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第219話 世間話

(悪徳大臣・カリム視点)


 砂漠の王国の事実上の支配者であるワシが、専用ハレムで贅沢な暮らしを堪能している最中。そこへ――


 唐突に不審者が姿を現した。


 本来ならば、不敬の罪で即座に処刑し、その首を門に晒してやりたいところだ。


 だが、立ち塞がるこの男は、底の知れない強さをその身に秘めておる。

 今のワシに許された選択肢は、湧き上がる怒りを押し殺し、慎重に交渉を進めることだけだ。


 ワシは男の実力を見極め、あわよくば金と地位で釣って自分の手駒にすることまで視野に入れ、寛大な度量を見せようとした。

 だが、そいつはあろうことか、暗殺者の遺体を細切れにしてプールに投げ込むという暴挙に出たのだ。


(狂気の沙汰だ)


 手駒にするなど、もはや論外。

 ……あまりにも、頭のネジが外れ過ぎておる。


 何としても停戦協定を結び、一刻も早くこの不吉な塊を場から追い払わねばならん。ワシは引き攣る頬を必死に抑え、この常軌を逸した異常者をなだめるべく、言葉を紡いだ。



 ***


「――で、お前の真の要求は何だ? 『手出しをするな』だったな。よろしい。お前の要求通りにしようじゃないか。具体的な範囲を言え。ワシの名において、今後は貴様に不利益な真似はせぬと誓おう」


 一刻も早く、この部屋から消えてほしい。

 ワシは最大限の譲歩を示した。


「そうだな。まずは俺の根城があるアースガルド王国。そして、地方都市イスファラを俺の『縄張り』にする。――後は、そうだな……俺の積み荷を扱っている商隊にも手を出すな。その安全を保障しろ」


 何かと要求の多い男だ。


 強欲な欲張り者め。

 先ほどの会話から、こいつの拠点がアースガルドにあること、そして何らかの「組織」を束ねる立場にいることは判明した。


 だが、具体的にどの勢力に属しているのかが依然として不明だ。

 おそらくは、どこかの野心ある大貴族が後ろ盾になっているはずなのだが。


 どの貴族の手の者かが分からねば、裏での根回しも約束の守りようもないではないか。


「剣士よ。貴様は一体、誰の命で動いておるのだ。それが分からねば、確実な約束などできまい?」


 ワシが探りを入れると、男は訝しむように首を傾げた。


「……お前ならば、すでに分かっているだろう?」


「…………」


 分からん。

 分からんから、こうして喉の渇きを堪えながら聞いておるのだ。


「見当がついているといっても、実務には確認が必要だ」


「……意外と慎重なんだな。まあ、そうだな『報告・連絡・相談』は大事だよな。良いだろう、教えてやる。俺の主人は『ゼノス・グリムロック』だ。彼が経営している【砂漠のデザート・スター】には、もう二度と手を出すなよ。いいな? それと――近々、ドワーフ領から新商品を売り出す計画も立てている。その商品の関税はゼロにしろ」


 新商品?

 しかも、関税をゼロにしろだと?


 無茶苦茶な要求の数々に、ワシは頭に血が上り、血管がはち切れそうになる。


 だが、耐えた。

 こいつはあまりにも得体が知れない。

 ……ここで下手に吠えて、プールの死体と同じ末路を辿るのは御免だ。


 ここは大人しく言いなりになっておくのが、現時点での最良の選択といえる。


「……ああ、わかった。全権を持つ部下たちにそのように伝えておこう」


 屈辱ではあるが、今は致し方あるまい。



 ***


 ワシは、ゼノス・グリムロックの使いを名乗る男の要求をすべて呑んでやった。


(これで、ようやくこの狂人も大人しく帰るだろう)


 胃の腑を焼くような緊張感から解放され、安堵の息を漏らそうとしたが――

 考えが甘かった。


「そういえばさあ、俺はこの街で香料を売ったんだけどさ」


 そいつは、突如として緊張感の欠片もない「世間話」を始めたのだ。

 ワシにとっては、砂粒ほどの価値もない、微塵も興味のない話である。


(要求はすべて受け入れただろう。もう、いい加減に消えてくれ!)


