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第218話 ハッピーバースデー

 (悪徳大臣・カリム視点)


 ワシはこの砂漠の王国ザハラの頂点に君臨していた。

 外は肌を焼くような乾いた熱気が吹き荒れているが、ワシの周囲には常に涼やかな水音が響き、最高級の香油が漂っている。


 ワシの権能は、なにもこの国の内側だけに留まらぬ。

 裏社会に国境など存在せぬのだ。巨大な犯罪組織「サンド・ファング」を完全に支配下に置き、近隣諸国の暗部に対しても多大な影響力を保持している。


 無能な王族共を日陰に追いやり、実権を握り、富と権力を一点に集中させる。


 これこそが強者の義務。

 貧民共に施しを与える必要など、どこにあろうか。奴らなど放っておいても、壁の隙間で勝手に繁殖し、泥を啜って勝手に増える不浄な存在なのだからな。


 そんな世界のことわりさえ理解できぬ馬鹿王子のアジームは、国外の権力者と結託してこの国に混乱をもたらそうとしている。


 誠に愚かなことよ。


 奴の動きを抑え込むため、以前オークションで売り払ったあの王女姉妹を、脅しの材料として再び手元に取り戻すことに決めた。有能な秘書の男に仕事を任せてある以上、近いうちに絶望に染まった姉妹の顔を拝めることであろう。


 心配事など何一つない。

 ワシを脅かすものなど、この世のどこにもおらぬ。


 そう確信して、ワシは人生を謳歌していたのだ。


 ――だが、そんなワシの眼前に、一人の狼藉者が姿を現した。


 そいつは、無骨で大きな白い袋を背後へと引きずりながら、このハレムの深部へと足を踏み入れてきた。

 贅沢な水が溢れ、美しき女たちが集う至高の空間。

 そんな聖域にはおよそ似つかわしくない、砂埃と返り血に汚れた、薄汚れた風体の男だった。



 ***


(……入り口の警備員共は何をしている? 侵入を許すにしても、争う音すら聞こえてこなかった。音もなく叩き伏せたとでもいうのか)


 ワシが冷ややかなプールに浸かったまま、目の前の侵入者を冷静に分析しようとしていた、その時だ。

 侍らせていた女どもが、氷水を浴びせられたような悲鳴を上げ、「きゃー、きゃー」と一斉に騒ぎ出した。


「侵入者よ! 誰か、早く来なさい!!」


 五月蠅うるさくてかなわん。

 女の悲鳴は、時に神経を逆撫でする。


 その騒ぎを聞きつけて、すぐさま鋼の鎧を鳴らしながら衛兵たちが室内へとなだれ込んできた。


 本来、この場所に男が立ち入ることは禁忌だが、今は非常事態だ。

 入ってきたのは、入り口の警護を担当していたはずの二人の衛兵だった。


(……衛兵を倒して入ってきたのではないのか? ならば、こいつはどうやって門番の横を通り抜けたのだ?)


 ワシが思考の迷路に足を踏み入れた直後、男は唐突に、霧が晴れるようにその姿を掻き消した。


 網膜に焼き付いた残像が消え、次の瞬間――


 ドゴッ!!


 肺から空気を無理やり絞り出すような重苦しい打撃音と共に、二人の衛兵が、まるで紙屑のように勢いよく吹き飛んだ。


 壁に激突した鎧の軋む音が、室内に反響する。


(何が起こったのだ。……今の動きは何だ、魔法か?)


 あのような挙動を可能にする魔法など、ワシの膨大な知識の中にも心当たりがない。


 ともかく、こいつは底が知れん。

 喉の奥が、砂を呑んだように乾いていく。


(……慎重に対応する必要があるようだな)


 ワシはプールに浸かったまま、心臓の早鐘を必死に押し殺し、平静を装ってその男に問いかけた。


「随分と無礼な真似をしてくれるな。……貴様、何者だ?」



 **


 ワシの問いに対し、そいつは表情を一切変えず、平然と答えた。


「知ってるはずだ。俺が今日ここに来ることも、予測していたんじゃないのか?」


 そいつは、それがさも世界の摂理であるかのように言い放つ。

 だが、困ったことに、ワシにはこいつの名に心当たりなどまったくない。


(誰だ、こいつは? 会ったこともなければ、記憶の隅にも掛からぬぞ。……しかし、それを正直に言える雰囲気ではないな。こいつを、これ以上刺激するのは得策ではない。言葉を濁して、それとなく聞き出すとしよう)


