第4話「秘密のティータイム」
早朝の厨房は、まだ寝静まった王宮の中で唯一、命の拍動を刻んでいる場所だ。
搬入されたばかりの新鮮な木苺の籠を覗き込んだ。
指先に触れる果実は、夜露の名残でひんやりと冷たい。
一粒口に含むと、鮮烈な酸味とともに太陽の光を浴びて育った植物の真っ直ぐな生命力が、ピリピリとした刺激となって舌を焼いた。
今日の感情の仕込みは、この酸味を核に据えることに決める。
専属になってから生活は一変した。
他の使用人からの露骨な嫌がらせは影を潜めている。
それは敬意ではなく、騎士団長という巨大な影への恐怖が周囲を萎縮させているに過ぎない。
そんな周囲の澱んだ濁りを背中で感じながら、黙々と作業を続けた。
小麦粉をふるい、焦がしバターの芳醇な香りを部屋中に充満させる。
卵白を泡立てるボウルの音は、心音と同期するように速度を上げた。
混ぜ合わせる瞬間の、生地が空気を抱き込むふっくらとした手応え。
それは頑ななアシュレイの心が、ほんの一瞬だけ緩む瞬間に似ている気がした。
◆ ◆ ◆
執務室の重厚な扉を抜けると、そこには既に戦闘服を完璧に着こなしたアシュレイがいた。
窓から差し込む朝日に照らされた横顔は、あまりにも完成されすぎていて人間味を感じさせない。
だが、その膝の上には真っ白な毛玉が当然のような顔をして鎮座していた。
「……来たか」
アシュレイの声が、以前よりも低くどこか甘やかに響く。
意識的に早くなる鼓動を抑え、銀のトレイを机の端に置いた。
「今朝は木苺のタルトを焼きました。少し酸味を強くして、頭をすっきりさせる配合にしています」
「……ふん。余計な知恵を」
口では毒づきながらも、アシュレイの手は迷いなくフォークへと伸びる。
サクという軽快な音が、沈黙の支配する部屋に心地よく響いた。
彼の喉が小さく上下する。
その瞬間、口内には氷が解けて清流が流れ出すような澄み切った味が広がった。
『ああ、喜んでくれている』
言葉はなくとも、周囲に漂う魔力の波動が穏やかな春の海のように凪いでいく。
それはどんな賛辞よりも価値のある報酬だった。
「きゅ~い!」
シュガーが抗議の声を上げ、アシュレイの膝を前足で叩く。
アシュレイはため息をつき、タルトの端を小さく切り分けて口元へ運んだ。
その動作は、戦場を駆ける英雄のものとは思えないほど優しさに満ちていた。
「……お前、ルシエルと言ったな」
不意に名前を呼ばれ、背筋を伸ばした。
「はい、閣下」
「なぜ、そんな顔をして私を見る」
「……そんな顔、とは?」
「まるで、捨てられた子犬を拾ったかのような……慈悲深い、不愉快な目だ」
蒼氷色の瞳が真っ直ぐに射抜く。
一瞬、息を呑んだ。
自分でも無意識のうちに、彼の中に潜む孤独に手を伸ばしていたのかもしれない。
「……申し訳ありません。ただ、閣下が美味しそうに召し上がってくださるのが、嬉しくて」
「…………」
ルシエルは気まずそうに視線を逸らした。
その頬がほんのりと朱に染まっている。
「勘違いするな。私はただ、食事としての義務を果たしているだけだ。……味がするのは、お前の菓子だけだからな」
それは彼なりの最大級の告白だった。
胸の奥に、甘酸っぱい果実が弾けたような熱い痛みが走る。
二人の間に、密やかで濃密な空気が漂い始めた。
王宮のどの華やかな晩餐会よりも贅沢で甘いティータイムだった。




