第214話 あいつはもう、死んでいる
砂漠の王国ザハラを横断する商隊の護衛任務。その最中、俺たちは最悪のタイミングで三体の大型モンスターによる強襲を受けた。
背後の砂丘を噴水のように跳ね飛ばして出現したのは、グランド・サンドワーム。
さらに行く手には、陽炎のような熱気を纏った【砂焔の大蛇】ジャハル・ナーガと、不動の威圧感を放つ【砂岩の巨像】デザート・ゴーレムが、逃げ道を塞ぐように姿を現した。
これほど強力な魔物が三体同時に、しかも連携するように現れるなど、偶然の災厄であるはずがない。
暗がりに潜む三人の魔物使い。
その気配からして、これはカリム大臣が俺を仕留めるために送り込んだ、明確な「刺客」であった。
「……待ち伏せか」
俺は商隊の最後尾で、まずは背後に迫るサンドワームを引き付けていた。
砂を噛むような乾燥した夜風が頬を叩く。
商隊と積み荷の安全を確保するためにも、まずはこの巨大な肉の塊を手早く片付けておく必要がある。
全長三十メートル。
蠢く巨躯が月光を浴び、粘液で濡れた体表が不気味な青白い光を反射している。
その威容は、夜の闇そのものが形を成したかのようだった。
**
俺は跨っていたラクダから飛び降りて、身体強化の魔法を発動させた。
足元の砂が爆ぜるほどの力で、サンドワームの巨大な頭部を目がけて跳躍する。
「とうっ!」
俺の身体は弾丸のように夜風を切り裂き、まっすぐに敵へと肉薄した。
だが、その頂点に達した瞬間。重力に引かれるままに、俺の体は緩やかな放物線を描いて落下していく。
そこで――
俺はサンドワームに食われた。
空中に身を投げ出した無防備な俺は、奴にとって格好の餌食に過ぎなかった。
俺を飲み込んだサンドワームは、その質量に任せて巨体を地面へと叩きつける。
ドゴォオオオン!!
大地が悲鳴を上げ、砂煙が夜空を覆う。
本日三度目となる轟音が、静寂な砂漠を無残に震わせた。
***
一方、その頃――。
進行方向を二体の大型モンスターに塞がれたアル・ナジャット族の商隊は、完全に戦意を喪失していた。喉の奥まで乾き切るような絶望が、彼らの動きを縛り付けている。
彼らには、俺以外にも部族専属の護衛たちが付いていた。
だが、彼らは抜いた剣を震わせることすらできず、圧倒的な戦力差を前にして戦うことを放棄していた。
二体のモンスターは、ただそこに存在しているだけで、人間たちの精神をすり潰すような圧力を放っている。
【砂焔の大蛇】ジャハル・ナーガ。
鱗の一枚一枚が、熱を帯びた「焦げた赤銅色」を湛えている。
頭部には、呪術的な金色の模様が血脈のように刻まれていた。威嚇とともに逆立った首周りの鱗は、暗闇の中で「燃え盛る炎のたてがみ」のように揺らめく。
その橙色の瞳に見据えられた者は、魂まで凍りつくような恐怖に縛られ、動くことすら叶わない。さらにその大口からは、触れるものすべてを蒸発させる「高熱の吐息」の余熱が漏れ出していた。
一度遭遇すれば、まず生きては帰れない――
文字通りの化け物だ。
もう一体の【砂岩の巨像】デザート・ゴーレム。
太い丸太のような四肢を持ち、その指先は岩石をも容易に削り取る鋭い爪となっている。 痛みなど知るはずもなく、物理的な打撃をいくら浴びせようと、砂を散らす程度の効果しか望めない。
顔の中央には「土色に光る魔石」が埋め込まれており、それが唯一の弱点であることは明白だったが、あの巨躯を前にして的確に一撃を叩き込める勇者は、この場にはいなかった。
だが、商隊の面々は、ただ大人しく食われるのを待っているわけではなかった。
彼らは海千山千の商人だ。
到底勝ち目のない敵と争うよりも、交渉によってこの場を切り抜ける道を瞬時に選び取っていた。
もし敵が問答無用で殺しに来るならば、抗うしかなかっただろう。
だが、敵は姿を見せただけで、すぐさま襲い掛かってくることはない。
族長は、魔物を操る術者との対話で損害を最小限に抑えられるよう、一切の攻撃を禁じて沈黙を守らせた。
**
商隊の無抵抗を「恭順の意思」と見たのだろう。
魔物使いの一人が、影の中からぬらりと姿を現し、冷酷な声を響かせた。
「大人しく降伏し、こちらの要求に応えるのであれば、命までは取らん」
