勇者パンを焼く
翌朝。
「……おはよう、ブレッド」
目を覚ますと、俺は皿の上にいた。
昨日、魔物を倒した俺は、そのまま城へ運ばれた。
そして一晩。
俺はずっと皿の上だった。
パンなので寝返りも打てない。
というか、俺は寝ているのか?
その疑問について考えていると。
「今日は朝ごはんを作るよ」
レモネが言った。
嫌な予感がした。
「お腹減った・・・」
やめろ。
俺を食材として見るな。
レモネは厨房へ向かった。
そして。
小麦粉。
卵。
牛乳。
バター。
砂糖。
それらを机の上に並べた。
「……パンを作ろう」
やっぱりそうなるのか。
「ブレッドみたいなパンを」
俺を目指すな。
俺は唯一無二の存在だ。
そもそも俺は転生者だ。
パンとして生まれた、世界でただ一つの存在。
たぶん。
「まずは生地をこねて……」
レモネが小麦粉を混ぜる。
そして。
俺を見る。
「ブレッド。どう?」
俺に聞くな。
俺はパンだ。
料理の知識なんてない。
……いや。
待て。
俺は前世で毎日のようにパンを食べていた。
そして。
日本人だ。
パン作りについての知識は、ほんの少しだけある。
俺は必死に身体を動かした。
ぽす。
「……?」
レモネが俺を見る。
俺は生地を見る。
そして俺を見る。
生地を見る。
俺を見る。
「……もっとこねろってこと?」
そう!
伝わった!
俺は感動した。
初めて意思疎通ができた。
レモネは生地をこね始める。
「こう?」
ぽす。
「こう?」
ぽすぽす。
「もっと?」
ぽすぽすぽす。
「分かった!」
レモネが生地をこねる。
俺は指示を出す。
パンと勇者。
奇妙な共同作業だった。
そして。
生地を発酵させる。
「次は焼くよ」
オーブンへ入れる。
俺は横で見守った。
しばらくして。
「できた!」
オーブンが開く。
そこには。
黄金色のパンが並んでいた。
「……!」
俺は感動した。
これは。
俺が前世で知っていたパンだ。
普通のパン。
当たり前のパン。
なのに。
なぜか涙が出そうになった。
俺はパンだから涙なんて出ないけど。
「食べてみよう」
レモネがパンを一つ取る。
そして口へ。
「……おいしい」
その瞬間。
光が弾けた。
《スキル『パン・ファミリア』が発動しました》
《新たな能力を獲得》
《『パン職人』》
俺の頭の中に知識が流れ込んでくる。
小麦の種類。
発酵時間。
温度。
焼成。
水分量。
パン作りに関する膨大な知識。
……なんでだ。
《勇者がパンを作り、パンを食べたことで特殊条件を達成しました》
《新たなスキルを獲得》
《『共有』》
共有?
《自身が知る知識を、パンを食べた者へ共有できます》
なるほど。
つまり。
俺が知っていることを、レモネに教えられる。
これは便利だ。
「ブレッド」
レモネが俺を見る。
「あなたって……」
彼女は少し考えて。
「もしかして、すごく頭がいい?」
違う。
俺は元サラリーマンだ。
頭がいいわけではない。
ただの一般人だ。
でも。
前世の知識なら。
この世界に持ち込める。
俺は初めて。
パンになったことを、少しだけ前向きに考えられた。
そのとき。
厨房の扉が勢いよく開いた。
「勇者様!」
兵士が飛び込んできた。
「大変です!」
「どうしたの?」
「昨夜倒した魔物ですが……」
兵士が息を整える。
「魔王軍の幹部だったことが判明しました」
「……!」
レモネの顔が険しくなる。
「魔王軍?」
「はい」
兵士が続ける。
「そして今朝、王都に魔王からの声明が届きました」
レモネが手紙を受け取る。
封を切る。
中には短い文章が書かれていた。
『勇者よ』
『我々は貴様と戦うつもりはない』
『これ以上、こちらへ近づくな』
『魔王より』
「…………」
レモネが黙り込む。
俺も考える。
おかしい。
魔王が。
勇者と戦いたくない?
普通なら。
「勇者よ、かかってこい!」
とか。
「世界を滅ぼしてやる!」
とか。
そういう話じゃないのか。
ところが。
魔王は。
来るな、と言っている。
「ブレッド」
レモネが俺を見る。
「私たち、どうするべきだと思う?」
俺は身体を揺らした。
魔王のところへ行く。
それしかない。
「……そうだよね」
レモネが笑った。
「行こう」
俺は皿の上から転がり落ちる。
ぽすっ。
「まずは魔王領へ向かう」
レモネが剣を腰に差す。
「そして聞いてみよう」
魔王がなぜ。
勇者を恐れているのか。
そして。
なぜ俺が。
パンとして、この世界に転生したのか。
俺たちは王都を出発した。
だが。
その頃。
魔王城では――
「……勇者が来る?」
黒い玉座に座る男が、頭を抱えていた。
「はい」
側近が答える。
「勇者と……それから、パンが一個」
「パン?」
魔王は顔を上げた。
「普通のパンか?」
「いえ」
側近は震えながら答えた。
「魔王様」
「なんだ」
「あのパン……」
側近は小さな声で言った。
「**古代魔王語を話しているようです**」
「…………」
魔王は立ち上がった。
「――勇者より先に、そのパンを連れてこい」
こうして。
勇者とパンの旅は。
魔王を倒す旅ではなく。
**魔王がパンを欲しがる理由を探す旅**へと変わった。




