鏡の国
◇
鏡の奥に何を見たの?
それは過去、そして未来
鏡は私に何を見せるの?
それは真実、そして虚構
私は鏡を通して世界を見る
鏡は私を通して世界を知る
私は鏡、鏡は私
鏡合わせ
―――そして今日も世界は死ぬわ
◇
「だからこの詩が鏡写しの文字で書かれていることはわかったわ。私はこの詩の意味が知りたいの」
アリスの言葉にハンプティ・ダンプティ(卵から手足が生えたような奇妙な生物)は、飄々とした態度で答える。
「この詩の意味だって? 君は面白い事を聞くねアリス。詩の意味なんて読み手の解釈によって異なるに決まっているだろう?」
幾度となく繰り返されたこんなやりとりに、いい加減アリスはうんざりしていた。
ここは鏡の国。いくつもの小世界が鏡の境界線によって仕切られている……いわばチェスの盤面のような姿をした国なのだ。
ワンダーランドに伝わる伝説によれば、終焉の竜ジャバウォックは鏡の国に眠っているという。
「この詩にはジャバウォックの弱点が書かれているんでしょ? 私はそれが聞きたいのよ」
「ジャバウォックの弱点? アリスやアリス、ジャバウォックに弱点なんてありはしない。だって奴は終焉そのものなんだから」
ハンプティ・ダンプティは人を小ばかにしたような声音で話を続ける。
「ジャバウォックは……そうだな、概念そのものだ。かわいいアリス、君はどうやって概念を殺すつもりなんだい?」
アリスはイライラと手にしているナイフを指でなぞった。
「だけど倒せない相手ならば、キャロルが私を遣わすはずがないわ」
ハンプティ・ダンプティは存在しない顔でニヤリと笑い……詩の一説を高らかに読み上げる。
ヴォ―パルの剣ぞ手に取りて
尾揃しき物探すこと永きに渡れり
憩う傍らにあるはタムタムの樹
物想いんいたりて足を休めぬ
「いいかいアリス。もし君がジャバウォックと戦うのなら、概念を殺す武器≪ヴォ―パルの剣≫を手に入れなくてはならない。まあ、剣を手に入れてもジャバウォックが殺せるかどうかは保証しかねるがね」
やっとでてきた有力な情報に、アリスはほっと溜息をついた。
「はあ、知っているなら最初から言いなさいよ。で? その剣はどこにあるの?」
その問いに、ハンプティ・ダンプティはやれやれといった様子で、小さい子供に諭すかのようにゆっくりとしゃべりだす。
「アリス、君は馬鹿なのかい? それとも何も考えていないだけなのかな? ヴォ―パルの剣は伝説の産物だ。この僕ごときが場所を知っていたら伝説でもなんでもないだろう」
今度こそ我慢の限界だ。アリスはナイフを握りなおすと俊敏な動作でハンプティ・ダンプティに刃を突きつけた。
「いい加減にしなさいハンプティ・ダンプティ。私には時間が無いの。これ以上何も知らないならそう言って。知っているならさっさと話すのよ、私はあなたを切り裂きたくてウズウズしているんだから」
その声色でアリスが本気だと悟ったのか、彼は肩をすくめると話し出す。
「自分を見つめなおすことだよアリス。今はこれしか言えないがね」
そしてこれ以上話すことなど無いとばかりにだんまりを決め込む。
「……邪魔したわね」
そうしてアリスはハンプティ・ダンプティの家を後にした。ヴォ―パルの剣についての手掛かりはない。
「どうしたものかしら?」
ふと自分の手にしているナイフに視線を下す。ずっしりとした大ぶりのナイフ。その見事な装飾が施された金色の柄に何か文字が彫り込まれている。
≪ヴォ―パルの剣≫
「クソッ!!」
無駄な時間を過ごしてしまった。剣はすでにアリスの手にあったのだ。
怒り狂ったアリスは、よっぽど先ほどの場所に戻ってハンプティ・ダンプティを切り刻んでやろうかとも思ったが、それこそ時間無駄というものだ。
なにせ終焉まで、もう時間がないのだから……。