パン、仲間が増える
街道を歩きながら、レモネが言った。
「……ねえ、ブレッド」
俺は鞄の中にいる。
「あなたって、本当に普通のパン?」
違う。
俺は普通のパンではない。
元人間だ。
……たぶん。
「昨日の魔族も、あなたを狙ってた」
そう。
「魔王もあなたを欲しがっている」
そう。
「古い予言では、あなたが救世主らしい」
そうらしい。
「……」
レモネが黙る。
そして。
「やっぱり食べていい?」
なんでだよ。
俺は鞄の中で激しく跳ねた。
「冗談、冗談」
レモネが笑う。
俺は怒った。
ぽすぽすぽす。
「ふふっ」
楽しそうだ。
しかし。
俺には一つだけ気になっていることがあった。
俺は本当に救世主なのか?
俺は何もしていない。
魔物を倒したと言っても、転がっただけ。
魔王軍と戦ったと言っても、杖にぶつかっただけ。
剣も使えない。
魔法も使えない。
そもそも手足すらない。
そんな俺が。
本当に世界を救えるのだろうか。
俺がそんなことを考えていると。
「――止まって」
レモネが足を止めた。
「何かいる」
街道の脇。
木々の向こうから、かすかな音が聞こえる。
「……助けて」
女の声だった。
レモネが剣を抜く。
「誰?」
「お願い……」
茂みをかき分ける。
そこにいたのは、一人の少女だった。
黒い髪。
紫色の瞳。
秩序ある魔族の証として、頭には――
二本の小さな角。
「魔族……」
レモネが警戒する。
少女は怯えたように両手を上げた。
「違う」
「何が?」
「私は……あなたたちを襲いに来たんじゃない」
少女はレモネを見る。
そして。
鞄の中の俺を見る。
「そのパンを……」
少女の顔色が変わった。
「やっぱり」
「何が?」
「そのパン……救世主様」
俺は固まった。
またそれか。
「あなた、知ってるの?」
レモネが尋ねる。
「知ってる」
少女は頷く。
「私は魔王城の見習い魔術師」
魔王城。
俺は身構える。
「名前は?」
「クロワ」
クロワは俺を見つめた。
「私は、あなたたちを助けに来た」
「魔王の命令?」
「違う」
「じゃあ、なぜ?」
クロワは少し迷ってから。
「……魔王様が、間違っているから」
レモネが眉をひそめた。
「魔王が?」
「はい」
クロワは小さく頷く。
「魔王様は、あなたたちが世界を滅ぼすと思ってる」
俺は驚いた。
世界を救う救世主。
なのに魔王は俺を恐れている。
「でも」
クロワが続ける。
「古い予言には、続きがあります」
「続き?」
「はい」
彼女は懐から古文書の切れ端を取り出した。
『パンの救世主は、世界を救う』
そこまでは同じ。
しかし。
その下には、別の文章があった。
『ただし――』
俺は息を呑む。
『絶対にジャムを塗ってはならない』
「……は?」
レモネが素で声を漏らした。
クロワも困惑したように古文書を二度見している。
「どういうこと?」
「ええと……」
クロワは震える指で古文書を指した。
「『ひとたび甘美なる果実の蜜を塗られしとき』」
「うん」
「『そのパンは理性を失い、すべてを食らい尽くす暴食の魔獣と化す』……だそうです」
「…………」
レモネが黙る。
クロワも黙る。
ふたりの視線が、同時に俺へと注がれた。
やめろ。
そんな目で見つめるな。
「ブレッド……」
レモネが不敵に微笑む。
「あなた、いちごジャムとか好き?」
塗るな。
絶対に塗るな。
俺は宙で全力で体を左右に振った。
必死のジェスチャーだ。
「ふふっ、冗談よ」
レモネが笑う。
冗談に聞こえないんだよ。
そのとき。
《特殊条件を達成しました》
頭の中に声が響いた。
《救世主としての自覚を確認》
《新スキル『意思』を獲得しました》
……意思?
《自分の身体を、より自由に動かせるようになります》
「…………!」
俺は身体を動かした。
今までなら転がるだけだった。
しかし。
少し浮いた。
ほんの数センチ。
空中に浮かんだ。
「えっ?」
レモネが驚く。
俺はそのまま宙を漂う。
上下左右。
自由に動ける。
「すごい……」
クロワも目を見開いた。
「空を飛んでる……」
そう。
俺は飛べる。
パンだけど。
空を。
俺は嬉しくなった。
これなら。
これなら、もっと誰かを助けられる。
そう思った瞬間。
森の奥から、大きな音がした。
ドンッ!
木々が揺れる。
そして。
巨大な魔物が姿を現した。
「グオオオオオッ!」
「魔物!」
レモネが剣を構える。
クロワが杖を構える。
俺も浮かび上がる。
一人と一人と一個。
奇妙なパーティーだった。
「ブレッド!」
レモネが叫ぶ。
「行ける?」
俺は。
ゆっくり前へ進んだ。
そして。
魔物に向かって飛んだ。
――ドゴォン!
「グオッ!」
俺の身体が魔物の腹に直撃する。
何度も何度も方向を変え。
魔物の周囲を飛び回る。
「速い!」
クロワが叫ぶ。
「これなら!」
レモネが剣を振る。
魔物がよろめく。
そこへ。
「ブレッド!」
俺が飛ぶ。
レモネが俺を打つ。
――バァン!
俺は砲弾のように飛んだ。
魔物の顔面へ。
直撃。
魔物が吹き飛んだ。
《レベルアップ》
《レベル5》
《新スキル『飛翔』を獲得しました》
戦いが終わり、俺たちは息をつく。
こうして俺たちは。
世界を救うため。
そして――
『俺にジャムを塗らせないため』の旅に出ることになった。
◇
だが。
その頃、魔王城では――
「クロワが逃げた?」
「はい」
「何を持っていった?」
「古代魔王語の予言書を」
「…………」
魔王は頭を抱えた。
「最悪だ」
「何か問題が?」
「ある」
魔王は窓の外を見た。
「あの予言書には……パンにジャムを塗ると世界が滅ぶと書いてある」
「なら、塗らなければいいのでは?」
「バカ者!」
魔王が叫んだ。
「あれは誤訳だ!」
「誤訳……?」
「古代魔王語の『ジャム』は……」
魔王は深刻な顔で言った。
「『バター』とも訳せるんだよ!!」
「…………」
「つまり、バターを塗ってもアウトだ!」
「「…………」」
「マーガリンも怪しい! 小倉あんも危険だ!」
魔王は頭を掻きむしる。
「とにかく、あいつに塗るタイプのものを近づけさせるな!」
「は、はい!」
「世界が終わるぞ!!」
世界最強の勇者。
世界最強の魔王。
独立した意思を持つ、塗られるものを制限された世界最強のパン。
その運命が。
なんとも言えない方向に動き始めていた。




