ネイトが選んだ道2
無言のまま再び強く引っ張られるが、ネイトも必死で手すりにしがみつく。
気づいたドレイクも眼鏡の侍女の髪を掴んで手荒に引っ張った。
何事かと眼鏡の侍女はきょろきょろと周囲を見回すが、ドレイクは姿を消しているため、その存在を認識できない。
もちろんネイトは左目を通して奮闘する姿が見えているため、手助けをしてくれるドレイクに感謝の気持ちを抱いた。
しかし、眼鏡の侍女の力は強かった。健闘虚しく手すりから無理やり引き離されそうになり、ネイトは叫んだ。
「母さん!」
すぐさまミラーナの視線が階段へと向けられ、手すりの柱の隙間から目と目が合った。
「ネイト!」
「……ミラーナ、動くな!」
ネイトに向かって走り出したミラーナを、ゴードンが止めた。
「それ以上ネイトに近づいたら、この侍女に傷を負わせるぞ」
ゴードンがエルザの首を絞めるように後ろから右腕を回した。
そして宣言通り、すぐにでも魔法を発動するとばかりにエルザの頬に左手を添える。
エルザを人質に取られてしまい、ミラーナはそれ以上動けない。
悔しさと怒りがないまぜになった目でゴードンを睨みつけたあと、心配そうにネイトへ視線をのぼらせた。
ミラーナの動きを封じたことに気分を良くしたらしく、ゴードンは薄ら笑いを浮かべながら、ネイトに命じる。
「ネイト、今すぐ部屋に戻りなさい」
ゴードンの言葉で、眼鏡の侍女の力が増す。
とうとう手すりからネイトの手は離れたが、だからといって、そのまま大人しく引きずられるつもりはなかった。
ネイトは即座に眼鏡の侍女の腕に噛みついた。悲鳴と共に手が離されると、すぐさまネイトは階段へ舞い戻る。
「母さん!」
いろいろありがとう。
言うべき言葉はわかっていた。
わかっているのに、心が違うと悲鳴を上げる。
言葉が喉に詰まって出てこない。
ネイトは逡巡した後、真っすぐミラーナを見つめた。
声を振り絞って、素直な想いを言葉に変える。
「母さん……俺も……連れて行って」
か細く震える声がミラーナに届き、ネイトだけを見つめる瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
癇癪を起したように眼鏡の侍女が「何をおっしゃっているのですか!」と叫び、ネイトの腕を掴んだ。
ネイトが身をよじって抵抗すると同時に、ミラーナはエルザを捕えているゴードンへ振り返った。
ミラーナの鋭い眼光にゴードンは気圧されるが、すぐに自分が優勢であることを思い出し、上から目線で告げる。
「この家の主は私。ネイトがなんと言おうが、私の言葉に従って……」
ゴードンの足と手が瞬く間に凍り付いていった。それにエルザは目を大きく見開きつつも、即座にゴードンの元から逃げ出した。
「お前の仕業だな! くそっ!」
ミラーナは冷ややかな眼差しをゴードンに突きつけたあと、静かに踵を返して歩き出す。
もちろん向かう先は階段だ。
「ネイトから手を離しなさい!」
迫力を伴ったミラーナからのひと言に、力任せにネイトを連れて行こうとしていた眼鏡の侍女がびくりと体を竦める。
そして、どうあがいても勝てないと悟ったのか、ネイトを掴んでいた手から力を抜き、怯え顔で後ずさっていった。
ネイトの目の前で、ミラーナが足を止める。羽織っていたストールを外すと、小さな体を包み込むようにネイトの肩にかけた。
見つめるしかできないネイトの視線の先で、ミラーナが優しく微笑んだ。
「もちろんよ。ネイトを置いていったりしないわ」
「……母さん」
「私と一緒に行きましょう」
ミラーナに抱き締められ、ネイトは温かな母の体温を、初めてしっかりと感じ取った。
(俺はこの温もりを……この人を信じたい)
心の中にある信頼という確かな気持ちを乗せて、少し声を上ずらせながら返事をする。
「うん」
差し出されたミラーナの手をネイトは握りしめた。
ゆっくり階段を降りると、ミラーナの侍女たちがネイトを迎え入れるように微笑みを浮かべる。
エルザだけは感極まり涙を流しながら喜びで打ち震えていて、思わずネイトは苦笑する。
そのままゴードンに視線を送ることなく、目の前を通り過ぎようとしたところで、強い口調で話しかけられた。
「おい、ミラーナ! お前は離縁の合意書にサインしただろう。忘れた訳じゃないだろうな。親権は俺にある。このままネイトを連れて出て行ったら、お前は罪を問われるぞ」
ミラーナはぴたりと足を止め、ゴードンを冷めた目で見た。
「ネイトと共に人生を歩んでいけるなら、罪人にでもなんでもなりましょう。だって、ここに置いていく方がよっぽど罪深いもの」
覚悟の言葉が力強く響き、ゴードンが怯んだところで、ゴンゴンと玄関の扉がノックされた。
ミラーナの侍女が戸惑いながら戸を開けると、しずしずと神官の男が家の中に入ってきた。
神官の男は、以前、ミラーナに離縁合意のサインを迫ったその人であり、味方の登場とばかりにゴードンが表情を明るくさせた。
「良いところに来てくれた! その女が我が息子を誘拐しようとしている。捕まえてくれ!」
神官は手足が凍っているゴードンの状態にぎょっと目を見開きつつも、はきはきと返答する。
「申し訳ございませんが、それはできません」




