第186話 ドワーフ自治領
ザイツ商会との打ち合わせを済ませた翌日。
俺はドワーフ自治領へ向かうため、馬車に乗り込んだ。
馬車は二台。
俺と専用メイドのリーリア、ミナが乗る馬車と、旅行用の荷物を積むためのもう一台だ。漆塗りの重厚な馬車が、屋敷前の石畳を軋ませて停まっている。
「転移の魔人」アシュラフに命じれば、すぐにドワーフ自治領まで移動できる。
だが短い間隔であちこちに姿を現すわけにはいかない。隠密行動ならともかく、今回は王家とクロウリー公爵家が絡む統治権移譲の手続きだ。
俺自身が表立って動き、移動の足跡を残しながら現地へ向かう必要があった。
クーコとルミア、そしてリリアーナは留守番だ。
屋敷の警備はアシュラフに任せてあるので、襲撃があっても問題はないはずだが、万が一に備えてクーコとルミアにはリリアーナを連れて逃げるよう指示してある。
すると、俺の守護精霊シルフィーが実体化し、「そんなに心配するでない。わらわがこやつらを守ってやろう」と申し出てきた。
彼女の得意分野は防御と回復。
任せておけば安心だ。
戦闘で必要になれば守護精霊は即座に呼び出せるため、シルフィーに子守りを任せることにした。
**
ドワーフ自治領へ向かうにあたり、ドワーフの姫エイル・アイゼンフリートにも声をかけ、一緒に行くか尋ねた。
だが彼女は屋敷に残ると言い、帰郷をやんわりと断った。
頑なに帰りたくないわけではない。
ただ、この屋敷で進めている仕事を優先したいらしい。
俺の専用武器「クロノス・ヴァイス」を作り終えたドワーフたちには、次の仕事として人型で稼働する「ゴーレム」の製作を任せてある。エイルはその作業にすっかり夢中で、両親との再会にはほとんど関心を示さなかった。
「今は手が離せないのです! 斬新なカラクリを思いつきました。忘れないうちに形にしないと!」
煤と油にまみれた顔でそう力説されれば、無理に連れていくことなどできるはずもない。
彼女は国王夫妻と喧嘩して家出し、この屋敷に身を寄せるようになった経緯がある。そのせいもあってか、今ではすっかり居心地の良くなったこの場所での作業を優先し、帰郷を急ぐ気にはなれないようだった。
***
夏の暑い中を馬車が進む。
窓の外では、陽炎が立ち上るほどの猛暑が世界を焼いていた。
王都を抜け、北へと進みクロウリー領に入る。
ドワーフ自治領との間は交易が盛んなため街道もよく整備されており、五日の旅路は盗賊に遭うこともなく順調だった。
グリムロック家の馬車には冷房機能が付いている。
俺が市販品を改良した自信作――氷属性の魔石を組み込んだ装置からひんやりとした冷気が流れ出し、車内は外の暑さが嘘のような快適さだ。
クロウリー公爵領とドワーフ自治領の境目には検問所が建っている。
石造りの武骨なゲートの前には槍を構えた兵士が立ち、通行人を鋭く見据えていた。
商人たちが荷を運ぶ際には、必ずここを通らねばならない。
(ここから北西の魔物領域の警備は俺が受け持つとして……ここの警備はザイツ商会に任せるべきか。だが物流も検問も任せるとなると、汚職やなれ合いの温床になりかねん)
そんなことを考えているうちに、馬車は検問所をあっさり通過し、ドワーフ国王の住まう住居へと向かっていった。
**
ドワーフ自治領「アイゼン」――
山岳地帯に位置するドワーフの居住地。
馬車は半日かけてドワーフの一番大きな集落のある山脈のふもとにたどり着く。
旅の疲れが出たのかミナは俺の膝を枕にしてすでに眠っている。
規則正しい寝息と共に、柔らかな髪の感触と、温かい重みが太ももに伝わる。
リーリアも少しうとうとしていて眠そうだった。船を漕ぐたびに、メイド服の白いブリムが揺れる。
『ふもと』と言ってもその標高はかなり高い。
夏の暑さの中でも涼しい風が吹き、冷房なしでも快適に過ごせる環境だった。
カン、カン、カン!
ゴオォォォ……!
