第211話 盗賊退治と話し合い
俺は砂漠の夜を支配していた。
空には冷え冷えとした三日月が掛かり、遮るもののない荒野に鋭い影を落としている。護衛対象である「アル・ナジャット族」の商隊が砂煙を上げて遠ざかるのを見届け、俺は一人、静寂の中に留まる。
岩砂漠の影に潜んでいた盗賊団「サンド・ファング」どもが、逃げていく獲物を追おうと、飢えた獣のような勢いで迫ってきた。
辺りは深い闇に包まれているが、闇属性魔法『暗視』を発動している俺の視界は、昼間のような明瞭さで世界を捉えている。熱を失った砂の粒子一つ一つまでが、青白い輪郭を持って浮かび上がっていた。
敵の数は、ちょうど二十。
(……思ったよりも少ないな。やはりイスファラでの損失が響いているのか)
だが、二十頭もの巨体なラクダが群れをなして突進してくる圧力は、物理的な質量となって空気を震わせる。
盗賊たちは松明を掲げ、あるいは魔法による視覚補佐の光を瞳に宿し、唯一の障害物である俺の姿を明確に捉えていた。
俺は跨っていたラクダから、羽毛のような軽やかさで悠然と飛び降りた。
ブーツが乾いた地面を踏みしめる。一歩、また一歩。 迫りくる暴力の奔流を前に、俺は逃げるどころか、迎え撃つべく前進を開始した。
右手には、白銀の刃「クロノス・ヴァイス」が握られている。
抜身の剣が夜風にさらされ、キィンと微かな鳴き声を上げた。
**
盗賊の一団が肉薄する。ラクダの荒い鼻息が白く混じり、砂を蹴る蹄の音が鼓膜を直接叩くような轟音へと変わる。
ラクダを降り、徒歩で向かってくる俺の無謀な姿を訝しんでいるようだが、奴らに止まる気配はない。むしろ、一人で立ち塞がる愚か者を嘲笑うかのように、速度を一段と上げた。
目の前の人影など、言葉を交わす価値すら感じていないのだろう。
彼らの狙いは、アル・ナジャット族が運ぶ莫大な富。
俺などは、道端に転がっている石ころ同様、踏み潰して通り過ぎるだけの些細な障害物。奴らの瞳には、その程度の認識しか映っていなかった。
抜き放たれた奴らの長剣が、月光を反射して鈍く、毒々しく光る。
すれ違いざまに俺の首を飛ばすか、あるいはラクダの巨体で圧殺するか。
彼らがどのような排除方法を想定していたのかは知らないが、俺という存在を致命的なまでに侮っていることだけは、その歪んだ笑みから容易に察しがついた。
激しい蹄の音が、俺の数メートル先まで迫り、土埃が鼻腔を突いた――
その瞬間。
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俺は『加速魔法』と『プロテクション』を同時に起動させた。
ドクン、と心臓が一度、力強く脈打つ。
世界から色が消え、すべてが凍りつく。
音のない静寂の世界――
時の止まった極限の支配下で、俺だけが自由を許されていた。
猛スピードで突進していたはずのラクダも、この世界では虚空を泳ぐスローモーションの残像に過ぎない。俺は正面から迫る巨大な鼻先を容易く回避し、その横へと滑り込むように回り込む。
ラクダの鞍に手をかけ、軽やかに跳躍。
重力すら無視したような流れる動作で、騎乗している盗賊の首筋へと「クロノス・ヴァイス」を添え、一息に薙ぎ払った。
無音の世界。
手応えは驚くほど軽い。
だが、鋼の刃が肉と骨を断つ特有の振動だけが、掌に鮮明に伝わってくる。
切り離された頭部が、胴体からゆっくりと離れ、重力から解き放たれた風船のように宙へ浮く。
俺はその「単純作業」を、一分の狂いもなく十五回繰り返した。
身体強化すら必要ない、あまりにも一方的で残酷な蹂躙。
『加速魔法』を解除した瞬間、せき止められていた因果が、爆発的な勢いで現実へと噴出した。
――ザシュゥウウウッ!!
