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9:追いかけて


 彼女との婚約は、最初から彼女の生家を罠に嵌めるためのものだった。

 形だけの政略結婚。こちらの意図を悟られぬよう親密な関係を築き上げ、最後には全て奪い取る算段だった。

 婚約者はとても素直な性格で、よく笑う子だった。これなら簡単に騙せそうだと、内心嘲笑っていた。

 だけど、僕は次第に彼女に惹かれていった。なんでもない普通の笑顔をもっと見たくなり、挙句の果てには独り占めしたいと思うようになっていった。

 気が付けば、奪い取るもののリストに彼女の名前を加えていた。僕は彼女が欲しかった。誰の目にも触れさせず、自分だけのものにしたかった。

 そのためには、抵抗できないように心を折るべきだと考えた。だから、予定通りに彼女の生家を陥れて、彼女を牢獄に入れた。表舞台から彼女を消して、永遠に僕のものにしようとした。

 それなのに。


 ────どうして、彼女は死んでしまったのだろう。


 真実を告げて心を折った。

 あとは、茫然自失となった彼女に優しく声をかけて、懐柔するだけだった。

 その前に、彼女は自ら舌を噛み切り命を絶った。


 頭がおかしくなりそうだった。

 口から血を流して死んでいる彼女を何とか抱き上げて、それでも現実を受け入れられずに馬鹿みたいに死体へと声をかけた。


「ねぇ、目を覚ましてよ」


 これまでのようにいっぱい愛してあげるから、また僕に笑いかけてよ。

 冷たくなっていく彼女に縋り付く。置いていかれるような心地に心臓が竦み上る。

 どうしたら彼女に追いつけるだろうかと考えて、腰の帯剣に目が行く。

 同じ場所に行けるかなんて分かりもしないのに、もうそれしか思いつかなくて────剣を抜いて、自身へと突き立てた。




「初めまして」


 目の前に立つ少女に形式ばった挨拶をする。

 政略のために定められた婚約で、特に何の思い入れもなく顔合わせの日を迎えた。

 婚約者は顔を強ばらせていた。それから笑みを浮かべたが、何も取り繕えていないぎこちないものだった。


(ちがう)


 何故かそんな感想が真っ先に出る。


(なにか、ちがう)


 僕が見たかったのは、これじゃない。




 僕を見て常にオドオドとする婚約者が気に食わなかった。

 だけど、彼女との交流は欠かさなかった。

 気に食わないのに、逢わないという選択肢は無かった。

 どうしてか目が離せなくて、あの下手くそな笑顔をずっと見ていた。いつか、ちゃんと本物が見られるような気がしたから。


 ────そんな日は来なかった。


 王子ととある令嬢を中心に起こった事件。それに婚約者が関わっているということが分かり、ろくに自身を取り繕えないその様子だけで彼女の罪は確定した。

 馬鹿だなと思いつつ、混乱に乗じて婚約者を攫えないかと画策した。気に食わないけど、どうしても気になったから。

 別邸にでも囲って、一生飼い殺しにしてやるのもいいかもしれない。あれほど見たかった笑顔も、僕に絆されてそのうち見られるようになるかもしれない。


 そんなことを考えながら彼女のいる牢獄に行ってみたら────既に、彼女は死んでいた。




 食事に毒が盛られていたらしい。恐らく、今回の件を隠蔽したい王族側の仕業だろう。

 冷たい石室の中でより冷たくなってしまった彼女の身体を抱き上げる。この感覚は初めてじゃない気がした。前にもこうやって、もう笑ってくれない冷たい彼女を腕に抱いて、それから────。


 ふと目に付いたのは、彼女の死因である毒入りのスープ。誘われるように手に取り、残りを全て飲み下した。

 喉が焼け付くような痛みに悶えながら腕の中の彼女を掻き抱く。


(また会いたい)

(また会って、今度こそ君の笑顔が見たい)


 我を忘れて、そんなことを口走りながら泣いていた。

 今世だって追いつけたのだから、来世でもきっと追いついてみせる。





「初めまして」


 向かい合う婚約者の笑顔は作り物めいて不気味だ。

 そんな感想を抱いたら、何故か胸がツキリと痛んだ。

 婚約者なのだからと、逢瀬に使う時間は惜しまなかった。作り物の笑顔をじっと見つめて、その奥にある真実を暴こうと躍起になった。

 笑ってくれないかな。きっと可愛いはずだ。見たこともない笑顔に懸想をする。

 好きな物は何故だか分かる。でも、喜ぶフリばかりで心からは喜んでくれない。

 喜ばないくせに、僕を拒んだりはしない。粛々と受け止める。チグハグな彼女に理由も分からず苛々した。


(もしかして、僕から逃げる機会を窺っている?)


