第11話「真実の味」
アシュレイの別邸。
王都から馬車で半日ほどの場所にある、深い森に囲まれた静寂な館だった。
小鳥のさえずりと風が木の葉を揺らす音だけが聞こえてくる。
毒々しい空気とは正反対の、清らかな緑の味がする場所。
だが、心は一向に晴れることはなかった。
別邸へ送られてから三日が過ぎた。
アシュレイは一度も姿を見せず、ただ無事であることを知らせる短い手紙だけが届く。
ルシエルは広いキッチンで無心に生地を捏ねていた。
『……アシュレイ様は、今、何を食べているんだろう』
自分の菓子がなければ、再び無味の世界に戻ってしまうのではないか。
それとも事件が解決したことで呪いも解けたのだろうか。
考えれば考えるほど、酸っぱい不安が募っていく。
「きゅい……」
シュガーが元気づけるように鼻先を足に押し付けた。
命令で護衛として一緒に来ていた。
「ありがとう、シュガー。……でも、やっぱり、寂しいね」
焼き上がったばかりのスコーンを一口齧った。
自分で作ったはずなのに、何の感情も宿っていないように感じられた。
誰かのために、誰かを想って作る。
その本質を欠いた菓子はただの甘い塊でしかなかった。
◆ ◆ ◆
その夜、激しい雨が別邸を叩いた。
ルシエルは暗い部屋の中で一人、窓の外を見つめていた。
稲光が空を裂くたびに、庭の景色が真っ白に浮かび上がる。
その時、外から馬の嘶きと慌ただしい足音が聞こえてきた。
「……閣下!?」
裸足のまま廊下へ飛び出した。
重い扉が開くと、雨に濡れそぼり息を切らせた姿が立っていた。
軍服は乱れ、その表情は鬼気迫るものがある。
「アシュレイ様! どうして、こんな嵐の中を……」
駆け寄ると、力なくその場に膝をついた。
「……ルシエル……。すまない……、もう……限界だ……」
身体から放たれるのは、以前よりもずっと濃厚で悲痛な飢えの味だった。
冷え切った身体を必死に支え、部屋へと運んだ。
暖炉に火を焚べ、濡れた服を脱がせる。
手を取られ、その掌に顔を埋められた。
「……何も……味がしないんだ。お前がいないと……世界が、砂に変わっていく……」
声は子供のように震えていた。
冷徹な騎士団長の面影はどこにもない。
頭を優しく抱きしめ、体温を分け与えた。
「……私は、ここにいます。どこにも行きません」
「……私は、お前を自分の都合で遠ざけた。お前の気持ちも考えずに……。卑怯で、身勝手な男だ」
「いいえ。……私を想ってくださったからこそ、つらかったんですよね」
唇に指先でそっと触れた。
「……今、お菓子を持ってきます。アシュレイ様の世界を、もう一度彩るためのものを」
キッチンへ走り、この三日間作り続けてきた真実の味を宿したチョコレートを取り出した。
愛、寂しさ、二度と離れないという決意を込めた究極の一粒。
「……召し上がってください。私の……本当の気持ちです」
手から直接チョコレートを口に含んだ。
ゆっくりと舌の上で溶けていく。
その瞬間、瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
「……甘い。……温かくて、胸が苦しくなるほど……甘い味だ」
引き寄せられ、深い口づけを交わした。
甘みが間で溶け合い、混ざり合っていく。
言葉を介さない魂の会話だった。
周囲を漂う空気はもはや嵐のそれではない。
芳醇な花の香りと蜂蜜の熱を帯びた、生命の祝福の味だった。