幾重にも重なった鋭い斬撃音が、一夜遅れの雷鳴のように荒野を震わせた。
遅れて噴き出した熱い鮮血が夜の冷気に触れて霧散し、十五個の頭部が放物線を描いて一斉に夜空へと舞い上がった。
***
数分後。
俺の目の前には、五人の盗賊が「正座」をさせられていた。
砂漠のならず者にとって、膝を折り、背筋を伸ばすこの姿勢は未知の苦痛だろう。
だが、誰一人として姿勢を崩そうとはしない。
わずかでも動けば、先の十五人と同様に首が飛ぶ。
それを本能、いや細胞レベルで理解させたからだ。
十五人の首を瞬時に刎ね飛ばした後、俺は再び『加速魔法』を使い、後方に控えていた残りの五人に肉薄した。
静止した世界で、一人ずつの顔面に正確に拳を叩き込む。
岩場に叩きつけられた彼らは、何が起きたか理解できぬまま、口内に広がる鉄の味と激痛の中で四つ這いになっていた。
主を失い、所在なげに立ち止まっているラクダたちは、後でまとめて回収すればいい。まずは、この命知らずな五人と「対話」をするのが先決だ。
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のたうち回っていた盗賊たちも、ようやく辛うじて跪ける程度には回復した。
しかし、その瞳には光がない。
仲間の首がまとめて夜空に咲き、次の瞬間には自分たちが地面を舐めていた。
視神経すら追いつかない「神の業」を前にして、彼らの精神は限界まで摩耗し、乾いた砂のように崩れかけていた。
目の前に立ち塞がる「漆黒の魔剣士」が、どのような原理で自分たちを壊滅させたのか、奴らには想像すら及ばないだろう。
人知を超えた、理解不能な暴力。
それこそが、野生の獣を飼い慣らす際に最も効果的な「恐怖」という名の教育となる。
「……そこに、正座して座れ」
俺の静かな、だが拒絶を許さない命令に、五人は異を唱えることなく従った。
***
しかし、時間が経つにつれ、混乱が麻痺した脳内で徐々に冷静さへと上書きされていく。絶望的な実力差を突きつけられながらも、ならず者特有の安い虚勢が、再び鎌首をもたげ始めたのだ。
リーダー格と思われる、顔に古い傷を持つ男が、代表して俺を睨みつけてきた。
その額には恐怖の汗が滲んでいるが、口元だけは不遜に歪んでいる。
「お、おい……一体何なんだ、てめぇは……っ。これをやったのは、本当にお前なのか? 俺たち『サンド・ファング』にこんな真似をして、タダで済むと思っているのか……! 大臣が黙っちゃいねぇぞ!」
俺はその弱々しい恫喝を、鼻で笑い飛ばした。
「俺の名前は『漆黒の魔剣士ゼノス』だ。貴様らの命を助けてやってもいいが、一つだけ条件がある。俺の命令には、以後、絶対服従だ。二度と逆らうな」
「ふざけんな! てめぇのような得体の知れない化け物の犬になるくらいなら、いっそ死んだ方が――」
男の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。
再びの『加速魔法』。
瞬きする間もなく、男の首が胴体から滑り落ち、虚空を舞った。
正直、魔法を使うまでもない相手だったが、あえて使った。
人は「目に見える超絶的な剣筋」よりも、「何が起きたか分からない現象」を根源的に恐れるからだ。
ドサリ、と音を立てて崩れ落ちるリーダーの死体。
突如として吹き抜けた不自然な風と、その後に訪れる死の静寂。残された四人は、もはや悲鳴を上げることすら忘れ、喉をヒクつかせて固まっていた。
俺は、なおも不遜な態度を完全には捨てきれなかった、隣の一人の頭に、静かに手を置いた。
掌から、凝縮された闇の魔力を、直接脳内へと流し込む。
「――あ、が、あぁ、あぁああああああ!!!」
そいつは正気ではいられないほどの、神経を焼き切るような激痛に悶絶し、数秒と経たずに絶命した。
凡庸な肉体と精神では、俺の魔力に直接触れることすら叶わない。
「ば、化け物……お前は、悪魔だ……」
生き残ったのは三人。
全身を、逃れられない恐怖の震えに支配された、組織の末端どもだ。
この手の輩は、自分たちの理解を越えた圧倒的な「恐怖」に対しては、驚くほど従順で忠実な家畜になる。
「……さて。お前たちはどうする? 俺に従うのであれば、その汚い頭を地面に擦り付けろ」
俺が低く告げると、三人の盗賊は競い合うようにして、砂に額を擦り付けた。
ガチガチと歯を鳴らしながら、命乞いの言葉すら忘れて。
もはや彼らの中に、俺に抗おうなどという気力は、塵ほども残っていなかった。
砂漠の夜風が、血の匂いを遠くへと運んでいく。
新しい「手駒」を手に入れた俺は、暗闇の先にある次なる獲物へと、冷たい視線を向けた。




