第196話 正義と悪
昨日は盗賊団の引き渡しを暗殺者に邪魔されて、騎士団への移送は失敗に終わった。
ただ、その時襲撃してきた暗殺者の一人を確保している。
俺が捕らえた暗殺者の少女は現在、屋敷の地下室に監禁中だ。
俺は情報の引き出しと、彼女を仲間にするための懐柔を実施している。
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翌朝。
いつもより早く起きる。
窓から差し込む朝日はまだ白っぽく、部屋の空気はひんやりとしている。
身支度を整えてから、リーリアとおはようのキスをする。彼女の柔らかな唇の感触と、部屋に広がる淹れたてのコーヒーの香りが、一日の始まりを告げる。
食事を取ってから、彼女の分の食事を持ち地下施設に転移した。
俺が地下室に瞬間移動すると、相も変わらず暗殺者の少女が攻撃を仕掛けてきた。暗闇から飛び出す蹴りの風圧が、前髪を揺らす。
俺は机に食事を置いて、彼女の攻撃を冷静に捌いていく。
動きは昨日よりも鋭くなっている。
学習能力が高い。
彼女の手首をつかみ、昨日と同じように後ろに回して動きを封じる。
そして昨日と同じようにお仕置きを加えた。
攻撃した回数と同じだけ、乾いた「ぱぁん!」という音が、地下室に響く。
彼女は歯を食いしばり、声を出さないように耐えているが、その体は小刻みに震えている。
その後で、体を椅子に拘束した少女に、食事を与えた。
俺の闇魔法で暗示をかけているので、食事だけは素直に食べる。スープをすする音だけが、静寂の中に響く。
それから勧誘を始めた。
「お前が犯罪組織と結んでいた奴隷契約はすでに解除してある。こっちに寝返れば好待遇を約束してやる」
「……」
彼女は相変わらず無言を貫いている。
その瞳には、諦めではなく、何かを見極めようとするような、強い光が宿っている。
(何か理由があるのかもしれんな。命令(暗示)以外は拒否し続けるという抵抗の意思表示だろう)
彼女は俺の与えた服を身に着けているし、用意した藁の寝床も一応使っているようだ。自暴自棄になっているというわけでもない。
(時間はかかるかもしれないが、こうして毎日食事を食べさせていれば、そのうち懐くだろう)
彼女を奴隷にして無理やり言うことを聞かせる気はない。
俺は気長に彼女の心変わりを待つことにした。
少女の背後に回り、後ろを振り返れないように頭を押さえつける。
それから転移して部屋を出た。
***
学校に行くと、昨日と同様にアジーム王子から招待状が来ていた。
俺も犯罪者の引き渡しが上手くいかなかったので、一応挨拶はしておこうと思っていた。
ちょうどいい。
放課後に、再びアジーム王子のサロンを訪ねた。
重厚な扉の向こうからは、今日も異国の香の匂いが漂ってくる。
この日の会談にもリアム王子は同席していて、引き続き俺の様子を観察していた。
その笑顔は完璧だが、目の奥は決して笑っていない。
俺はアジーム王子に昨日の不備を詫びる。
「お約束を果たせず申し訳ありません」
「いや、【砂の牙】が暗殺者を使い、自爆してでも妨害しに来たのだ。いくら武勇に優れた貴殿でも、それを阻止するのは至難。謝ることではありません、それよりも、グリムロック殿に怪我がなくてよかった」
アジーム王子はシスコンモードにさえならなければ優秀な外交官であり、政治家だ。俺のことを逆に気遣ってくれた。彼の声には、本心からの気遣いと、計算された政治的な配慮が入り混じっている。
「それにしても、まさか自爆させてでも口封じをするとは……そこまでするというのは妙ではないですか?」
リアム王子が俺に疑わし気な視線を向ける。
その視線は、まるで解剖台の上のカエルを見るように冷ややかだ。
昨日の騎士団長が言っていたように、俺が犯罪者を焼き殺した線を疑っているのかもしれない。