 憶測でしかないというのに真実のような気がした。

 一向に縮まらない距離に焦れてしまった僕は、とうとう彼女にあらぬ疑いをかけた。


(他に好きな人がいるのでは?)


 許せないと思った。

 僕というものがありながら、浮気だなんて、と。


(僕はこんなに、君に恋い焦がれているというのに)


 居ても立ってもいられず、彼女を糾弾した。

 彼女はひどく傷付いた顔をして、何かを悟ったような表情を浮かべたかと思うと、またあの作り物の笑顔を湛えた。


『他にお慕いしている人がいるんです』


 ああ、嘘なんだなって思った。

 違うなら違うって、言えばいいのに。


『どうして嘘を吐くの』


 どうして何もかも諦めてしまうの。


『本当のことを言ってよ。殺さないであげるから』


 殺す気なんてサラサラ無い脅し文句を言ったら、彼女が笑った。

 作り物じゃない、本当の笑顔で。


『え?』


 思わず間の抜けた声が出て、まじまじと彼女の笑顔に見惚れた。可愛かった。泣きたくなるほどに。

 ずっと見ていたかったけれど、そんな僕の隙を狙って彼女は剣を奪い取り、喉を掻っ切ってしまった。


 首から勢い良く噴き出た彼女の血で、彼女も僕も真っ赤に染まる。鮮やかなそれを何ともなしに綺麗だと思った。

 やっと、やっと本物が見れたのに。彼女は“また”、死んでしまった。


(追いかけなくちゃ)


 自然と辿り着いた考えに従い、躊躇いなく自分の喉を掻っ切る。

 彼女と違って、僕の血はあまり綺麗には見えなかった。




 記憶の引き継ぎは行われない。

 それでも男は執念深く、輪廻を伝って女を追った。

 何度同じ運命を辿っても、絶望を味わっても。


(彼女に会いたい)

(あの愛らしい笑顔を僕に向けてほしい)

(できることなら、今度こそ)


 ────君と一緒に、最期まで幸せに添い遂げたい。


 あまりに純真で傲慢な願いを抱えて、男は輪廻を繰り返す。





 記憶が無くても、彼女と共に在りたいという本能は揺るがない。

 離れたくない。傍に居たい。


「どうしてこんな女が婚約者なんだ」


 釣り合っているのは家格だけで、それ以外はどれも劣るのに。

 理解できない気持ちの悪さに、彼女を疎ましく思うようになった。掛ける言葉も刺々しくなる。

 作り笑いが見たくないから笑うなと言った。次の日から彼女は一切笑わなくなった。何一つ文句を言わずに従う姿に苛立ちは増すばかりで、どんどん当たりが強くなる。


 そして、遂には。


「何を企んでるの? 正直に言えば殺さないであげるよ」


 彼女を追い詰めて問い質す。何を考えてるのか知りたかっただけなのに、どうしてこんなことになったのだろう。

 こんな時でさえ無表情な彼女を見て竦み上る心臓を必死で抑えつける。


(僕は、ただ)


 葛藤しているうちに、口を割らない彼女に痺れを切らして殺してしまう。

 息絶える寸前、彼女は微笑んだ。

 それは嘘偽りのない純粋な笑顔で、ずっと見たかった本物で、もう二度と見れない。


「僕は……」


 自分で殺したくせに後悔しか残らなかった。

 冷たくなっていく身体は何故か懐かしくて、悲しくて仕方がない。


「ごめん……ごめんな……」


 意味の無い謝罪を繰り返し口にした。言わずにはいられなかった。何もかも手遅れなのに、自分が招いた結果でしかないのに。


「お願いだから、また……」


 後を追って、自ら死ぬ。

 確証は無いけれど、そうすることで“次”も彼女に会える気がしたから。


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