「……まあ、そうだな。来るかもしれんとは思っていた。――来てほしくはなかったがな」


 ワシは、どちらとも取れるような曖昧な返答を投げた。

 奴に対話のボールを返し、さらなる情報を引き出す。


 政治家の常套手段だ。


「あんな奴らで、この俺を仕留められるわけがないだろう。随分と甘く見られたもんだ」


 ……「あんな奴ら」に「この俺を仕留める」、か。


 ふむ。


 そこでワシは、今朝がた秘書の男と交わした会話を思い出す。

 確か、地方都市イスファラでサンド・ファングを半壊させた不遜な男に対し、暗殺者を放ったと言っていた。


 最高ランクの暗殺者五人。

 それを紙切れのように返り討ちにして、ここまで辿り着いた。


 ……そういうことで間違いあるまい。


 ワシはそう推理し、コイツと交渉に及ぼうとして、ハタと気づいた。


(不覚にも、こいつの名前を覚えておらん。だが、こいつは『自分の名をワシが知っていて当然』というていで話しかけてきている。今さら名を聞き返せば、確実に激昂するだろう。何とか誤魔化して繋ぐしかない――確か『何とかの放浪剣士』という名であったはずだ)


「……で、ここに何をしに来た? 剣士よ」



 **


「……何をしに、か。――『話を付けに来た』っていうのが、本来の目的なんだ」


 男の声には、熱を奪うような冷たさが宿っていた。


「俺はただ、お前と話をして、こちらに手出ししないようになればいい、そう思っていた。本当にそれだけだったんだ。……でもな、それだけじゃあ、どうにも俺の気が晴れない。そこで、お前にプレゼントを持ってきたんだ。……受け取ってくれるよな?」


 受け取りたくなどない。

 精神状態が極限まで不安定な不審者からの贈り物など、欲しいわけなかろう。


 しかし、そう無下に断るわけにもいかない。

 これほどまでに危うい、時限爆弾のような奴を、下手に怒らせたくはなかった。


「……貢物を持ってきたか。いい心がけだ。ワシに話があると言っていたな。よろしい、お前を『対等な取引相手』として認めてやろう」


 この剣士は対話を、そして承認を求めている。

 ならば、尊大に振る舞いながらも受け入れるのが最適解のはずだ。


 すると、剣士は唇の端を歪め、不気味にニヤッと笑った。


「なんだ。随分と物分かりが良いじゃないか。俺はお前のような奴が好きだぜ。――わざわざ運んできたんだ。俺からの手土産……受け取ってくれよ、カリム」


 そいつは、引きずって持ってきた血の滲むベッドシーツに包まれた「それ」を、無造作に、そして力任せに上方へと放り投げた。


「ハッピーバースデー」


 剣士はそう口にしたが、ワシの誕生日は今日ではない。

 意味が解らん。


 だが、その疑問はすぐに、凄惨な視覚情報によって上書きされた。


 投げられた包みは空中でその重みに耐えきれず、中身を無慈悲に露出させ、バラバラに分かれてプールへと落下した。


 ドボ、ドボ、ドボ、ドボ!


(……なんだ、何を入れたのだ?)


 青く澄んだ水面に、それは次々と、ゆっくりと浮き上がってくる。


「……ッ」


 それは、残酷に――いくつものパーツへと切断された、紛れもない「人の死体」であった。おそらくは、コイツが返り討ちにした暗殺者たちの遺体なのだろう。


 切断面から滲む血が、プールの水を毒々しい赤色に変えていく。

 何があったかは知らぬが、この男は――底冷えするほどに怒っている。


「きゃー!!」


 ワシが唖然としている間にも、女たちが耳を裂く悲鳴を上げながら逃げ出した。

 プールから這い上がり、奴のいる入り口とは反対方向にある非常用の扉から、我先にと逃げ出していく。


 濡れた足音がパタパタと虚しく響く。


 それを咎めている暇などない。

 

 それよりも、まずは目の前に立つ、この常軌を逸した異常者をなだめること。

 それこそが――今のワシにとっての最優先事項であった。

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