(まあ、疑いたくなる気持ちもわかる。俺にとっても自爆覚悟の口封じは意外だった。だから敵の襲撃を防ぎきれなかったわけだしな。疑いはもっともだ。とはいえ――)
「そうでもありませんよ、リアム殿。ザハラ出身の盗賊団がこの国で騒ぎを起こしたとなれば、それを口実に私が殿下から援軍を提供してもらい、ザハラにある【砂の牙】の掃討戦を展開する可能性が生じてしまいます。カリム大臣は自分の手足の犯罪組織を失うことを嫌ったのでしょう」
アジーム王子の推測通りだろう。
(カリム大臣の利益を考えると、『打たれてみると「なるほど」という一手』だ)
ザハラ王国では、財力と兵力をカリム大臣が握っていて、王家は飾りに過ぎない。
アジーム王子が「犯罪組織の賊滅」という大義と、アースガルド王国から兵力を提供されれば、その構図が変わってしまう。
しかも、外国の軍隊が自国内で活動する事態になれば、大臣も黙ってはおられず、大規模な武力衝突に発展する可能性もある。
そのシナリオを未然に防いだと考えれば、あの暗殺者を使った非道な攻撃も十分に納得がいく。
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リアム王子は光属性の魔力の持ち主だし、アジーム王子も「正義」側の人間だ。
そして彼らは、いかなる犠牲を払ってでも自分の「正しさ」を全うしようとするだろう。彼らのまとう空気は清廉だが、時にその光は影を色濃く生む。
逆にカリム大臣は「悪」側の人間だが、彼は自分の権益を守るために、そして結果として無駄な損失を生まないために戦争回避に全力を尽くす。彼の悪辣な手段の裏には、自分の利益を守るための合理性が存在する。
俺はカリム大臣と敵対しているが、アジーム王子やリアム王子と行動を共にする気はない。
(俺は俺のやり方で、やりたいようにやるだけだ)
俺の中にあるのは、正義でも悪でもない。
ただのエゴだ。
この世界に転生し、前世の記憶を思い出してからずっとそうだった。
これからもそれは変わらないだろう。
***
会談が終わり、俺は屋敷へと帰宅した。
帰りの馬車の中で、これからどう戦っていくのかを考えていた。
車窓を流れる街の灯りが、ぼんやりと滲んで見える。
(まずは、状況を把握するところからだな)
俺は屋敷の地下室に行く。
監禁部屋ではなく、貴賓室の方だ。
扉を開けると、そこには地下室とは思えないほど明るく、華やかな空気が満ちていた。
リリアーナ専用の部屋と化しているそこには、ミナやクーコやルミアやシルフィーがたむろしている。
「あら、お帰りなさいませ」
「わー、ご主人様だ。ねえ、ご主人様。見てみて、この髪型、可愛いでしょ?」
クーコとルミアはいつも通り子猫と子ライオンの姿でいる。
リリアーナとミナとシルフィーの三人はいつもとは違う髪型になっていた。甘いお菓子の匂いと、シャンプーの香りが混ざり合っている。
どうやら、お互いにいろいろな髪型を試して遊んでいたらしい。
女の子はおしゃれが大好きだからな。
よく見ると、クーコとルミアの頭に普段は見ないリボンがついている。
ピンクや水色のリボンが、獣の毛並みに妙にマッチしている。
「みんな、よく似合っているぞ」
俺はそれぞれ褒めて、頭を撫でてやる。
何とも可愛らしいことだ。柔らかい髪の感触と、彼女たちの屈託のない笑顔に、少しだけ心が緩む。
彼女たちもご満悦だ。
「ところで、何かご用があったのではなくて?」
リリアーナに聞かれて我に返る。
少女を愛でに来たのではない。彼女の瞳は、無邪気さを装いながらも、鋭く俺の意図を見抜いている。
「ああ、実はこれからリリアーナに――情報収集に付き合って貰いたくてな」
俺はアースガルドの天使に協力を要請した。