族長が青白い顔で前に進み出ると、震える声でその交渉に応じた。
「……わかった。降伏しよう。我々には抗う力はない。要求を言ってくれ」
フードを目深に被った男が、勝ち誇ったように条件を提示する。
「要求は積み荷の半分だ。それと――お前たちの護衛である『漆黒の魔剣士ゼノス』をこちらに差し出せ」
その言葉が落ちた瞬間、アル・ナジャット族の者たちから、堰を切ったように不満と罵声が噴出した。
「なんだ、あいつが狙いなのか!」
「やはりあいつは、災いを呼ぶ疫病神だったんだ!」
「領主の紹介とか言って、怪しいと思っていたが、やっぱりか!」
「あいつがいたせいで、俺たちはこんな目に……!」
「おい、あいつが狙いなら勝手に連れて行ってくれ! こっちだって迷惑しているんだ!」
散々な言われようである。
「だが、差し出そうにも、あのバカは向こうでサンドワームと戦ってるぞ」
「なあ、あんた、向こうのサンドワームを止めてくれよ! 逃げられたら困る!」 「ああっ! ――あいつ、今食われたぞ!」
「……おい。この場合はどうなるんだ? 要求に応えたことになるのか?」
自分たちの命が助かるチャンスだと知るや――
彼らは必死になって術者に問い縋った。
俺のあまりの嫌われぶり、そして「身内」から平然と売られる様子に、魔物使いの男も少なからず困惑の色を隠せないようだった。
***
さて、俺は「予定通り」サンドワームに食われた。
胃袋の内部には、獲物を効率よく粉砕するための無数の鋭い牙が、ノコギリのように生え揃っている。普通の人間ならば、飲み込まれた瞬間に一欠片の肉片も残さず挽肉になるところだ。
だが、俺には「精霊王の加護」がある。
その恩恵により、俺は「プロテクション」を百パーセントに近い精度で展開し続けていた。
ダメージこそ大幅に遮断しているが、周囲の筋肉が収縮するたびに、肋骨をミシミシと圧迫されるような不快感はある。胃液の鼻を突く酸っぱい臭いも、なかなかに強烈だ。
俺はサンドワームの体内に留まりながら、商隊の様子を詳細に把握していた。
事前に商隊の積み荷には、発信機兼盗聴器を仕込んであるのだ。
旅の途中で、はぐれた場合に備えた万一の措置だったが……。
彼らの醜い会話は、すべて俺の耳に筒抜けだった。
やはり、魔物使いはカリム大臣の差し金であり、狙いは俺個人。
(それにしても、そこまで嫌われていたとはな……)
不審がられている自覚はあったが、これほどの勢いで「バカ」だの「差し出す」だの言われると、地味にショックを受ける。
だが、感傷に浸っている暇はない。
俺は今、巨大な化け物の腹の中にいるのだ。
まずはこの湿った監獄から脱出することが先決である。
**
俺は左手に、溢れんばかりの膨大な魔力を凝縮させた。
その手を鋭い手刀の形に整え、サンドワームの分厚い内壁へと容赦なく突き立てる。
ズシュッ!!
俺の手は敵の牙を叩き折り、深々とその肉の奥深くまで刺さる。
そこで凝縮させておいた魔力を、敵の循環器官へと直接注入した。
その後、俺は手を引き抜き、「転移」の魔法を発動させる。
視界が切り替わった先は、サンドワームを操っていた術者の、すぐ背後だった。
おおよその位置は見ていたので、半ば当てずっぽうの転移だったが、位置取りは完璧だ。俺はフードを被ったその男の後頭部を、無慈悲に鷲掴みにした。
ガシッ!!
「ひっ!? な、まだ仲間がいたのか! いつから後ろに……!」
伏兵が潜んでいたと思い込み、男の心臓が早鐘を打つのを感じる。
恐怖に喉を鳴らしながら、男は必死に魔物へ命令を飛ばした。
「さ、サンドワーム! 俺ごとで構わん、この男を食え!!」
自分を犠牲にしてでも俺を捕食させようとするとは、なかなかに気骨のある判断だ。敵ながら天晴れと言ってやりたい。
だが、もう遅い。
「無駄だ。……あいつはもう、死んでいる」
俺が冷たく告げた瞬間、サンドワームの巨体は内側からはじけ飛んだ。
『時限式爆裂魔法』
あらかじめ奴の体内に流し込んでおいた魔力が臨界を迎え、内側から巨体を粉砕した。
――ドゴォォォオオオン!!
四散したサンドワームの残骸が、肉の雨となって砂漠に降り注ぐ。
その中心で、巨大な火柱が鮮烈な朱色を描き、夜空を支配した。




