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第209話 地下貯水池の奇跡

 俺は現在、砂漠の国ザハラ王国に滞在している。

 一歩外へ出れば、肌を焼く灼熱の太陽と、肺の奥まで焦がさんばかりの乾燥した熱気が襲ってくる。


 まさに命を削るような環境だが、領主サーメフの屋敷内に一歩足を踏み入れれば、そこには特権階級だけに許された静謐な涼しさが保たれていた。厚い石壁が熱を遮断し、廊下には高価な香油の香りが微かに漂っている。


 この快適すぎる環境のなか、俺はサーメフたちと今後の打ち合わせを進めていた。


 冷えた果実水が喉を通るたび、砂漠の過酷さが遠い世界の出来事のように感じられる。だが、甘い休息に浸るつもりはない。カリム大臣と対峙する前に、まずは足元を固める必要がある。


 味方――というか、実質的に俺の配下となったサーメフとの支配関係を、疑いようのないほど盤石にしておくのだ。恐怖と利益、その両面で奴の魂を縛り上げねばならない。


「まずは水問題だ。俺が何とかしてやる。地下の貯水池へ案内しろ」


 俺がそう告げると、サーメフは持っていた銀の杯をカチャリと震わせ、困惑の表情を浮かべた。


「……正気ですか、魔剣士殿? カリム大臣の手によって給水路が封鎖されたのですぞ。それを個人がどうにかするなど、果たして……」


 サーメフは未だ半信半疑のようだが、カリムとの対立が決定的になった今、俺という劇薬に縋る以外に道はないはずだ。奴の瞳の奥には、溺れる者が藁を掴むような、浅ましい期待と不安が入り混じっていた。



 ***


 案内されたのは、ザハラ王国の血管ともいえる地下水路「カナート」の終着点だった。

 網の目のように張り巡らされたこの水路から運ばれる水こそが、乾燥した大地に咲くあだ花、この国の生命線だ。


 イスファラの街に届く水は、この領主の館の真下にある巨大な貯水池に一括して蓄えられる。

 重厚な鉄の扉を開け、螺旋階段を降りていく。湿り気を帯びた空気が肌にまとわりつき、深淵へと続くような暗がりの先から、微かな水の爆ぜる音が反響していた。


 そこは、直径約五十メートル、深さ二十メートルを超える圧倒的な地下空間だった。都市の全住民が一ヶ月は余裕で凌げるほどの貯水能力を誇るというその場所は、まるで地下に築かれた神殿のような荘厳さがある。


 「風のバードギール」と呼ばれる地上の換気塔が、煙突のように地表の熱を吸い出し、地下を常に冷涼に保っているのだ。

 ひんやりとした冷気が、壁の隙間を通じて高級宿や貴族の屋敷へ送られる。「天然の冷房」として機能しているらしいが、その構造は不平等だった。


 カナートから出たばかりの「最も清らかで冷たい水」が、まず領主の庭園の噴水を潤し、色とりどりの花々を咲かせる。

 そしてその「残り物」が地下の池に溜まり、さらにそこから溢れた分が市街地へと流れていく。

 最も低い場所にある一般居住区の民は、水税を払い、泥混じりのぬるい水を分け合う。


 上流を領主が握っている以上、市民は喉が乾いても反乱など起こせない。

 水の一滴が、首輪の鎖と同じ役割を果たしているのだ。


(……この街のスラムにだけは、絶対に住みたくないな)


 俺はそんな冷めた感想を抱きながら、暗い地下で力なく揺れる水面を見下ろした。――今はまだ余裕がある。だが、供給が途絶えた今、一カ月後には底が見えるほどに干上がるだろう。



 ***


 地下空間は涼しいはずだが、肝心の水の供給が断たれているため、空気は停滞し、絶望的な静寂が支配していた。

 松明の火に照らされたサーメフたちの表情は、一様に昏い。


「それで、漆黒の魔剣士殿。この状況を、どう打開なさるおつもりで?」


 サーメフが懃懄無礼な口調で問いかけてくる。

 俺をこの状況に引き込んだ張本人だと八つ当たりしたい気持ちは分かるが、その脂ぎった口髭と、不安で小刻みに震える小太りな図体は、見ているだけで癪に障る。


「まあ、黙って見ていろ。貴様のような凡夫との、出来の違いを見せてやる」


 俺はカナートの巨大な注ぎ口の前まで、悠然と歩み寄った。

 そして懐から、一石の「水の魔石」を取り出す。


 ドワーフ領のアイゼン山脈から出土した、城が買えるほどの超高級品。

 それは地下の微かな光を吸い込み、深海のような蒼い輝きを放っていた。


 そこに、俺の規格外の魔力を、容赦なく注ぎ込む。

 心臓の鼓動が高鳴り、指先から魔力の奔流が魔石へと流れ込んだ。


 ――ドォオオオオッ!!


