第199話 砂漠の地方都市
俺は学園の休日を選んで、ザハラ王国の地方都市のひとつである、『イスファラ』に転移した。
あらかじめ、「転移の魔人」アシュラフを派遣し、位置情報を取得してこの場所への移動を可能にしてある。
ザハラ王国はアースガルド王国と、アドラステア帝国の南方にある。
東西に長く伸びる砂漠地帯を領土としている。
その国土の西方にイスファラは位置する。
アースガルド王国から最も近いザハラの地方都市だ。
転移すると、乾いた灼熱の熱気が、熱した鉄板のように肌を包む。
アースガルド王国は秋も深まり肌寒い日々となっているが、この国は基本的に一年中熱い。息を吸い込むと、肺の奥まで焼けるような乾燥した空気が入り込んでくる。
しかし、夜間は急速に冷え込み、冬場は氷点下まで気温が下がるという。
極端な気候だ。
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地方都市イスファラの空は晴天。
雲一つない蒼穹から、容赦ない陽光が降り注いでいる。
町の中心部には巨大なドーム型の交易市場があり、今日も賑わいを見せていた。
俺は人けのない裏路地に転移し、そこから中心部へと歩き出す。
日陰になっているはずの路地にも熱気が籠り、腐敗臭と香辛料の匂いが混ざり合った独特の臭気が鼻をついた。
俺はこれから、カリム大臣と話をするつもりだ。
交渉するためには、まず相手を知らねばならない。
だからこそ、悪徳大臣が支配するこの砂漠の地を自分の足で歩き、奴の影を探ることにした。
カリムとの対話は、すでに始まっている。
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(……監視されているな)
治安の悪い区域だ。
見慣れぬ旅人がいればすぐにマークされる。
後ろを付けてくる者がいるが、気付かないふりをして先に進む。
視線の主は巧みに気配を消しているが、俺には筒抜けだ。
この辺りは貧困地区のためか、土埃が舞い、建物は荒廃している。
日干し煉瓦の壁はひび割れ、崩れかけている家も多い。水も不足しているのだろう、地面は干上がり、草一本生えていない。
遠目に見える領主の館は、白漆喰で塗られた豪華な建物だ。
太陽を反射して眩しく輝くその白さは、周囲の茶色くくすんだ世界の中で異彩を放っている。館を囲う壁の上には、豊潤な植物の緑が付きだしていた。
館の敷地内だけは贅沢な植栽があるらしい。
水が潤沢にある証拠だ。
きっと噴水なんかもあるのだろう。
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俺は町の中心の市場に来た。
貧困街に近いこのあたりの露店は粗末なものが多い。
ほとんどは地面に布を広げただけの小さな商い。
地元産の香辛料や工芸品、それに食料を扱っている。ハエがたかる干し肉や、色の悪くなった果物。それを売る商人の目は、どれもぎらぎらと飢えている。
俺は朝食を取ってきたので、買い食いはしない。
市場を領主の館のある方に進むと、段々と露店も立派になっていく。
領主の館の側にある屋台は、巨大なテントに店を構え、衛兵の保護を受けている。極彩色の布で作られたテントの下は、外の熱気が嘘のように遮断されているのだろう。
(私兵ではなく衛兵。権力者の保護を受けているのか……)
貧困層の客は砂埃にまみれた、くすんだ色の粗末な衣装を着ていて、多くは痩せ細り、疲労や不安の表情を浮かべていた。彼らの乾いた唇からは、言葉少なに値段交渉をする乾いた声しか聞こえない。
対して、富裕層の客は白や淡い色の高級な麻や綿の衣装をまとい、装飾品を身につけている。ジャラジャラと金細工の触れ合う音をさせ、高価な香油の香りを漂わせている。
護衛の私兵や、衛兵を引き連れている者もいた。
貧富の差が激しく、中間層が存在しない感じだった。
これは支配構造の歪みがもたらす、典型的な病巣だ。
売っている物も地元産の香辛料や乾燥果実、素朴な砂漠の工芸品などは銅貨で売買されている。
富裕層向けのきれいな飲料水(1樽)、小麦粉(1袋)、乾燥肉などは金貨での取引となる。1枚から5枚程度だった。
