番外編「孤独な獣が愛を知るまで」
◇アシュレイ視点
世界は、灰色の砂でできていた。
幼い頃から、私は戦うことだけを教えられてきた。
振り下ろす剣の重み、返り血の生臭さ、そして勝利の後の空虚な静寂。
魔力を酷使するたびに、私の身体からは感覚が一つずつ抜け落ちていった。
いつからか、食事はただの燃料補給となった。
肉を噛んでもワインを飲んでも、舌に残るのは不快な砂の感触だけだ。
周囲の貴族たちは私を帝国の剣と称え、畏怖した。
だが、その瞳の奥にあるのは化け物を見るような嫌悪と、利用価値を値踏みする強欲さだ。
『苦い。世界は、なんて不味いんだろう』
そんな私が、あの日、ルシエルに出会った。
最初に感じたのは、暴力的なまでの甘い匂いだった。
執務室に現れたその給仕は銀色の髪を揺らし、硝子細工のように壊れそうな、それでいて透き通った瞳をしていた。
「……お前、甘い匂いがするな」
私は自身の苛立ちを隠すこともなく言い放った。
彼が差し出した菓子を口にした瞬間、私の世界は音を立てて崩壊した。
脳を直接揺さぶるような、鮮烈な味。
それは単なる糖分の甘みではない。
私の孤独を、渇きを、そして誰にも言えなかった絶望を優しく包み込んで融かすような、慈悲の味だった。
『……なんだ、これは』
その時からだ。
私の心は、彼という存在に完全に支配された。
彼が作る菓子が欲しい。
彼が淹れる茶が飲みたい。
いや、それだけではない。
彼自身のその細い指が、震える睫毛が、私に向ける真っ直ぐな瞳が、狂おしいほどに欲しくなった。
私は、彼を自分の手元に置くために騎士団長という権力を行使した。
嫌われてもいい、疎まれてもいい。
この無味乾燥な砂漠のような日々の中で、彼だけが私の命を繋ぎ止める唯一の毒薬であり、救いだったからだ。
彼が毒から私を救ってくれた夜、私は初めて自分を呪った。
彼の指先を傷つけ、血を流させてまで、生きながらえる価値が自分にあるのかと。
だが、泣きながら私を抱きしめた彼の体温は、私の魂に深く刻まれた。
『ああ、私は、この者のために生きたい』
今、私の膝の上で眠る彼を見つめる。
窓からの月光に照らされたその寝顔は、あまりにも尊く愛おしい。
世界はもう灰色ではない。
ルシエル。
お前が教えてくれたこの味を、私は死ぬまで手放さない。
たとえ、世界中の敵に回しても。
お前という甘い奇跡を、私は永遠にこの腕の中に閉じ込めておくつもりだ。