 心底そう願っていたが、それを正直に口に出して機嫌を損ねるわけにもいかない。

 渋々、不機嫌を隠して話を合わせてやることにした。


「……そうか。それで……それが何だというのだ?」


「なんかさ、販売代金が金貨じゃなくて、この国の紙幣で支払われてさ。でも俺はここに住むわけじゃないから、換金したいんだよ。――だからさ、お前が換金してくれ。いいだろ?」


 ふざけるな。

 ザハラ王国の大臣たるワシが、なぜそのような市場の小銭を扱うような雑事をせねばならんのだ。


(――だが、それで帰ってくれるのであれば、換金くらいは部下に命じて面倒を見てやろう)


「わかった。……後で部下に用意させる」


 ワシは了承したが、男はそれでは満足しなかった。


「いや、駄目だ。お前が直接用意しろ。――宿代で少し使ったが、大体金貨二百五十枚分の紙幣だ。これを今すぐ換金してくれ」


 男は持っていた紙幣の束を、プールサイドの高級な大理石のテーブルに乱暴に放り投げた。下賤な者たちの手垢にまみれた汚らしい紙を置かれ、強烈な不快感が募ったが、それは顔に出さないでおく。


 ……いや、それよりもコイツ、今「ワシが直接用意しろ」と言ったか?


「そう言われてもな。見ての通りワシはこうしてプールに入っているのだ。部下に運ばせるから、そこで待っておれ」


「そんな汚い水に浸かってたら病気になるぞ。早く出ろよ」


 ――お前のせいだろうがッ!!


 そう怒鳴りつけてやりたかった。

 死体を投げ込んでおいて、何だその言い草は……。 

 だが、この男は危険だ。怒らせたくはない。言うとおりにしておこう。


(……しかし、あれだな) 


 慌ててプールから出れば大臣としての威厳が損なわれる。

 何より今は全裸なのだ。


 だからこそ、こうしてここから出ずに浸かっておったのだが……。


(しかし、この男の言うとおりだ。このままでは病気になるかもしれんな)


 ワシは意を決して陸に上がり、タオルを取りに向かおうとする。


「待っておれ。すぐに金貨二百五十枚を用意さ……」


 その時、男に無造作に足を払われた。



 ***


 ドテン!


「ぐぎゃ……っ!」


 無防備な肉体が、硬いタイル張りのプールサイドに叩きつけられる。

 肺から空気が絞り出され、一瞬視界が白濁した。


「な、何を、ぐああっ!」


 剣士の男が、乱暴な手つきでワシの頭をぬめる地面へ押さえつけた。

 その瞬間――ワシはそいつの「魔力」に触れた。男の手からほんの少しだが、魔力が注ぎ込まれた。


 そいつが極限まで研ぎ澄ました――信じられない高みまで精錬された魔力に、直に接触してしまったのだ。


 それは、昏くて冷たい、純然たる闇の魔力だった。


 まるで無防備な心臓を、氷の爪で直に握られているような絶望的な恐怖が襲う。

 精神の深淵に、絶対零度の塊を突き刺されたかのような。本能的な死の恐怖が全身の細胞を駆け抜け、指先の震えが止まらなくなった。


「あっ、あぁ……あ、あっ……」


(こんな……こんな人間が存在してはならない。こんな邪悪な化け物が、この世にいていいわけがない。……そ、そうか、こいつは人間ではないのだ。人の形をした化け物……!)


 そいつは、ワシの醜い怯えなどには一切興味がなさそうに、何かをぶつぶつと計算するように呟いている。


「ちょっと待てよ。んー、そうだな。普通に交換するだけじゃ……ダメだ。それじゃあ、どうにも俺の気が収まらない。十倍……いや、ここは……」


 一体、何の話をしているのだ。

 ワシが混乱の極致にいたその時、男の声が耳元で冷たく響いた。


「おい、カリム。誰が二百五十枚に換金しろと言った? ……お前が俺に支払うのは――金貨二十五万枚だ」


 金貨、二十五万枚。


 ワシはその数字を聞いた瞬間、凍りついた思考の中で一つの事実を思い出す。

 ゼノス・グリムロックが闇オークションで散財した、金貨八十万枚。その商品を出品した『真の主』であるワシの取り分。


 ……それこそが、金貨二十五万枚。


 その大量の金貨は、ちょうど昨日――

 すべてこの王城の地下金庫へと運び込まれたばかりなのだ。


(これは、偶然か? ……いや、偶然なわけがない! ゼノス・グリムロックは、裏社会の金の流れのすべてを正確に把握したうえで、コイツを遣わしたのだ……!)


 この、底知れぬ恐ろしさを秘めた「魔人」を。


 ワシは全裸で頭を地面に抑え込まれながら、逃げ場のない底なしの恐怖と絶望に、ただ体を凍らせるしかなかった。

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