Phase.577 『生きている喜び』
欲張り過ぎると、それに見合ったリスクを背負う事になる。もとの世界へ戻る為の唯一の手段として、スマホはどうしても取り戻したかったが……完全に諦めた。
どうであれ、生き残る事こそを一番に考えて優先させるべきだと思ったからだ。
俺と熊切は、貝谷、辺染、赤井を助け出した。赤井は重症だが、息はある。なんとかこのまま、このオークの巣になっている洞窟から抜け出さなくてはならない。
両足共負傷している俺は熊切に背負われ、同様に意識のない赤井も辺染に背負われた。3人がいたこの部屋から外の通路に出ようとした時、貝谷だけがフラフラと先に出ていってしまった。
「おい、貝谷さん!!」
思わず大きな声で名を呼んだ。だが彼は振り返りもしない。
彼は、俺達を見捨てて自分だけ逃げたとかそういう訳ではない事は理解できた。おかしくなってしまっている。オークに捕まえり、これまで味わったこともない恐怖を知って正気を失ってしまったのだ。彼は今、本来の彼ではない。
熊切の肩を叩くと、彼は頷いてくれて貝谷の後を追う。辺染も「おい、そんな奴、放っておけよ、逃げようぜ」と口にしながらも、一応俺達の後をついてきていた。
少し先に貝谷が見えた。何処かに向かって小走りで向かっている。いや、目的地なんてないのだろう。あいつはただ、ここから外へ出たくて、ああやって走って出口を探しているに過ぎない。この洞窟には、危険なオークが沢山いる事や俺達の事は、今の貝谷には見えていないのだろう。それ程、彼はショックを受けている。
「おい、貝谷さん!! 待って!! 俺達と一緒に逃げるん……だ……」
貝谷が目の前の曲がり角を曲がろうとした瞬間だった。そこで彼はまるでダンプにでもはねられたように、いきなり後方へ飛ばされて壁に激突した。向こうからオークが4匹、姿を見せた。手に持っている棍棒には、貝谷の血が滴っている。
「か、貝谷――――!!!!」
叫んだが、出合頭に棍棒で思い切り叩かれた貝谷は、ぴくりとも動かない。オークは俺達をチラリと見るも、貝谷に集まり棍棒や斧を何度も振り下ろした。鮮血が飛び散る。
「貝谷!! 貝谷いいいいい!!!!」
「駄目だ、逃げよう!! 逃げるしかない、俺はもう行くぞ!!」
辺染はそう言って先に逃げた。
俺は……
「逃げるぞ、長瀬」
「くっ……」
「貝谷はもう駄目だ。逃げるしかない」
「……くそーー!! わ、解った。行こう」
貝谷とは知り合ったばかりだった。しかもお互いに何か思う所もあって……でもようやく、この異世界で一緒に仲間としてやっていけると思える相手だと気づいた。なのに、こんな所で彼を失うなんて……
思えばゴッスン、マッチャン、波多野や籾井、荻野……皆そうだ。一瞬の気のゆるみで、死んで行く。ここはゲームのようなファンタジー世界みたいだが、ゲームのように死んだからやり直そうって思っても取り返しのつかない世界。コンティニューもなければ、初めからも無い。
ここで生き延びて洞窟から抜け出しても、いずれは俺達も先に行った仲間のように死ぬんじゃないかって思った。いや、考えるのはよそう。今は、そんな事を考えるべきではない。今一番重要な事は、この洞窟から逃げ出す事。その他はない。
ひたすらに駆ける。目前を走る辺染は、貝谷を諦めきれずに立ち尽くしていた俺達をおいて先に逃げたが、赤井は背負ったままだった。それを見て、こいつは俺達を見捨てたという気持ちと、そんな中でも赤井を置いていかなかった事が重なって、何が正しいのか訳が解らなくなった。
そしてまた、そんな事は今はどうだっていいと頭の中で自分に言い聞かせた。そんな道徳的な感情は、今は一斉必要はない。今は、なんとかして仲間と共にこの場を生きのびる。それこそが重要なのだから。
前を走る辺染がこちらを一瞬こちらを振り返った。笑っている? こいつも頭がおかしくなったのかと思う。でも違う。
「おい!! やってやったぜ、出口だあああ!!」
「出口!!」
熊切の駆ける足も速くなった。俺は後ろを振り返る。オークは追ってきてはいない。いや、追ってはきているのかもしれないが、奴らあまり足は速くないようだった。腕力や耐久力は俺達より圧倒的に上でも、足の速さは人間様の方が上のようだ。
――光!!
洞窟を抜けた。眩しい!! それでも辺染と熊切の足は止まらない。そのまま先へ走り続ける。洞窟の中の鼻の奥を突くような悪臭から解放され、新鮮な空気が肺に入り込んでくる。
「はあ……はあ……」
「ぜえ……ぜえ……」
そのまま暫く駆けた。そして熊切と辺染は、限界まで森の中を裸足で走り続けて、その先で倒れた。背負われていた俺と赤井はそのままそこへ投げ出された。
「ぐふうう!!」
倒れる。土と草の匂い。鳥の囀りと、木の葉がすれる音。解放。ようやく、あの地獄から外へ脱出する事ができたという実感に包まれる。
俺は上半身を起こすと、周りを見た。熊切がこちらに近付いてきた。まだ肩で息をしているが、彼には感謝の気持ちでいっぱいだった。向こうには、仰向けになっている辺染と転がったまま動かない赤井。
「ありがとう、熊切。とりあえず助かった」
「ああ」
返事はするものの、浮かない顔をする熊切。それもそのはず。失ったものは、大きすぎる。
「とりあえずは、助かったが問題はこれからだ。俺達はもうもとの世界へは戻れない。日本にはな。完全にこの世界に投げ出されちまった。服も靴もない。もってきたザック一式もだ。あるのは、オークから奪った武器だけ。これでこれから生きていなかなければならないと思うとな……」
「熊切……まあ、あのままあそこでオークに酷い殺され方をされるよりは、遥かにマシだろう。こっちの方が未来がある。まずは、服と靴が欲しいが……取り返すとしても、もうあそこへは戻りたくない。これからどうするか、考えよう」
「そうだな」
俺は頭上を見上げた。沢山の木の葉。緑。そして思い切り、深呼吸して自分が今、生きているという喜びを実感した。




