第195話 餌付け開始
俺は簡単な食事を用意して、捕らえた暗殺者を閉じ込めてある地下牢に転移した。
普段は物置として使っている部屋で、人が住むには快適とは言い難い空間だ。
石造りの壁は湿り気を帯び、ひんやりとした空気が肌にまとわりつく。
転移すると、部屋は暗かった。
真っ暗闇だ。
(……おかしい)
地下室なので暗いのは当たり前だが、備え付けの魔導ランプに明かりをともしておいたはず。真っ暗闇というのは明らかに異常だった。考えられる可能性は、魔道具の故障。あるいは――
彼女が意図的に消したのだろう。
静寂の中に、微かな衣擦れの音すら聞こえない。
だが、そこには確かな殺意が満ちている。
俺の予知能力「危険感知」が、脳内で警鐘を鳴らす。
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ヒュッ。
空気を裂く音と共に、背後からの攻撃。
俺は真後ろからの拳を頭をずらして横に避け、側面からの蹴りを軽く飛びのいていなした。
風圧が頬を撫でる。
鋭い、迷いのない一撃だ。
手に持っている食事は微動だにせずこぼさない。
スープの表面がわずかに揺れた程度だ。
部屋にある机に、食事を乗せたトレーを置く。
コトリ、と小さな音が響く。
(食事を粗末にはしたくない。こぼさなくてよかった)
俺の魔力は闇属性であり、暗視魔法はお手の物だ。
視界が緑がかった暗視モードに切り替わると、そこには踊り子衣装の暗殺者が、獣のような姿勢で俺を睨みつけていた。しなやかな筋肉が躍動し、次の瞬きよりも早く、俺に追撃をかけてくる。
息もつかさぬ猛烈な連続攻撃。
(縄で縛っておいたのに、抜け出したのか――それよりも、睡眠魔法がもう解けている。驚くべき回復力だ――)
後で話を聞こうと思っていたので、睡眠魔法の魔力量を少なめにしてかけたのだが、それにしても俺の魔法を自力で解くとは思わなかった。かなりレベルの高い暗殺者だと思っていたが、ここまでとは。
武器は取り上げてあるので素手での攻撃だが、こちらもかなりのものだ。
掌底、手刀、肘打ち。
打撃音が出る前の「風」を感じて避ける。
単純に攻撃が速いだけではなく、フェイントを織り交ぜた意表を突く攻撃が何度もあった。「危険感知」の魔法がなければ、何発か食らっていただろう。
真正面に拳が来たかと思えば、次の瞬間には後頭部に回し蹴りが来る。
髪の毛数本が切れる感覚。
(今の攻撃――俺でなければ見逃していたな)
**
彼女の攻撃も凄いが、それをすべて避けて防ぐ俺の技量も相当なものだ。
「危険感知」という地味だが有用な魔法のおかげなのだが、そんなことは知らない彼女の顔には、驚きと焦りが滲み出ている。暗視の中でも、彼女の瞳孔が開くのが見えた。
その焦りが攻撃にほんのわずかな迷いを生んだ。
その隙を見逃す俺ではない。
彼女の突きだした拳を除け、手首を取り、そのまま拳を背後に回す。
関節がきしむ音と共に、壁に押さえつけ、取り押さえた。
冷たい石壁に、彼女の頬が押し付けられる。
その状態からでも足で俺を攻撃しようとあがいてくる。
蹴りが俺の脛をかすめる。
往生際の悪さに、俺は段々と腹が立ってきた。
彼女の身体に状態異常を付与する魔力を流す。
紫電のような魔力が、俺の手から彼女の体内へと走る。
「……くはっ」
彼女の身体がピクリと跳ね、力が抜けた。
これでしびれてしばらくは動けないはずだ。
俺は彼女の身体を抱えて、椅子に座る。
ぐったりとした彼女は、見た目以上に軽く、そして柔らかかった。
俺の膝の上に、彼女の身体を腹ばいで乗せる。
「俺に攻撃した回数だけ、仕置きを加える」
そう宣言してから、俺は子供を叱るように、彼女の尻を48回叩いた。
パァン! パァン!
