【記録 No.019】最初の取引
灯台の町をめぐる一連の事件から、数週間が過ぎた灯り島。
午後の柔らかな光が差し込む行政相談所で、拓海は机一面に広げられた書類の整理に追われていた。
「『行政の仕事はここから始まる』……自分で言った手前、後回しにはできませんからね」
拓海は苦笑しながら、手元のバインダーに新しい行政フォーマットを表示させた。
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【交流再開申請】
対象地域:灯台町
目的:生活状況確認および物資交換試験
備考:長期間未交流地域につき段階的交流を推奨
管轄:灯り島行政相談所
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あの日、世界へと再登録された灯台町。
だが数十年間も世界から隔離されていた場所と、いきなり大々的な交易を行うことはできない。
まずは生活状況の確認と、小さな物資交換──段階的な交流から始めるのが行政の筋道だった。
「拓海ー! 来たよー!」
相談所のドアが勢いよく開かれ、リリアが飛び込んできた。
「港! 港に船が戻ってきた!」
◇
港の桟橋には、噂を聞きつけた島民たちが集まっていた。
波を掻き分けてゆっくりと接岸するのは、一隻の巨大な木造船。
だが、その船体には長年霧の境界を航行してきた名残なのか、光の加減によって陽炎のような揺らぎが残っていた。
その不思議な船影を見上げ、桟橋の端にいた小さな影たちが声を上げる。
「来た!」
「本当に戻ってきたんだ!」
小さな角と翼を持つ、ドラゴン族の若い子供たちだった。
灯り島で暮らし始めてからしばらく経つ彼らも、今では島の一員として少しずつ生活に馴染み始めている。
好奇心旺盛な少年ドラゴンが、船へ駆け寄ろうとして身を乗り出した。
「ルク、危ないよ」
その隣で、薬草の束を抱えた少女ドラゴンが慌てて声をかける。
植物や薬草に興味を持つ少女、ミアだった。
「だって見たことない船だよ! あの揺れてるところ、どうなってるのかな?」
ルクは目を輝かせながら、船体に残る霧の揺らぎを眺める。
「ねえ、あれ……幽霊船みたい!」
「幽霊船だ!」
「誰が幽霊船だ、誰が」
タラップが下ろされ、降り立ってきたのはカイルだった。
海賊のような不敵な笑みを浮かべてはいるが、船尾には急ごしらえで作られた白い仮旗が掲げられている。
そこには下手くそな手書きで、灯台を模した簡素な絵が描かれていた。
拓海が歩み寄って尋ねる。
「カイルさん、その旗は?」
「あ? ああ……」
カイルは頭をかいた。
「町の正式な旗なんてまだねぇからな。とりあえず灯台町から来た船だって分かればいいだろ」
その傍らで荷降ろしの手伝いをしていたペルが、ぽつりと呟く。
「……半分くらい、幽霊」
カイルは思わず天を仰いだ。
「お前まで言うな! 一応、ちゃんと実体はあるだろ!」
港に小さな笑いが漏れる。
以前のような張り詰めた空気は、もうそこにはなかった。
◇
船から降り積まれたのは、豪華な交易品などではなく、灯台町の古い倉庫に眠っていた生活資材だった。
長年手に入らなかった紙や筆記具の束、補修用の古い大工道具、そして保存の利く乾物。
対する灯り島側が用意できたのも、ペルが運んできた採れたての魚や、島で採れた木材といった、互いの手元にある小さな余剰品だ。
「……まずはこれで十分です」
拓海は集まった島民たちに向き直した。
「大げさな貿易ではありません。これは互いの無事を確認し、足りないものを補い合うための試験運用です。段階を踏んで、少しずつ互いを助け合っていきましょう」
島民たちから安堵の混じった声が上がり、穏やかな物資の引き渡しが始まった。
その様子を少し離れた場所から眺めていたリリアが、ふとぽつりと呟いた。
「……ねえ、拓海」
「どうしました、リリアさん」
「私たちが今、灯台町に渡せるものって……たまたま見つけたものばかりだよね」
リリアは足元を見つめながら続けた。
「この島に何があって、何が危険なのか……私たちはまだ、この島の手前しか知らないんじゃないかな」
「……確かに。現状、我々が把握しているのは港の周辺と相談所の近辺だけですね」
リリアは振り返り、真っ直ぐな瞳で拓海を見つめた。
「勇者ってね、戦う前にやることがあるんだよ」
「敵がどこにいるか調べること。安全な道を探すこと。仲間が帰ってこられる場所を作ること……昔は、それを魔王城へ向かうためにやってた」
彼女は胸を張り、ニッと笑ってみせた。
「今度は……この島でやる!」
◇
荷降ろしが終わり、出航の準備を整えたカイルの船の前で、拓海はバインダーを開いた。
「カイルさん。あなたの場合、長期間世界から離れていたこと、および元海賊という経歴上、本来なら渡航制限がかかる立場です。ですが──」
拓海は画面をスワイプし、一枚の電子書類を提示した。
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【特例航路従事許可証】
対象者:カイル・ヴァレン
業務内容:灯台町 ── 灯り島間の連絡および物資運搬業務
有効期限:一年(審査更新制)
発行:灯り島行政相談所
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「あの海域を安全に渡り、両地域を繋ぐことができるのはあなたしかいません。したがって、特例としてこの許可証を発行します」
カイルは表示された自分の名前と許可証の文字を、じっと見つめた。
かつては罪悪感から逃げ続け、二度と戻れなかった町。
今、その手にあるのは、許された宥免状ではなく、正当な『手続き』を経て与えられた、社会的役割という名の資格だった。
「……俺みたいな奴に、また資格をくれるのか」
「必要だから発行します。それが行政です」
二人はフッと口元を緩め、カイルは許可証のデータを胸元へ収めた。
「……悪くねぇな。任せとけ、相談員」
カイルがタラップを上がり、船がゆっくりと岸壁を離れていく。
戻る場所と役割を得た男が操る船は、もう幽霊船などではなかった。
◇
夜。
拓海は相談所の窓から、遠くの海を眺めていた。
「灯台の町は、世界へ戻った……」
拓海は振り返り、机の上を見た。
そこには、まだほとんど白紙の『灯り島全体図』が置かれていた。
港周辺と行政相談所。
そこから先は、何も描かれていない広大な空白が広がっている。
「でも、灯り島はまだ、世界に繋がっていない」
拓海は胸の中で言葉を紡ぐ。
──この島に何があり、何が足りなくて、何を守るべきなのか。
まずそれを知らなければ、行政は始められない。
その時、ガチャリと扉が開いた。
巨大な背負い籠を背負い、頑丈なブーツを履いたリリアが立っていた。
「そ、その格好は……どうしたんですか、リリアさん」
「明日から、島を歩こうと思って」
「ハイキング……ですか? しかし、その籠は」
リリアはいたずらっぽく笑った。
「この島で、みんなが暮らす為の物資を探そうと思って」
彼女は一歩踏み出し、机の上に置かれた白紙の地図を指差した。
「まずは、この地図を完成させる!」
かつて世界を救うために剣を握った勇者は。
今度は、誰かが生きる場所を作るために歩き出す。




