商会にこの話が持ち込まれたのは、彼らがドワーフ領における武器取引の取りまとめを代行しているからだろう。


 上質な武具を早急に、かつ大量に手に入れたければ、彼らを頼るのが一番手っ取り早く、確実な道だ。


(俺とて、商人同士の対等な喧嘩であれば、そこに口を出すことはまずしない。勝手にやれと思うだけだ)


 だが、今回の諍いは違う。

 侯爵家という圧倒的な権力を笠に着て、平民であるザイツ商会に理不尽な死を強要しているのだ。こうなれば、商会のバックにいる俺が表に出る必要がある。


 しかも、相手が手を伸ばしてきたドワーフ領は、今や俺の縄張りだ。

 現時点で敵の正確な狙いまでは断定できないが、オーギュストが俺に喧嘩を売るために、まずは周辺にちょっかいを出してきたと見るのが自然だろう。


「金貨一千枚で一万人分の武具を揃えろとは――随分とふざけた真似をしてくれる。いいだろう。そのオーギュストとやらは、俺が直接話を付けてやる」


 俺の宣言に、重苦しかった部屋の空気が一変した。

 バルタザールとグレゴールが、希望を掴んだように顔を輝かせた。


(やはり、人助けをするのは気分が良いものだよな)


 砂漠の国では、せっかく人助けをしたのに、なぜか滅茶苦茶に恨まれたものだが……。世の中、ちゃんと感謝してくれる奴だっているじゃないか。


 俺が二人のリアクションに満足し、内心で少しばかり鼻を高くしていた、その時だ。 意外な人物から、冷や水を浴びせるような鋭い「待った」がかかった。


「……お待ちください、ゼノス様。それには及びませんわ」


 メリンダ嬢が毅然とした態度で立ち上がり、俺の手助けを真っ向から拒絶したのだ。



 ***


「メ、メリンダ様!? 何をおっしゃるのです!」


 慌てふためくバルタザール。

 しかし彼女の瞳は、揺らぐことなく俺を見据えていた。


「オーギュスト様は無理難題を申し付けられましたが、その際、こうもおっしゃいました。正規の料金を払ってほしければ、『お前の婚約者をよこせ』と。……私がオーギュスト様の妾になれば、それで問題は解決いたします。お忙しいグリムロック様のお手を煩わせるまでもありませんわ」


 彼女は断固とした様子で、自らを犠牲にする意志を表明した。

 その言葉を聞いた瞬間、バルタザールは今にも泣き出しそうな、それでいて激しい悔しさに指先を震わせる顔になる。


(なるほどな。オーギュストの野郎、メリンダを手に入れるために、あえて商会を困らせるような取引を仕掛けたのか……)


 俺は、メリンダという女を少しばかり見直した。


 これまで、俺は彼女から時折向けられる不穏な眼差しに気づいていた。

 決して睨まれているわけではないのだが、どこか俺を観察し、罠に嵌めてやろうという思惑を感じていたのだ。


 だからそれとなく警戒していたし、彼女のことを『薄汚い女狐』だと思っていたのだが。


 しかし、自分の身を挺して、窮地に陥っているバルタザールを救おうとするとは。 思いのほか、良妻の素質があるではないか。


(ならばこそ、ここは俺が出張るべきだな。身内が犠牲になる解決法など、主君としては三流の極みだ)


 バルタザールもまた、メリンダの考えに猛反対した。


「お待ちください、メリンダ様! ドワーフ領の武具取引はゼノス様の管轄です。そこに法外な条件を持ち掛けること自体、ゼノス様の顔に泥を塗る行為に他なりません。それを放置して相手の要求を呑むなど、ゼノス様の立場がありません! それに一度無理難題を受け入れてしまえば、奴らは味を占めて繰り返すでしょう。同じことを要求する輩が次々と現れる危険もございます!」


「それは……そうかもしれませんが……でも……」


 バルタザールの至極真っ当な、そして彼にしては熱い主張に、メリンダは言葉を詰まらせる。


 この男も随分と成長したようだ。


「バルタザールの言う通りだ。それにメリンダ嬢。オーギュストが言う『適正価格』とやらは、一体いくらのつもりだ?」


 俺の問いかけに、メリンダもハッとした表情になる。


 金貨一千枚で買う予定だったが、特別に二千枚で買ってやろう。これこそが俺の温情であり、適正価格だ――

 そう権力者側の理屈で言いくくられてしまえば、後から覆すのは困難だ。


 商会は依然として金貨五万枚以上の赤字を背負い、破綻する。


 相手は権力者なのだ。

 ここは、同じく権力者である俺が盾になり、剣になるべき局面である。


「向こうが、メリンダ嬢の身柄だけで満足するという保証もない。……ここは黙って俺に任せておけ」


 俺の言葉に、バルタザールは感激に肩を震わせ、グレゴールは深く深く頭を下げた。なぜかメリンダだけが、獲物を横取りされたような不満げな顔をこちらに向けているが、今は気にしないでおこう。


 俺は二人から最大限の感謝の言葉を背に受けながら、冷たい冬風が吹き抜ける商会を後にした。

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