第197話 OH、MY、Angel
俺は『変身の指輪』を付け、目元を隠す仮面をかぶり、『漆黒の魔剣士ゼノス』へとその姿を変える。
指輪が体内の魔力に作用し、認識を阻害する靄を纏う。
リリアーナも同様に仮面をかけている。
俺は彼女の手を取り、情報王の拠点へと転移した。
とある犯罪組織の拠点、情報王イグナツィオ・ヴァラキアが暮らす、古の地下神殿の跡地だ。湿ったカビの匂いと、古い石材の冷気が漂う空間に、俺たちは姿を現す。
事前にアシュラフを派遣し状況を調査した結果――
情報王はまだ、あの穴倉で暮らしているらしい。
(正体不明の何者かに襲撃されて、リリアーナを奪われたというのに、拠点を変えていないとはな……相当な自信か、あるいは移動が困難な事情があるのだろう)
変えられない理由があるのか、それとも変える必要性がないと判断したのか、それは分からないが、とにかく目的の人物は、この先の洞窟の中にいる。
**
「では、いくぞ」
「ええ、お任せなさい」
俺の隣に立つリリアーナは、俺とそろいの仮面をかけている。
黒いドレスに身を包み、その手には、煌びやかな鞭が携えられていた。仮面は俺が渡したが、ムチはリリアーナが自分で用意して持ってきた。
(……こんな鞭、どこで手に入れたんだ?)
俺たちは裏社会の情報王が住まう洞窟へと向かう。
足元の小石を踏む音が、静寂な地下道に反響する。
洞窟の前には二人の見張りが立っている。
松明の明かりに照らされた彼らの顔には、退屈と微かな眠気が浮かんでいた。
「よお、久しぶりだな。お前ら、元気だったか?」
「な、何者だお前は、怪しい奴め!」
俺のあいさつに、見張り二人は槍を構え、不審者を見る目を向ける。
まあ、それはそうか。
以前ここを襲撃した時は、アシュラフと二人で気配を殺して侵入していた。こいつらが俺のことを覚えているわけがない。
「そうだな。『漆黒の魔剣士ゼノス』と『アースガルドの天使』――が、『本物の』情報王に会いに来たと、イグナツィオに伝えろ」
俺がそう言うと、見張り二人は顔を見合わせる。
「本物の」そして「天使」という単語に反応したのか、彼らの表情に動揺が走る。その内の一人が慌てて洞窟内へと入っていった。
そして、数分後――
入っていった時と同様に、慌てて戻ってきた。
息を切らせ、脂汗を浮かべている。
「な、中には入れ、ボスが直々に話をするそうだ」
その男はそう言うと、案内係として俺たちを先導し、再び洞窟の中に入った。
***
「ここだ」
男は洞窟の奥にある、分厚い鉄のドアをノックしてから、俺たちの方を振り向いてそう言った。重々しい金属音が響く。
ドアを開け、俺とリリアーナに中に入るように促す。
俺たちが部屋に入ると、男は入ってこずにドアを静かに閉じた。
カチャリ、と鍵がかかる音がした気がする。
部屋の中には、太った中年男性が一人でいた。
本物の情報王、イグナツィオ・ヴァラキアだ。豪奢なソファ、壁一面の本棚、そして最高級のワイン。地下とは思えない贅沢な空間だ。
彼は椅子から立ち上がり、「はぁはぁ」と荒く息をしながら、興奮した面持ちでリリアーナの方へと近づいてくる。その瞳は異様に輝き、口元からは涎が垂れそうだ。
まるで愛する人を見るかのように、久しぶりの再会に感激しているようだ。
俺のことは完全に目に入らないらしい。
「オー、マイ、エンジェル! 私の元に戻ってきてくださるとは、はぁはぁ、感激で胸が打ち震えておりますぞぉお!」
**
俺はこの情報王から、ザハラのカリム大臣や、犯罪組織【砂の牙】についての情報を聞こうと思っている。
だが、コイツとはいろいろと揉めた過去がある。
情報屋なのだから金を払えば、知りたいことはちゃんと教えてくれるとは思うのだが、イグナツィオが俺のことをまだ恨んでいて、殺し合いになる可能性もあった。
そこで、この男が気に入っているリリアーナを商談の席に連れてくることで、円滑に情報を買おうと考えたわけだ。
リリアーナのことをその目で見た情報王は、ひどく喜んでいた。
(感動の再会だな)
俺がそう思っていると、恍惚とした表情で、両手を広げて近寄ってきたイグナツィオの頬を、リリアーナが手に持っていた革の鞭で思いっきりひっぱたいた。
ばしぃいいいいん!!
