第187話 統治の引継ぎ
俺はドワーフ国王夫妻に挨拶をし、この王の居住地に部屋を借りることとなった。エイルの件も話してあるので、少しは身内感覚で見てもらえているのかもしれない。
この町での宿を確保した俺は、すぐに屋敷の隣にあるクロウリー家の所有していた行政官の屋敷に赴いた。
そこではザイツ商会の人員と、それ以外にも今回のドワーフ統治にかかわる大商会の人員が派遣されており、業務の引継ぎと見直し作業が進められていた。
部屋の中は、羊皮紙の擦れる音と、怒号にも似た指示の声が飛び交い、熱気に包まれていた。クロウリー家の人員と、仲介役として王家から出向している監視員も目を光らせている。
(俺は馬車でゆっくりときたが、商人たちは早馬ですでに来ていたようだな)
机の上に積み上げられた書類の山が、彼らの仕事の早さと、これからの苦労を物語っている。仕事熱心なことで助かる。
彼らは俺に気づくと挨拶に来てくれた。
王家からの出向者と、各商会の代表者たち。
まずは王家からの出向者が、値踏みするような視線で俺に尋ねる。
「明日には、西南の砦からクロウリー公爵軍が撤退するが、ドワーフの自警団に任せて本当に大丈夫なのか?」
魔物からこの領地を守る砦は、この町から見て南西にある。
ドワーフは力が強いし頑丈だが、攻撃魔法を使えるものは少ない。
それに剣や槍、弓などを使った戦闘技術も高くはない。
彼らは有り余るパワーを生かして、大きな斧やハンマーを振り回して戦う。
それはそれでかなり脅威なのだが、やはり大雑把な戦い方になり隙も大きい。何より遠距離攻撃がないのが致命的だ。砦の防御力を生かした迎撃戦ができない。
「向こうの防衛はすでに手を打ってあります。心配には及びません。お任せください」
商人たちもこの会話をそれとなく聞いている。
ピリついた空気の中で、不安を感じさせる返答は避けるべきだ。
まだ何の手も打ってはいないのだが、ここは勝者として、不敵な笑みを浮かべ大見えを切っておいた。
***
俺は屋敷に戻ると、屋敷で働いているドワーフのメイドから食事の用意ができていると声をかけられた。
「その前に、部屋の様子を見てくる」
宛がわれた二階の部屋に入る。
古い石造りの部屋はひんやりとしており、少し埃っぽい匂いがしたが、今は換気されて清々しい空気に入れ替わっている。
そこではリーリアとミナが協力して掃除をし、部屋を整えているところだった。
「ご主人様。すぐに最高の状態に整えますので、いましばらくお待ちください」
俺は「そうだな、先に下で食事を食べておく」と答え、リーリアとミナをそれぞれ軽く抱きしめ、その労をねぎらってから一階へと向かった。
そこで国王夫妻と共に食事に着いた。
食卓に並んだのは、根菜と干し肉を煮込んだ濃厚なシチューと、岩のように硬いが噛めば味の出るパン。
飾り気はないが、滋味深い(じみふかい)ドワーフの家庭料理だ。
彼らとの会話を通して、ドワーフ自治領の生活状況を確認していく。
リーリアとミナの分は別に用意されているので、この屋敷の使用人たちと後で食べることになる。
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この屋敷には風呂がなかった。
どうやらドワーフには風呂に入る習慣はないらしい。
そういったインフラは整っていないので、クロウリー家の出向員たちは、定期的にタオルで体をふいているようだ。
ただ、アイゼン山脈には温泉が湧いている箇所がいくつもあるので、ドワーフたちは仕事の汚れをそこに行って落としてくるのだそうだ。
(水回りのインフラを整えるか? それがなくても生活できている訳だし、需要がなければ金の無駄遣いになる……どうすべきか?)
