Phase.565 『真っ暗』
いくらロープが登山用で耐久度のあるものだとしても、一度に二人で降りるという選択肢は怖くてできなかった。千切れるかもしれないとか、岩に巻き付けている方の縄が重さで解けるなんて事にならないかとか、悪い事ばかり考えてしまう。
また身体もデカく、筋肉質で重量感のある赤井を俺が背負って降りるというのはどう考えても現実的だとは思えない。それをするなら、やはり赤井よりもデカくて力もあるんじゃないかって思える熊切に頼むしかない。そうなると赤井と熊切、重量級二人になる訳で更に縄の不安が募る。
それでどうするか考えて、やっぱり赤井一人で下まで降ろすしかないと思った。
まず先に熊切に崖下へと降りてもらった。俺達が登る時は、上に赤井と籾井がいてくれた。だが今度は、誰もいない闇の中へと降りていく。一度通った道だが、ロープで闇の中に降りていく恐怖は言葉じゃいい表せられないものがある。
「よし、降りたぞーー!! 赤井を降ろせーー!!」
崖下から熊切の声。「行くぞー!!」と短く言葉を返すと、俺と貝谷の二人で赤井を崖下へと降ろし始めた。
「よ、よし、いいぞ。焦らないでいいから、このままゆっくりと降ろしていこう」
「ああ、解った」
貝谷に声をかけたが、これは自分自身に対しても言っている事だった。焦るな。いいか、焦らなくていい。ゆっくりと慎重に――
降ろしている間、ロープが傷口に接触して痛みを感じるからなのか、赤井はずっと呻いていた。敢えて俺も貝谷も聞こえていないふりをした。今、どうこう気を遣っても仕方がない。今一番やるべき事は、ゆっくりと慎重に赤井を崖下へ降ろし、俺達も無事に下に着く事。そして洞窟の外へ脱出して、安全な場所に避難して赤井の手当てと、これからどうするか作戦を練り直す。俺はこんな目に遭っても異世界をこれで諦める気なんて、更々ないのだから。
「うぐぐぐぐ……」
「頼む、赤井。もうちょっとだけ我慢してくれよ。もう時期に下へ着く。そしたらそのまま外まで運び出して、一息つけるからな。手当てもする」
波多野の時に採取した薬草。何と言っても異世界の薬草なのだから、きっとその効果は期待できるだろう。それなら、赤井の怪我だってどうにか……
「……なあ」
「どうした? 何か問題があったか?」
赤井を崖下に降ろす作業をしながらも、顔を強張らせる貝谷。なんだ?
「……いや、いい。赤井さんを降ろす事に集中しよう」
「どうしたんだ? 何かあるなら言ってくれ。喋りながらでも降ろせる。ゆっくりと降ろしているからな。それで、何かあるのか? もしかして、洞窟の奥に残してきた辺染とゴッスン、あの2人の事を思い出しているとかなのか?」
「……どうだろう」
「どうだろうって……まあ自分達で別行動をしているんだ。子供でもないし、考えて自分の意思でそうしているのなら俺達があれこれ言っても仕方がなない」
「……」
……!!
「ん?」
洞窟の奥深く。辺染とゴッスンが向かっている先の方。そっちから微かに叫び声のようなものが聞こえてきたような気がした。貝谷の顔を見る。
「なあ、今の……」
グオォ……
また何か鳴き声ようなものが聞こえた。振り向くも、洞窟内は暗闇でよく解らない。だがなんとなく、何か恐ろしい何かがこっちに向かってきているような気がした。
「お、おい、貝谷さん」
「ああ、間違いなく聞こえた。でもさっきよりも随分と近く聞こえた。何かがこっちへ向かってきているのかもしれない」
何かってなんだ? もしかして魔物。人を襲い、喰らう魔物か。じゃあさっきの悲鳴のようなものが聞こえたのは……辺染達の身に何かあったのか……そうだ、悲鳴はあの2人のものかもしれない。そう思うと急に、冷汗が流れ始めた。
「急いだ方がいいな。急ごう。でも慎重にだ」
「ああ、解った」
グォオォ……
また聞こえた。だんだんそれは近づいてくる。地鳴りのような振動も感じる。何かが迫ってきているのだ。貝谷も、その顔にはっきりと恐怖を浮かび上がらせていた。
「どうする? 長瀬さん、先に降りるか。それなら早く」
「いや、貝谷さんから行ってくれ。ロープもこのままにしておく。辺染とゴッスンが追いついてきたら、ロープがないと崖を降りられないからな。だからこのままだ。ほら、急いでくれ」
「わ、解った。それじゃ、先に降りる」
「よし、行ってくれ」
赤井は下で熊切がちゃんと受けてくれた。次に貝谷が降りる。その次は俺だ
待っている間、何度も後ろの暗闇に対して振り返り見た。何かが迫っている。早く俺も下へ降りたい。まだか、まだなのか。急いでくれ貝谷。
不安な気持と戦っていると、貝谷は下についた。
「おおーーい!! 無事、着地した!! 次は長瀬さんだ!! 急げ――!!」
「よし、解った!! 直ぐおりる!!」
ロープを握る。右足から崖に降りた。
「ぎゃああああ!!」
「うおおおお、てめえ、ぐふ!!」
ガスガス!! ゴス!! ドガ!!
!!!!
熊切と貝谷の悲鳴。振り返ったが、2人の持っていた懐中電灯は転がり、2人がどうなったのか何も見えない。闇で真っ暗だ。
ウケケケケケ!!
明らかに人間のものではない笑い声。そしてそれは、1匹じゃない。何匹もいる。
まずい!! このまま降りたら、俺もやられる!! どうすればいい。一旦崖にあがって、上から懐中電灯で崖下を照らして状況を見るしか――
「そうだ、それがいい。ヤバい時こそ、冷静にだ」
崖上に手をかける。そして這いあがると、目の前には暗闇。そこから何か恐ろしい気配を感じた俺は、手に持っていた懐中電灯で目前を照らした。
するとそこには、何十匹もの恐ろしい形相をした豚人間が立っていた。
ファンタジーゲームとかでも目にする魔物、オークだ。
ブギイイ!! ボゴオ!!
「ぐはっ!!」
何か硬い物で殴られた。きっと棍棒だろう。さっきちらりと見えた。そしてそれで何度も殴られる。そうか、ここはゴブリンの巣ではなくて、オークの巣だったのか……
ブギイイイイ!!
ボゴオ!!
また頭を殴られた。崖下にいる3人は大丈夫なのか? 痛みを感じる暇もない。恐怖を通り越して、何がなんだかおかしくなってしまっていた意識。それをこの一撃で、完全に絶ち切られた気がした。
暗闇の広がっている洞窟の中で、こんな事を言うのはおかしいかもしれないが――目の前が完全に真っ暗になった。