 地下空間が震動し、鼓膜を震わせる轟音が響き渡った。

 次の瞬間、空っぽだった水路の奥から、清らかな真水の奔流が文字通り「爆発」するように溢れ出した。もの凄い勢いで石造りの水路を走り抜け、落差のある貯水池へと叩きつけられていく。


「な……っ!?」「おおっ!」「これほどまでの水量を、たった一つの魔石から……!?」「凄いですわ、ゼノス様! なんて美しい水の輝き……!」


 サーメフと二人の息子が腰を抜かさんばかりに驚愕し、フィラーマが歓喜の声を上げて俺の腕に縋りついた。



 **


 この世界には魔法がある。

 だが、水は依然として神の恵みであり、貴重な資源だ。


 魔法を使える者は限られ、さらに水属性の適性を持つ者はその数分の一に過ぎない。才能ある貴族が血の滲むような修行を重ねたところで、一日に生み出せる水などバスタブ数杯分が関の山なのだ。


 だが、俺は「ゲーム世界のラスボス」として転生した男だ。

 魔力総量も、出力の桁も、この世界の常識を軽々と飛び越えている。


 俺の手の中の魔石から、水は途切れることなく溢れ続け、瞬く間に広大な貯水池を澄んだ水で満たしていった。

 もともと減り始めていた分を補充しただけなので、俺にとっては準備運動にもならない程度の労力だ。手の中の魔石も、その輝きを一切失っていない。


 荒れ狂う滝のような音のなか、俺は呆然と立ち尽くすサーメフに視線を向けた。


「俺に従っているうちは、こうして水を恵んでやる。安心しろ、この町を干上がらせるような真似はさせん」


 サーメフは目の前で起きた「奇跡」に放心し、言葉を失っていた。

 やがて、壊れた人形のように何度も何度も深く首を縦に振った。


 もはや、彼の中に俺に対する疑念は微塵も残っていないだろう。

 あるのは、理解不能な強者への絶対的な服従だけだ。


 地下での「デモンストレーション」を終えた俺たちは、今後の具体的な指針を固めるため、再び地上の執務室へと戻った。



 **


 ちょうど昼時、テーブルにはスパイスの香りが食欲をそそる豪華な食事が並べられた。俺の隣には当然のようにフィラーマが陣取り、その柔らかな身体をぴったりと寄せてくる。


 彼女から漂う甘い香りと熱を感じながら、俺は本題を切り出した。


「方針は決まった。まずは『砂のサンド・ファング』の連中を、順次潰していく」


 俺の言葉に、部屋の空気が一気に引き締まる。

 すでに使い魔の魔人アシュラフをカリムのもとに放ち、情報の筒抜け状態を作っている。奴らがいつ、どこの商隊を狙うのか、襲撃予定はほぼ俺の掌の上にある。


 カリム大臣の支配力は、水の独占と、犯罪組織による恐怖政治という二本柱で成り立っている。


 砂漠の都市にとって交易路は命綱だ。

 商隊が頻繁に襲われれば経済は疲弊し、物資は滞る。


 イスファラの支部は俺が半壊させたが、カリムはすでに他都市の組織を動かし、この街と関連のある商隊を狙わせ始めている。それは、徐々に都市の体力を奪い、飢えさせる、陰湿なボディーブローのような攻撃だ。


「犯罪組織を潰す? ……そんなことが出来れば苦労はしない」「この果てしない砂漠のなかで、神出鬼没の盗賊どもをどうやって捕まえるというのだ」「そんな絵空事を言うなら、勝手に干からびて死ねばいい」


 サーメフの息子二人が、不機嫌を隠そうともせずに吐き捨てる。

 俺はそんな無能な羽虫どもを一瞥もせずに続けた。


「構成員を物理的に削っていけば、被害も自ずと消える。――まあ、任せておけ」


 カリムといえど、表向きは王国の大臣だ。

 正規軍を大々的に使って商隊を襲うような真似はできない。だからこそ、汚れ役の犯罪組織が必要なのだ。

 ならば、その手足を一本ずつ、根元から引き抜いてやればいいだけの話。


 俺の劇場に手を出したことを、死ぬほど後悔させてやる。

 そんなことを思いながら、俺は目の前の肉をナイフで断ち切った。

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