硬いパンを咀嚼しながら、思考を巡らせる。
食事を終え、部屋へと移動。
引き続き、今後のことを思案する。
(自前の水は山からの湧き水で賄っているようだが、いざという時に備え、水の魔石による緊急供給体制もあった方がいいかもしれん。アイゼン山脈からは上質な魔石が発掘されている。まずは、質の高い魔石をしっかりと俺が押さえるところからだな)
部屋の椅子に腰かけて考え事をしていると、リーリアとミナが食事を終えて帰ってきた。
体を拭くためのお湯は、すでに自分で用意しておいた。
俺は寝る前に二人にタオルで体を拭かせる。 蒸しタオルから立ち上る湯気が、一日の疲れを吸い取っていくようだ。
二人の手つきは丁寧で、肌を滑る感触が心地よい。
さっぱりしてからベッドに入って眠る。
二人はその後で、使用人用の部屋に行き、そこで眠る。
**
翌日の早朝から、用意させておいた馬に乗り、俺は単騎、ここから西南にある魔物の湧き点との境目の砦に向かった。朝霧が立ち込める山道を、馬の蹄が土を蹴る音だけが響く。
馬で半日かけて目的地に到着する。
そこには地形を利用した砦と木で作られた防壁があった。
太い丸太を隙間なく並べた防壁は、想像以上に立派なものだった。森の湿気と、古い木の香りが漂っている。
ドワーフ居住地への魔物の進行は100パーセント防ぐことは不可能だ。
広域にわたる山全体を柵で覆うことはできない。
イレギュラーはある。
だが、魔物の多くはこの地点を通って、居住地に向かうことになる。
大規模発生した魔物が集団で移動し人里に向かうにはここを通るしかない。ここで魔物を撃退しておけば、被害を大幅に軽減できる。
その重要な施設から、クロウリー公爵軍が撤退を開始している。
彼らは砦の中で守るだけではなく、定期的に湧き点側の森に入り、事前に魔物の数を減らすこともしていた。
代わりに砦に入っているのは数も戦闘能力も経験も劣るドワーフの自警団だ。
彼らの持つ武器は手入れされているが、その表情は硬い。
森の奥から響く得体の知れない獣の鳴き声に、ビクリと肩を震わせている。
不安と重圧に耐えかねたような自信なさげな顔で、途方にくれていた。
**
俺が砦に近づくと、クロウリー家の守備隊の隊長らしき男がこちらに気づく。
身に着けている鎧は、ドワーフたちの装備よりもはるかに上等で、よく磨かれている。
「ひょっとして、グリムロック家のお方ですかな」
「ああ、そうだ」
彼は自信に満ちた顔で、嫌味を言ってきた。
「お礼を言いたい。貴殿のおかげで我らは休暇を堪能できる。――すぐに出戻る羽目にならぬように、我らの代わりにしっかり、魔物を退治していただきたい」
俺がしくじれば、彼らは高確率で、またこの砦の警備につくことになるだろう。
『長期休暇を楽しみたいから、すぐに泣きついてくるなよ』と言いたいらしい。その薄ら笑いが癇に障る。
「無論だ。この俺が来たからには、貴殿らはすでに無用の長物。この先はクロウリー公爵家の領地に帰還し、無駄飯を食らう生活を送られるがよかろう」
「貴様っ!」
俺の挑発に、徒歩で移動する雑兵が一際大きく激高し、その内の一人が俺に向けて槍を突き出してきた。
殺気立った鋭い突きだ。
一般人なら反応できないだろう。
だが、俺には止まって見える。
俺は最小限の動きで槍を躱し、手でその柄をガシリと掴む。
次の瞬間、こちらに引き寄せながら、男の顔面に全力の拳を叩きつけた。
どごっ!!
鈍い音と共に、鼻骨が砕ける感触が拳に伝わる。
男は呻く間もなく、枯れ木のように吹っ飛んだ。
クロウリー軍の面々が色めき立ち、剣の柄に手をかけ、戦闘態勢を取り出した。
一触即発。
空気が張り詰める。
「止めておけ!」
隊長の一喝でその動きがピタリと止まる。
隊長の顔からは、先ほどの余裕が消え、脂汗が滲んでいた。
彼は俺が「ゼノス・グリムロック」ではないかと思い至ったようだ。
俺の規格外の戦場での活躍はすでに聞いているのだろう。
やり合えば甚大な損害になる。それに高位貴族の嫡男ともめ事を起こすわけにもいかない。即座にここは退くことにしたようだ。
「……行くぞ」
彼らは無言で、しかし憎悪のこもった目で俺を睨みながら、砦を後にした。
去り行く彼らの背中を見送りながら、俺は拳についた血を払った。




