Phase.572 『ハンマー』
オーク共の調理場。おぞましい光景。中に入ると、更に悪臭が強くなった。
この洞窟自体が、オーク共の巣であったり、あの籾井を殺した鼠の群れの住処になっているだけに、キツい臭いはしていた。だがこれは、更に凄い。鼻が潰れそうだ。
それでも貝谷達がいるかもしれないからと、中へ入る。吐きそうになるのを、ひたすら堪える。せめてマスクか、口を覆うハンカチかタオルでもあればいいが、俺も熊切も服を奪われ裸にされている。
「ううううう……」
「大丈夫か、長瀬?」
「お前は大丈夫なのか? こんな酷い臭いなのに……」
「大丈夫じゃないが、だからといってどうする事もできんだろ。なんなら、コロンでも捲いてみるか?」
「そんな馬鹿な……うえええ!!」
「口で息をするしかない。そうすれば、まだマシだ」
口で息をすると言っても、この吐きそうなヤバい臭いが自分の肺に取り込んでいると思うと、余計に吐きそうになる。だが牢を脱出する時も、覚悟した事だ。背に腹は代えられない。気持ちが悪いからというのを、仲間の命と天秤にかける事すら馬鹿らしい。どちらが重要であるかなんて、解り切っている。我慢だ。我慢しかない。
調理場にオークがいない事を確認するが……更に奥にも続いている。案外中は広いようだ。まああれだけの仲間の食べる分を、ここで作っているのならスペースもいるだろう。
オークが潜んでいるかもしれないので、ジェスチャーで伝える。この部屋にいないが、奥にオークがいるかもしれないと。熊切は頷いて、逃げる大勢を整えておきながらも、辺りをキョロキョロと見回した。同じように俺も見る。
肉塊と大量に飛び散った血。鹿か猪か、それとも別の魔物か……少なくとも俺達は、ここに人間の肉も混ざっている事に気づいていた。オークが使っていると思われる、木製のバケツ。そこから明らかに人間の手が出ていた。切断されて、雑に入れられている。また吐きそうになったが、熊切の背中に吐きかける訳にはいかない。我慢するしかない。
「こいつら……」
小さな声で熊切が呟いた。気持ち悪さよりも、怒りの方が大きいようだ。俺の方は残念な事に、少しでも気を緩めるとリバースしてしまいそうだ。
あちこちに血が飛び散り、水溜まりというか血溜まりになっている箇所も多々あった。熊切はそこを起用に避けて奥の方へと足を忍ばせると、更に奥にある部屋を覗いた。
俺と熊切は言葉を失った。
灯りと言えば消えかけた松明だけ。薄暗い中に、ゴッスンがいた。変わり果てた姿。頭と上半身、下半身にそれぞれ切断されて、手足は切り取られてそれぞれ調理台に並べられていた。その前には、血だらけになったオークが、ゴッスンのものと思われる肉を斬っている。
吐く!! もう駄目だ!! って所で、俺は下に降ろされて熊切に口を無理やり塞がれた。人差し指を立てて、小さくシーーっと声を出す熊切。こいつ、こんな悲惨な恐ろしい光景を目の当たりにしても、耐えられるのか⁉
上がってきたものを呑み込む。気づかれる訳にはいかない。熊切はキョロキョロとまた辺りを見る。色々な物が雑に入った木箱。そこからは、ゴッスンがもとの世界から持ってきたカメラや三脚などの道具が顔を出していた。だが熊切は一瞬それに目を奪われながらも、その隣に立てかけてあったハンマーを手にした。大工道具として使う金槌ではない。昔のアニメに出てきそうな、デカいハンマー。
それを手にすると、俺の耳元で言った。
「あいつを殺す」
「なっ!! やめろ、熊切!! よせ、逆に殺されるぞ!!」
熊切は、壁の向こう側……ゴッスンと作業に没頭しているオークの方に向けて親指で指す。
「あいつは明らかに小さい。人間でも俺みたいにデカい奴もいれば、小さい奴もいる。あれはオークの中でも小さい奴だ。このハンマーを見ろ。金属製だ。かなり重いが俺なら振れる。しかも不意打ちなら確実に、あいつに一撃当てることができるぞ」
「それでも危険だぞ!! ゴッスンは死んだ。あいつをやっても、もう助ける事はできないんだぞ!!」
「いや、あいつをここでやれば、奴らの数をとりあえず1匹は減らせる。確実に始末できる時は、確実に始末して数を減らしておくべきだ。いくら相手が大勢いるから意味のない事だと思っても、数は確実に減るんだ。なら僅かでも、俺達の生存に繋がるはずだ」
「僅かじゃない。奴らの耐久力と、パワーを知っているだろ。危険だ」
「奴らのパワーなら体験済みだ。崖から降りた時に、囲まれて取り押さえられた。その時に力の限り抵抗してやったが、ありえん位の腕力だった」
「なら、逃げるべきだとは思わないか」
「思わない。それと先に謝っておく。あいつを始末する自信があるからやるが、もし下手をこいて俺が殺された場合、長瀬も死ぬことになる。その足じゃ、1人で洞窟から脱出はできないだろうからな」
「それはいい。自分でなんとかする。這いずる事と隠れる事くらいはできるからな。だが熊切のそれは、無謀だ」
「無謀じゃない。言ったろ、俺は色々と準備してきたんだ。長瀬、お前は異世界が本当にあると思って、必死になって情報を探して回っていたろ。俺もそうだが、俺の場合は備えてもいた。だって異世界なら獰猛な魔物だっているだろうし、そうなれば剣と盾で戦ったりするだろ。だからジムにも通って鍛えたし、他にも色々した」
「それでもやられるぞ。ゲームじゃ雑魚でも現実じゃ……」
「ここはファンタジー世界だ、長瀬。いいな、失敗するつもりもこれがフラグとも思わんが、一応謝っておいたからな」
熊切はそう言って立ち上がると、ハンマーを手に身を乗り出した。奥の部屋で肉を刻んでいる小型のオークは、まだ俺達の気配にも気づいていない。熊切は、ゆっくと背後に近付いてハンマーを振り上げた。