乾いた音が、豪華な調度品のある部屋に鋭く響き渡る。
イグナツィオの脂ぎった頬が波打ち、赤いミミズ腫れが浮かび上がる。
リリアーナは仮面の下に、冷徹な冷めた目を隠して無慈悲に呟く。
「頭が高いですわよ、この下郎。跪きなさい」
女王様の命令である。
イグナツィオは、頬を押さえながらも慌てて従った。
「も、申し訳ありませんッ!」
ばしぃいいいいんんん!!
謝るイグナツィオに、リリアーナは再び鞭を振るった。
空気を裂く音が心地よい。
「勝手に口を開くなんて、何様のつもりなのかしら。この豚は……」
太った中年男性のイグナツィオが、地面に頭を擦り付けて恭順を示す。
額を絨毯に押し付け、震えている。
「申し訳ありません、申し訳ありません、ブヒィッ!」
そんなイグナツィオの背中に、リリアーナは連続で鞭による仕置きをお見舞いする。
ばしぃいい!! ばしぃいい!! ばしぃいい!!
「んほぉ、んほぉ、んほぉおお♡!」
土下座したおっさんから、苦痛ではなく喜びの声が漏れ出している。
――なんだこれ?
部屋の空気が、得も言われぬ変態的なものに変わっていく。
俺はしばらくその光景を見ていたが、完全に目的を見失っている。
これじゃあ何のために、ここに来たかわからない。
「おい、遊びはその辺にして、そろそろ本題に入るぞ」
俺がそう言うと、イグナツィオは唐突に立ち上がり、充血した目でキレかかってきた。
「私と女王様の神聖な時間に、貴様のような部外者が立ち入るな!!」
(部外者だと? いや、まあいいいか、部外者で……)
ばしぃいいいんん!!
リリアーナの鞭が、正確無比にイグナツィオの顔面を捉える。
「誰が顔を上げる許可を出しましたか?」
「も、もうしわけございませんんんん~~~~」
イグナツィオは急いでその場にひれ伏した。
頭を地面に擦り付けながら、ついでにケツを振っている。
よほど嬉しいのだろう。
「今からこの男のする質問に、一言一句すべて正直に答えなさい。回答を拒否することは許しませんよ」
「仰せの通りに! 女王様!」
リリアーナのおかげで、俺はイグナツィオからただで情報を聞けることとなった。
(まあ、結果オーライだ。……視覚的には大ダメージだが)
早速、質問に入る。
まずは――
「ザハラ王国のカリム大臣が送り込んだ【砂の牙】の実行部隊は、この国の王都にあとどれくらい残っているか教えろ」
「ふん、【砂の牙】が送り込んできた犯罪者は、20名の盗賊と、四名の暗殺者だけで、あとはもう残っておらんわ。この国の治安機関がリリアーナさま捜索を掲げて強制捜査を続けておるのでな。あまり多くは、人員をよこせない状況なのだ。カリム大臣の息のかかった貿易業者が、協力していたが、彼らがこの先、非合法な活動に手を染めることはないだろう。この国で『犯罪者』が関与する動きは、当面ないと見ておいていい」
イグナツィオはそのだらしない身体を地面の上で丸めたまま、俺の求める情報を教えてくれた。
その背中には、無数の赤い線が刻まれているだろうが――
彼にとって、それは勲章のようなものなのだろう。




