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第208話 信頼関係の構築

 王立魔法学園「アルカナム」が冬期休暇に入った。


  歴史ある校舎の尖塔を覆う空は重く垂れこめ、灰色の雲からはチラチラと白い粉雪が舞い落ちている。吐き出す息は瞬時に白く染まり、季節の深まりを肌で感じる季節だ。


 まとまった期間、王都を離れることのできるこの好機に、俺は砂漠の国の悪徳大臣、カリム・アルハキムとの「対話」を進めることに決めた。


 「転移の魔人」アシュラフを使い、情報収集は万全だ。

 アシュラフがどのような目的で俺に恭順しているのかは未だ不明だが、これほど使い勝手のいい駒もいない。


 危険人物である彼を重要拠点に接触させるのは避けるべきだが、犯罪組織の動向を探らせる程度なら問題ないだろう。


 魔人にとっても、取るに足らない情報なら与えても構わない。


 俺の統治するドワーフ領からは、ザイツ商会を通じて上質な水の魔石も届いた。

 準備は着々と進行している。



 ***


 グリムロック邸の中庭では、連日「キラー・マシーン」の操作訓練に励んでいた。


 鋼鉄の機体が発する駆動音と、雪を跳ね飛ばす鋭い多脚の動き。その最中、視界の端で小さな影が激しく動くのが見えた。


 エイルだ。

 彼女は整備用のスパナを握ったまま機体のもとへ駆け寄り、何かを必死に身振り手振りで伝えている。


 俺は現在、『写し身の魔法』によって多脚戦車のコアの中に意識を潜り込ませている。空間把握能力による視覚情報は完璧だが、物理的な「鼓膜」を持たないこの機体では、周囲の音声までは拾えないのが難点だ。


 エイルが口を必死にパクパクさせ、ウサギのようにぴょんぴょんと飛び跳ねている姿は、なんとも可愛らしい。


 俺は機体を自室の本体まで戻し、意識を移し替えてから目を開けた。


「……ふぅ。いったい何事だ?」


「ゼノス様の懐にある機械が、先ほどから音を発しておりました」


 懐に忍ばせていた小型の通信魔道具を確認すると、緊急の信号が刻まれていた。


(カリムが動いたか)


「エイル、訓練を中断する。しばらく留守にするが、機体の整備と改良を頼むぞ」


「お任せください!」


 俺はエイルと短い別れの抱擁を交わし、身支度を整えて屋敷を後にした。



 ***


 ザハラ王国の地方都市イスファラ。

 領主サーメフ・ザカリアの屋敷にある、俺専用の客室へと転移した。


 ムワッ、とした熱風が、転移直後の全身を乱暴に包み込む。

 先ほどまで冬の装いでいた俺にとって、砂漠の灼熱は凶器に等しい。無人の客室にはまだ魔法空調が効いておらず、淀んだ熱気がサウナのように部屋に充満していた。


 俺は額にじわりと浮いた汗を手の甲でぬぐう。

 そして、アシュラフからコピーした「気配遮断」を維持したまま、まずは部屋の中を入念に調査することにした。


 協力関係の見返りとして提供させたこの一室だが、案の定、不審な魔力反応がいくつも混じっている。


(なるほど。壁と椅子の裏、部屋の装飾に一つ、そしてベッドの脚の付け根か……)


 壁紙のわずかな隙間、重厚な椅子の裏、そして一見高価そうな花瓶の底。

 探れば探るほど、小賢しい仕掛けが出てくる。


(盗聴用に盗撮用……ほう、これは指向性の小型爆弾か。まったく、念が入っているな)


 これほど高性能な魔道具を惜しげもなく並べるとは、サーメフも俺一人のために随分な「投資」をしたものだ。


 だが、そんな小細工も俺の前ではすべてが無駄に終わる。

 学園での真面目な学習成果と、俺の天性とも言える魔力感知能力を合わせれば、これらが発する微弱な魔力波形を看破するのは造作もないことだ。


 爆弾から慎重に火属性の魔石を抜き取り、無力化を完了させる。


「さて、挨拶に行くとしようか」


 俺は回収した「戦利品」を手に、フィラーマの部屋へと向かった。



 **


 コンコン、と規則正しく扉を叩く。

 その音が響き終わるより早く、扉が勢いよく開き、フィラーマが弾けるような笑顔で飛び出してきた。


「お会いしたかったです、ゼノス様!」


 ガバッ!


