第8話「決死の浄化」
深夜の厨房は、地獄のような熱気に包まれていた。
ルシエルは狂ったようにオーブンの火力を上げ、魔力の全てを指先に集中させていた。
作ろうとしているのはただの菓子ではない。
毒を吸着し強制的に体外へ排出させる、癒やしの魔力を極限まで高めた薬膳の菓子だ。
指先の痛みは、もはや感覚を失いつつある。
だが、止まらない。
脳裏に浮かぶのは、あの月夜のバルコニーで抱きしめられた腕の温もり。
あの不器用で誰よりも孤独な男を、死なせてなるものか。
『苦い……。熱い……。でも、まだ足りない……!』
高位精霊獣の好物である特殊な木の実をすり潰し、魔力で精製した蜜を加えた。
ボウルの中の生地が青白い光を放ち始める。
それは生命力そのものを削り取っている証拠でもあった。
「きゅ、きゅい……」
足元でシュガーが心配そうに裾を噛む。
「大丈夫だよ、シュガー。……これを、閣下に届けなきゃ」
視界が火花の散るような白光に包まれる。
意識が遠のきそうになるのを、唇を噛み切ることで繋ぎ止めた。
焼き上がったのは、雪のように白い小さなメレンゲの塊。
全ての毒を浄化する祈りの味を宿していた。
◆ ◆ ◆
よろめく足取りで私室へと向かった。
晩餐会は既に終了し、王宮は深い闇に沈んでいる。
部屋の前に着いた瞬間、中から激しい咳き込みと何かが壊れる音が聞こえた。
「閣下!」
扉を押し開けると、床に膝をつき胸を抑えて苦悶する姿があった。
口の端から一筋の黒い血が流れている。
「……来るな……と言った……。ル……シエル……」
声は今にも消え入りそうなほど細い。
周囲を漂う空気は腐敗した沼のような絶望的な味に染まっていた。
「これを、食べてください。お願いです、噛まなくていいですから」
身体を抱き寄せ、冷え切った唇にメレンゲを押し込んだ。
拒む力もなく、されるがままにそれを受け入れる。
「…………っ」
メレンゲが口の中で溶けた瞬間、激しい光が全身を包み込んだ。
指先から体内に向かって膨大な熱が流れ込んでいく。
巣食っていた黒い毒が白い光に弾かれ、霧散していくのが見えた。
「……が、はっ!」
大きく一回、血を吐き出した。
だが、その血はもはや黒くはない。
呼吸がゆっくりと、確実に安定していく。
「……ルシエル。……お前、自分の……手を……」
震える手で指先を掴まれた。
毒を中和するために酷使された指先はひび割れ、痛々しく変色している。
瞳に激しい後悔と怒りが滲んだ。
「……なぜ、そこまで……。私のような……価値のない男のために……」
「……価値がないなんて……言わないでください。閣下が……生きていてくれれば……私は、それだけで……」
安堵からくる涙を堪えきれず、胸に顔を埋めた。
折れそうなほど細い肩を、壊れ物を扱うように優しく抱きしめられる。
伝わる鼓動は力強く、甘い感謝の味を奏でていた。




