Phase.584 『未玖と来るべき日に向けて』
明日、いよいよ来たるべき日がやってくる。転移サービスの休止期間。それは、過去にもあったらしいが、その時にこの『異世界』に残った者は未だ誰一人として消息不明なのだという。
……俺はこの異世界に未玖達と共に残ると決めた。既に決断をした。だからもう逃げ出すという選択肢もないし、そうするつもりも微塵もない。残るの、一択だけだ。
だけどこれからこの世界で、何か恐ろしい事が起こるのではないかと考えてしまうと、身体が無意識に震えていた。今も、身体が小刻みに震えている。恐怖。もしかしたら自分は死ぬかもしれないという恐怖感に、身体が敏感に反応してしまっているのかもしれない。二度と日本には、戻れないかもしれないと思えば当然の反応なのかもしれない。
でもここに来て、止まらない身体の震えについて、後悔の無いようにもっとよく考えてみた。時計の針は、間もなく23時をさそうとしている。後1時間ほどで来たるべき日がやってくる。その日の午前10時から、いよいよこの世界ともとの世界は、完全にシャットダウンされるのだ。戻りたいと思っても、暫くはどうにもならない。
どんどんと締め上げられるこの状況の中、俺は自分の震えが恐怖だけではない事にようやく気付いたような気がした。
そうだ。間違えない。恐れているだけかと思っていたけど、これは……武者震いだ。
「ゆきひろさん」
「お、未玖か。どうしたんだ? 何かあったか?」
「……」
不死宮さんの研究所に行ってから、彼女と一緒に南エリアにいる豊橋専務のもとへ行った。そして色々話をした後、不死宮さんと別れた。それからスタートエリアにある丸太小屋に一度戻って、テントやら毛布やら色々と荷物を持ってこの場所、川エリアにやってきたのだ。
真っ暗な森の中、懐中電灯とランタンで辺りを照らしてテントを設営。やっと焚火を熾した所で、未玖が現れた。
「どうしたんだ? ほら、ここに座ればいい」
俺はそう言って、焚火の近くを指した。すると未玖はそこに座り、背負っていたザックを目の前に置いた。なんか、モゾモゾと動いているザックに恐怖する。未玖はザックのファスナーを開けると、中から桃色の兎を取り出して自分の膝の上にのせた。
なんだ、ラビか。今日はさっき、マンイーターとか見たから、ザックが動いているのを見て何か恐ろしいものがいるんじゃないかって連想してしまった。
不死宮さんや和希なら、その可能性はありそうだけど、よく考えてみれば未玖だもんな。冷静に考えてみれば、未玖がそんな恐ろしいものを連れている訳もなかった。
俺はテントの方へ行くと、毛布を手に取り未玖に手渡す。あんまり遠出はしていないから、この世界の他がどんな感じなのかぜんぜん解らないことだらけだけど、この辺りは夜になるとかなり冷えるから防寒は必要だ。
2リットル、空のペットボトルを手に取るとそのまま近くにある川まで行き、水を汲んで戻ってきた。早速その水を手鍋に入れて、焚火にかける。水が沸騰すると、カップを二つ用意して俺と未玖の分の珈琲を入れた。俺はブラックでいいけど、未玖には珈琲用の砂糖とミルクもつける。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「飯は?」
「……まだ……です」
「へえ、じゃあ俺と同じだな。実は俺もまだなんだ」
「今日は皆さん、忙しい様子でしたから」
「そうだな。いよいよ明日からだからな。暫くもとの世界へ戻れないと思うと、あれもこれもって感じに買い物や、済ませておかないとって用事もあるんだろう」
「……」
俯く未玖。膝の上には、ラビが丸くなって大きな毛玉みたいになっていた。なんとなく未玖が、思っている事を察した。
「もしかして、あれか? 明日からの事」
「……はい。ゆきひろさんは、本当にこの世界に残るのかなって思って」
「当たり前だろ。そりゃ残るよ」
「でも、来るべき日になったら、もうもとの世界には戻れないです」
「それは間違いだ。正しくは、一時的に戻れないというだけだよ」
「で、でも、過去にもこういう事は何度かあって、その時にこっちの世界にいた人達は消息不明になったって聞いて……」
「その人達はな」
「え?」
「その人達は、そうなった。だけど俺達もそうなるかは、解らない」
「で、でももしそんな事になったら……あう!」
俺は未玖の両肩を掴んだ。顔を近づけると、未玖の顔はなぜか真っ赤になる。でも大事な事だから、目を背けさせない。俺は真っすぐに彼女の目を見つめて言った。
「はっきりと思っている事を言っておく! だからしっかりと聞いて欲しい」
「は、はい!」
「俺は死にたくない。だけど、ここが危険だからと言って、未玖や皆だけをここに残して俺だけもとの世界でメンテが開けるまで待っているなんて、死ぬ以上に嫌な事なんだ」
「ど、どうしてですか? もしかしたら、死ぬかもしれないのに。それにその期間が終わったら、またここへ戻ってこれるのに」
「俺はほら、異世界や冒険者とかそんなんに憧れを持っているから。今、折角そういう大冒険できるその夢が叶っているのに、それをあっさりと手放すなんて馬鹿げているだろ? 信頼できる仲間だっている。それに危険と言えば、もとの世界にだってそれなりに危険はあるんだ。例えば交通事故や、いきなり通り魔に刺される可能性だってあるかもしれない。災害だってありえる。それを考えれば、何処にいたってドッコイドッコイさ」
「……うう、でも……」
「でもも何も、もう決めたんだ。これは俺の選んだ道なんだ。それを左右するなら、俺の基本的人権の尊重が脅かされることになるな」
「で、でもこの世界には法律なんてないから……」
「あっ、そうか。でもクランのルールや皆が決めた事があるぞ。それに残るのは、全員だ。翔太と鈴森、北上さんや大井さんも残るんだぞ。この最強メンツで乗り切れない事なんてないさ」
そこまで言うと、未玖はようやく笑みを見せた。膝に乗っていたラビがピョンと下に降りると、勝手に俺のテントへと入っていく。あいつも、もう完全に俺達の仲間だな。
「よし、それじゃ、腹が減ったままってのも寝つきが悪いし、何か作って食べようか?」
「はい!」
かなり遅めの晩飯。小学生の未玖は全くこたえないかもだけど、31歳になる俺はちょっと身体の事が怖くなるお歳頃。健康とか体型とかな。まあ、でも未玖の嬉しそうな顔を見ていると、別にいいかなと思ってしまった。