帝国製の鉄剣や、硬質な防具は3~15金貨。
王都産シルク生地、王都の貴腐ワイン、王都貴族の化粧品は10~50金貨。
水一樽が金貨一枚。
命の値段が可視化されているようだ。
ざっと見て回ったが、魔石などの魔道具関連商品は見当たらなかった。
(おそらくは、領主が独占しているのだろう。市場には出回らないようだ)
転移能力のある俺が、王都で高級品を買いこの町に持ち込めば、いい小遣い稼ぎができそうだ。
(市場を荒らすような悪手は打たないがな)
この町にはこの町のルールがある。
下手に介入して引っ掻き回せば、どんなしっぺ返しがあるかわかったものではない。
富裕層用の露店の前を歩く俺を、衛兵や護衛たちがそれとなく見ていた。
彼らの視線は値踏みするようで、不快だ。
俺の格好は「漆黒の魔剣士ゼノス」スタイルだ。
変身の指輪は身に着けていないが、ここで知り合いに会うこともないだろう。商隊の護衛をしている旅の剣士が、市場を見て回っているという設定だ。
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俺は一通り市場を見て回ってから、宿を取ることにする。
市場の富裕層むけのテントの近くにある高級宿――
【黄金の砂】。
白漆喰の壁に、鮮やかな青いタイルで装飾された豪華な建物。
屋上には美しいバルコニーと日よけの天蓋がある。
その優雅な佇まいは、周囲の喧騒を拒絶しているかのようだ。
ここにしよう。
入ろうとする俺を、警備兵がそれとなく妨害する。
槍を斜めに構え、無言の圧力をかけてくる。
「どのような御用でしょうか?」
丁寧な対応だが、顔は笑っていない。
明らかに部外者を警戒している。
この宿は王都から派遣された役人や、カリム大臣に近しい裕福な特権商人。
他都市からの有力な取引相手が泊まる場所だ。
得体のしれない旅人が、泊まれるほど安くはない。
「客だ。金はある」
俺は懐から金貨の入った包みを取り出し、チャリ、と音をさせて見せる。
直接中を見せなくても、その重みある音で上客だと察したようだ。
「これは、失礼いたしました」
警備兵は脇にどいた。
態度は一変し、慇懃な礼をする。
部屋のタイプと一泊あたりの料金は、スタンダード・スイートが15金貨、ロイヤル・スイートが25金貨。
完全に独立した警備と、プライベートな会談スペースが確保されているVIP 棟が30金貨。
(やけに高いが、砂漠の中のスイートルームだとこんなものか)
町の中心で安全と水の安定供給を買う費用だと考えれば、ぼったくりともいえない妥当な金額だ。
俺は15金貨を支払い、スタンダード・スイートの部屋を一泊分借りることにした。
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各部屋は広く、贅沢な絨毯とクッションが敷き詰められている。
足を踏み入れると、ふわりと沈み込むような感触。
中庭には、豊かな水を使った小さな噴水があり、その涼しげな音は、暑さを忘れさせてくれる。
従業員の話では、領主の館にある噴水よりは小さいそうだが、これでも貧困街の現状を考えると十分に立派なものだった。
高級な香油と、王都から輸入された甘い菓子やワインの香りが漂っている。
使用人の洗練された接客が居心地の良さをもたらしてくれる。
折角なのでしばらく部屋の中でくつろいで過ごす。
昼になると、豪華な料理が提供された。
肉料理とパンとフルーツの盛り合わせ。
瑞々しい果実は、この砂漠では宝石にも等しい価値があるだろう。
それを平らげてから、散策を再開する。
俺は宿から出て、貧困層の居住地の方へと歩いていった。
再び熱気と土埃の世界に戻る。
何者かが付けてくる。
みすぼらしい身なりの子供だった。
痩せた身体に、目だけが異様に大きく、ギラギラと光っている。
そして――
いつの間にか、気が付いた時には財布をすられていた。
(俺にそれと気づかせないとは――見事な手際だな)
服が触れた感覚すら無かった。
風のように、あるいは影のように、金は消えていた。
この町には金貨20枚を持参してきた。
宿代を前払いで払ったので、のこり金貨五枚。
かなりの大金を盗まれてしまっていた。




