4:逃げないで
「────お久しぶりです、アウル様」
なるべく慎重に、ゆっくりと手から逃れて距離を取り、久しくしていない淑女の礼をとった。
本当に久しぶりにしたので、形がおかしかったかもしれない。
「元気だった?」
「……は、はい、お陰様で」
「何それ、皮肉?」
「い、いえ。形式的に言っただけで、深い意味はございません」
「ふぅん」
金色の瞳が私を射抜く。それに耐えられず目を逸らした。
この美しくも鋭い目付きが、前々から苦手だった。
「どうして逃げたの」
「……お答えできかねます」
答えられるわけがない。
あなたに騙されて利用されて殺されて、何度も生まれ直して絶望を繰り返される。それが嫌になって、今更逃げ出しただなんて。
(絶対に信じてもらえない)
(これまでだって、信じてくれなかった)
(だから……もう、言わない)
言っても言わなくても同じなのだ。
無駄なことをして絶望するのは、もう嫌だ。
「……お前って、いつもそう」
溜息を吐く音が聞こえた。
彼は私に呆れている。それはそうだろう。理由も話さず、ただ逃げてこんなところにいるのだから。
これまでだって、いつも呆れた様子で私を見ていた。私の無価値さ加減に、失望していた。
『どうしてこんな女が僕の婚約者なんだ』
そう言って、理由をつけては私を殺した。
死ぬ度に私は記憶を持って、来世に生まれ直した。
そしてまた婚約者として彼と巡り会う。ずっとその繰り返しで、まるで呪いのようだった。
「言いたいことがあるくせに諦めて、従順に従う振りをする。……婚約者なのに、まるで下僕のように振る舞う。対等になりたがらない」
空けていた距離を詰められる。
咄嗟に後退しようとした私の手を素早く掴む。
「……逃げないで」
「!」
ぎゅう、と弱々しく握られる。
随分と彼らしくない口振りと掴む手の弱さに驚く。思わず身体の力を抜いた。
「何が……何がいけなかったんだ。好きそうな服や宝石を贈ってやった。好きそうな場所へ連れて行ってやった。欲しそうにしていたものなら何だって手に入れて、与えてやったというのに」
どうして、いつも。
「お前は、僕から逃げるんだ」
「アウル……さま?」
「どうすれば、僕の傍に居てくれるんだ」
────ぽたり。ぽたり。
雨雫に似たそれは、紛れもなく目の前の男が落としたもので。
「どうしたら────また、笑ってくれる?」
ひとつの記憶が脳を過ぎる。
一番最初の邂逅だ。まだ、何もかもまっさらだった頃の、始まりの記憶。
彼はとても綺麗で、何よりも輝いて見えて。
ほんの少しの嫉妬を抱きながら、なんて美しいのだろうと見惚れて。
────呆気なく恋に落ちた。
あまりに簡単に恋に溺れて、心酔して。
無邪気に阿呆みたいに浮かれて笑って過ごしているうちに。
────利用されて、騙されて、殺された。
あの最初の死から、本心から笑えなくなってしまった。
浮かべられるのは作り笑いだけ。だから、ますます疑われるようになって、最終的に何の関係もない罪を着せられて殺されて。
どの生でも、死の間際にようやく「やっと終わる」と泣き笑いを浮かべるくらいしかできなくなった。
「笑って欲しいんですか」
ひどく平坦な声が出た。
「それなら、お望み通り、笑って差しあげます。満足していただけたなら、早くお帰りください。ほら」
口端を吊り上げる。きっと、不細工な笑顔が出来上がっていることだろう。
やはりこの程度の女だったと思い知ればいい。勝手に失望すればいい。何の価値もない私なんか、さっさと見限って捨ててくれればいい。
いっそのこと、また、殺してくれたら。
「……っ」
しかし、彼は何故かまた涙をこぼした。
手を伸ばして背に腕を回し、私の顔を押し付けるように胸へと抱き込む。
「ごめん、ごめんな。ラピス」
抱き竦めながら、何度も謝る。
私は驚きで声も出ない。
この人が自ら謝ることなんて、今まで一度も無かったから。
「ごめん、ラピス」
呼ばれた名前が、やけに大きく耳に響いた気がした。