 間髪入れぬ熱烈な抱擁。

 薄手のドレス越しに豊満な胸が押し付けられ、ジャスミンのような甘い香水の香りと、砂漠の乙女特有のわずかな汗の匂いが鼻腔をくすぐる。


 廊下の角で見張りをしていた衛兵が「い、いつの間に……」と驚愕のあまり槍を落としそうになり、一人がその場を離れ、主への報告のために慌てて走り去るのが見えた。


「俺も会いたかったぞ、フィラーマ」


 俺は、まだその場に張り付いているもう一人の衛兵に見せつけるように、彼女の柔らかな腰を強く抱き寄せ、耳元で囁く。


「あっ……ん、そこは恥ずかしいですわ。続きは……お部屋の中でゆっくりと……」


 フィラーマに潤んだ瞳で誘われるが、今は優先すべき事項がある。


「その前にサーメフと話がある。お楽しみは後だ」


「……そうですわね。とうとう、街への水が止められてしまいましたもの。今日ばかりはお仕事の話が先ですわね」


 彼女は俺に危機を知らせた張本人だというのに、妙に落ち着き払っている。

 俺の実力を信じきっているのか、あるいは何も考えていないだけなのか。


 その内心だけは、未だに掴ませない女だ。

 


 **


 フィラーマを伴って執務室に入ると、サーメフはいつもの柔和な仮面を被って俺を出迎えた。だが、その瞳の奥には隠しきれない焦燥が滲んでいる。


 脇に控える二人の息子はさらに分かりやすい。

 俺への憎悪と現状への不安で、顔が歪んでいる。


「よう、久しぶりだな」


 陽気に挨拶すると、親子揃って苦虫を噛み潰したような表情になった。


「……漆黒の魔剣士殿。よくもまあ、この状況でこれほど暢気に……いえ、お待ちしておりましたぞ。周知の通り、カリム大臣が給水を完全に停止させました。本当に、あなたに勝算はあるのでしょうな?」


「なに、カリム如き俺の手にかかれば一捻りだ。余計な心配をせずに任せておけ」


 俺が軽く請け合うと、後方にいた二人の息子が限界を迎えたように叫び声を上げた。


「本当だろうな! 貴様の勝手な振る舞いのせいでこうなったんだぞ!」 「嘘なら今すぐ八つ裂きにしてやる! 貴様を殺して大臣に差し出したいのを、我々は必死に我慢しているんだぞ、この疫病神が!」


 唾を飛ばしながら罵詈雑言を浴びせてくる息子たち。

 俺はそんな彼らを、視界の端に映る羽虫でも見るような目で完全に黙殺し、部屋で一番上等なソファへと優雅に腰を下ろした。


「まあ、なんとかなるさ。気楽にいこうぜ、サーメフ」


「気楽に、と言われましても……都市の命運がかかっているのです。それに……」


 サーメフが言葉を切り、鋭く、そして濁った視線をこちらへ向けてくる。


「……そもそも、貴様が我々を裏切らないという保証がどこにある。この街を混乱に陥れて、最後は自分だけ逃げるつもりではないのか?」


 なるほど。

 疑心暗鬼と、自分の小細工が効いているかどうかの確認というわけか。


 俺は、テーブルの上に「戦利品」――

 回収した盗聴器と爆弾を無造作にぶちまけた。


 ガラガラ、ゴトンッ。


 乾いた音を立てて、俺の部屋から回収した盗聴器、盗撮機、そして魔力を抜いた爆弾が、磨き上げられたテーブルの上を無残に転がった。


 サーメフの顔から一気に血の気が引いた。

 息子たちとフィラーマは、何が起きたのか分からず呆然としている。どうやら領主の単独犯だったらしい。


「しっかりと守ってやるさ。だから俺を信じろ。……これくらいの手品、造作もなく見破る程度の実力はあるんだ。な?」


「こ、これは……その……」


「ああ、気にするな。怒っちゃいないさ。ただ――」


 俺は笑顔のまま、凍りつくような圧を込めて付け加えた。


「バカ息子二人の態度は改めておけ。これは命令だ。いいな?」


 サーメフは震えながら、「か、かしこまりました……」と深く頭を下げた。

 どうやら、この男と強固な信頼関係を築くことができたようだ。

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