街並みは土や石を基調とした無骨なものでお世辞にも立派とは言えないが、絶え間ない鍛冶のハンマー音や、炉が唸る音、そして職人たちの活気ある声で満ちている。空気には、鉄錆と焦げた石炭の匂いが染みついていた。
町に入る前に、大きな馬車留めのスペースがある。
商人が交易で使う馬車がいくつも置いてあった。
どうやら商人たちが買い付けた物資は、一旦ここに運ばれてから受け渡しが行われるらしい。
俺たちは商談に来たわけではないので、馬車でこのまま進む。
道の先の奥に、国王夫妻の住む屋敷が見える。
質実剛健。飾り気はないが、百年たってもびくともしないであろう堅牢な石造りの家だ。粗末ではないが立派というほどでもない。
その隣に隣接しているクロウリー家の駐在官が居住する建物の方が、明らかに大きかった。白亜の壁に、金色の装飾。
ドワーフの街並みには似つかわしくない、成金趣味の悪目立ちする建物だ。
あそこは単なる居住用の屋敷ではなく、行政官たちの仕事場でもあるようだ。
ドワーフ自治領におけるクロウリー家の権力の大きさが、建物の大きさとして可視化されていた。
その周囲にはクロウリー家から派遣されている人員の居住用の家も立ち並んでいた。
国王夫妻の屋敷で馬車を止める。
熟睡しているミナとウトウトしていたリーリアを起こして、屋敷へと向かった。
***
屋敷の中は閑散としていた。
廊下を歩く足音が反響するほど、人の気配がない。
使用人は最低限といった感じで多くはない。
それもそのはず、国王夫妻は普段、ここにはあまり滞在せずに仕事場で寝泊まりすることが多いそうだ。
王座のような物もなく、使い込まれた革張りのソファがあるだけの応接室で挨拶を交わす。
ドワーフ国王、ゴルム・アイゼンフリート。
年齢は40代前半。頭髪と髭は長く立派で、鉄色がかった茶色。体つきは筋肉質で頑丈。岩のような肩幅だ。
手は長年の鍛冶仕事でゴツゴツと分厚く、指関節は太くなっている。
目の色は、地底の炎を連想させる燃えるような琥珀色。威厳というよりは、何十年も槌を振るい続けてきた現場の親方のような、力強くも無骨な印象だ。
ドワーフ王妃、リーサ・アイゼンフリート。
30代後半。ゴルム王と同じく質素。
身のこなしは王妃としての気品を保っている。短く編み上げられた黒髪と、鋭い光を放つ黒曜石のような瞳を持つ。
装飾は、自分の手で彫り上げたシンプルな銀の髪留め一つだけ。体つきは小柄ながらも鋼のような芯の強さを感じさせた。
二人とも、王族というよりは工房主、といった方が適切かもしれない。
部屋の中にも、微かに鉄と油の匂いが漂っている。
俺は出されたお茶を飲みながら、彼らの娘のエイルが俺の屋敷にいて仕事を任せていると話した。ちなみに、出されたお茶は目が覚めるほど濃く、苦かった。
彼らは大喜びこそしなかったものの、どこか安堵したような空気をまとい、その瞳には確かに娘を想う温かさが揺れていた。
「娘は娘の好きに生きればいい」そんな距離感を保ちながらも、やはり親としての情は深いのだと分かる。
俺は少しほっこりして、エイルが鍛えた俺の剣を二人に見せた。
「おおっ、こ、これは……!」
「なんと、美しい……」
ゴルム王とリーサ王妃の目の色が変わった。
完全に職人の目だ。
「この剣をあのバカ娘が!? 信じられん!!」
「あの頭でっかちで、へんてこな理屈をこねくり回すような困った子が、こんな立派な剣を打てるようになるなんて!」
ゴルム王は剣の平を指でなぞり、リーサ王妃は柄の細工に見入っている。
顔を紅潮させて歓喜していた。
娘の無事ももちろん嬉しいのだろう。
だが、それ以上に――
この剣が彼らの職人魂を強く刺激したらしい。「魔力の伝導率が素晴らしい」「この重心のバランスはどうだ」と、親バカならぬ、職人バカな会話が止まらなくなってしまった。
彼らは良くも悪くも本物の職人なのだ。
統治者としては困ったものだが、憎む気にはなれなかった。




