第9話「崩れ落ちる仮面」
翌朝、アシュレイは奇跡的な回復を遂げた。
しかし回復は公には伏せられた。
敵を炙り出すための計略だった。
寝室のカーテンの隙間から柔らかな朝の陽光が差し込み、埃をキラキラと輝かせている。
アシュレイはベッドに背中を預け、横に座るルシエルをじっと見つめていた。
「……少し、食べさせてくれ」
「えっ……? あ、はい」
温かい粥を匙ですくい、口元へ運ぶ。
指先の包帯を一瞥し、苦々しそうに眉間にしわを寄せた。
「……自分でできる。だが、今は、お前に甘えたいのだ」
あまりにも率直な言葉に心臓が大きく跳ねた。
昨夜の事件を境に、彼の仮面は完全に崩れ去っていた。
前でだけ見せる一人の男としての、脆く執着に満ちた素顔。
「……ルシエル。昨夜の毒は、内務大臣の手によるものだ。証拠は既に、私の部下たちが押さえている」
声は静かだが、その奥底には氷のような怒りが秘められている。
「奴は、私の魔力を奪い、傀儡として利用しようとしていた。……私がいなくなれば、次はお前も狙われただろう」
包帯が巻かれた手を、大きな手でそっと包み込んだ。
「二度と、お前を傷つけさせない。この命に代えても」
「閣下……」
「アシュレイ、と呼べ。……二人きりの時は」
蒼氷色の瞳が熱を帯びて捉える。
至近距離で、彼から放たれる香りを全身で受け止めた。
それは以前のような灰の味ではない。
深く芳醇な、抗い難い誘惑を孕んだ最高級のチョコレートのような甘み。
『……この香り、すごく……心臓に悪い』
顔を真っ赤にし、視線を彷徨わせた。
すると顎を指でくいと持ち上げられ、唇を奪われた。
「ん……っ」
重なり合う唇から、互いの体温と想いが溶け込んでいく。
どんな菓子よりも濃厚で官能的な味わいだった。
舌が捉えたのは狂おしいほどの独占欲。
『ああ……全部、私だけのものなんだ』
とろけそうな感覚に身を任せ、首筋に腕を回した。
シュガーが窓辺で眩しそうに目を細め、尻尾をパタパタと振っている。
陰謀の嵐はまだ去ってはいない。
だが、二人の間に芽生えたこの絆はどんな猛毒も悪意も寄せ付けないほどに強く、甘く成熟していた。
「……愛している、ルシエル」
唇を離し、額を押し当てながら囁く。
幸福という名の甘露に溺れながら、幸せそうに微笑んだ。
「私も……アシュレイ様。ずっと、お傍にいます」
二人の影が朝日に溶け合い、寝室にはただ優しく甘い空気だけが満ち溢れていた。