乾いた音が地下室に反響する。
最初は意地を張って無反応でいた彼女も、回数を重ねるごとに小さく呻き声を漏らし始めた。
俺はこの暗殺者を味方に引き入れる気でいるが、支配の初歩として、まずはしつけからしなければならないらしい。
人をむやみやたらに攻撃してはいけない。
そこから教え込むことにした。
***
尻を叩き終えた俺は、彼女の身体を椅子に座らせて再び縄で縛った。
彼女の顔は紅潮し、目は涙で潤んでいる。
屈辱と痛みで震えているようだ。
腕を後ろ、足を椅子の足に、それぞれ固定する。
魔導ランプを起動すると、微かな明かりが部屋を照らす。
ぼんやりとした光が、彼女の褐色の肌に陰影を作る。
薄暗いが、彼女も夜目が利くようだし、これで十分だろう。
俺は彼女を観察した。
ザハラ王国出身だろう。美しい褐色の肌。
長く白い髪を二つに縛っている。
美少女といっていい顔立ち。
だが、その茶色の瞳は敵対心に満ち、俺のことを射殺さんばかりに睨んでいる。
(けつを叩きすぎたかな……)
座ると痛むのかもしれない。
「まあ、そう睨むな。お前がこちらを攻撃しなければ、俺もお前に危害は加えない――とにかくまずは飯を食わせてやる」
俺は彼女の露出している肩に触れ、状態異常の魔法を解呪する。
痺れが取れ、彼女の筋肉が弛緩するのがわかった。
その後で、「暗示の魔法」をかける。
この魔法は「奴隷契約魔法」を応用した簡易版だ。
俺の作ったオリジナル――
闇属性の魔法だ。
(奴隷紋は消したが、行動を管理するためだ)
『俺の与える食事は、拒否することなく食べなければならない』、という暗示を与えた。反抗して食事をきちんと食べないようでは体を衰弱させてしまう。
食事に関してだけこの魔法を使う。
だが、奴隷にして言うことを聞かす気はない。
俺を攻撃しないようにしつける気でいる。
**
俺は薄暗い地下室の中、机に置いておいた食事を取り、暗殺者の元へ行く。
スープからはまだ湯気が立っており、野菜と肉の香ばしい匂いが漂う。
「そうだ名前を聞かせてくれるか?」
「……」
俺の問いに対する答えは無言。
質問に答える気も、話す気もないようだ。
唇を真一文字に結んでいる。
「まあいい、食事を食べさせてやるから口を開け」
彼女の腕は後ろで縛ってある。
俺が命じると少女は、自分の意志に反して大人しく口を開いた。
暗示魔法の効果で、俺から与えられる食事は拒否できない。自分の行動を制御された少女の目が驚きで見開かれる。
俺は彼女に順番に食事を与えていった。
パンをちぎって口に運び、スープを飲ませて、肉と野菜を食べさせる。彼女は咀嚼しながら、悔しそうに俺を睨むが、喉は素直に食べ物を飲み込んでいく。
食事を終えた後で、口を開くように命じ、歯を磨いてやる。
シャカシャカという音が、妙にシュールだ。
この歯磨きという行為も、食事の一環と認識されたのか暗示の効果範囲だったようで、屈辱を感じながらも大人しく磨かれていた。
「ふう、これで良いだろう」
俺は一度彼女の背後に回り、転移して服と毛布を持ってくる。
「……今、何をした?」
少女はようやく俺に話しかけた。
その声は少しだけ震えていた。
「ちゃんと俺の言うことが聞けるようになったら、その後で教えてやる」
俺は『支配の首輪』を彼女に取り付けてから、縄の拘束を解いた。
カチャリ、と冷たい金属音がして、黒い首輪が彼女の細い首に収まる。
この首輪は装着者の魔力波形を乱し、動きと魔法を封じることができる。
事実上の絶対的な拘束具だ。
盗聴機能と発信機の機能もある。
「この服と毛布を使え、寝るときはそこの藁で寝ればいいだろう。トイレはこの桶でしろ。ふたはちゃんと閉めろよ。――お前が誰に頼まれて俺を襲ったのか言え。そいつを裏切って俺につくのであれば外に出してやる。お前はもう奴隷ではない。気づいているとは思うが、お前を縛っていた奴隷契約は俺が解除してある」
「……」
俺の出した条件に対して、彼女は無言だった。
だが、その瞳の奥には、困惑の色が見え隠れしていた。
「気が変わったらすぐに言え、好待遇で雇ってやる」
それだけ伝えてから、転移を使い部屋から出た。
部屋には、少女の静かな呼吸音だけが残された。




