パンは喋れない
「……パンが、動いた」
金髪美少女の勇者――レモネは、床に転がった俺を見つめていた。
俺もレモネを見つめている。
正確には、俺には目がないので見つめている気がするだけだ。
「まさか……魔物?」
レモネが剣に手をかける。
待て。
違う。
俺は魔物じゃない。
昨日まで人間だった。
たぶん。
「……鑑定」
レモネが俺に手をかざす。
《鑑定》
頭の中に、妙な文字が浮かんだ。
《名称:パン》
《種族:パン》
《レベル:1》
《攻撃力:2》
《防御力:1》
《魔力:0》
《スキル:発酵、焼成、食べられる、パンチ》
《備考:おいしい》
「…………」
レモネが固まった。
俺も固まった。
いや、俺は最初から固まっている。
「……パンだ」
そうだよ。
「本当にパンだ……」
だからそう言ってるだろ。
「レベル1……」
そうだよ。
「攻撃力2……」
弱いよ。
「防御力1……」
脆いよ。
「魔力0……」
ないよ。
「そして……」
レモネが最後の項目を見る。
「備考……おいしい」
そこは評価するな。
俺は怒った。
怒ったので、身体が震えた。
ぷるん。
「……」
レモネが一歩下がった。
「パンが怒った……?」
違う。
俺は人間だ。
中身は人間なんだ。
俺にはちゃんと名前がある。
俺は――
俺は――
「……名前」
思い出せない。
前世の記憶はある。
会社員だったこと。
毎日満員電車に乗っていたこと。
コンビニでパンを買っていたこと。
だけど、自分の名前だけが思い出せなかった。
そのことに気づいた瞬間。
俺は少しだけ怖くなった。
人間だった証拠が、一つずつ消えていく。
そして今の俺には。
名前すらない。
「……」
レモネが俺を持ち上げた。
「あなた、怖くないの?」
もちろん怖い。
怖いに決まっている。
パンなのだ。
誰かに食べられたら終わりなのだ。
俺は必死に身体を動かした。
「ふふ」
レモネが笑った。
「面白い子ね」
違う。
面白がるな。
「名前、ないの?」
……ない。
「じゃあ、私がつけてあげる」
レモネは少し考えて。
「ブレッド」
安直すぎる。
「……嫌?」
俺は身体を左右に揺らした。
もちろんパンなので左右に揺れただけだ。
「ふふ。気に入ったみたいね」
違う。
断固として違う。
しかし。
――ブレッド。
その言葉を聞いたとき。
不思議と胸の奥が温かくなった。
パンなのに。
「よろしくね、ブレッド」
レモネが笑う。
俺は初めて、自分がこの世界に存在しているような気がした。
その瞬間だった。
《条件を満たしました》
《称号『勇者のパン』を獲得しました》
……なんだそれ。
《効果:勇者が食べた場合、能力が大幅に上昇します》
食われる前提じゃねえか。
「そうだ」
レモネが俺を持ち上げる。
「食べてみよう」
やめろ。
「ちょっとだけ」
やめろ。
「いただきます」
やめろおおおおお!
レモネが俺を口へ運ぶ。
そして――
ガブッ。
俺の身体の一部が消えた。
「…………」
俺は死んだ。
そう思った。
しかし。
「……おいしい」
レモネが目を見開く。
「なにこれ……」
俺の身体から、強烈な光が溢れた。
《勇者による捕食を確認》
《特殊条件達成》
《スキル『分裂』を獲得しました》
……え?
《食べられた部分を再生できます》
俺の身体が光る。
欠けた部分が、みるみる元に戻っていく。
「えっ……」
レモネが俺を見る。
「再生した?」
そう。
どうやら俺は。
食われても死なないらしい。
むしろ。
《レベルが上がりました》
《レベル2》
《攻撃力:4》
《防御力:2》
《新スキル『パン粉生成』を獲得しました》
パン粉。
いらない。
そんな能力、絶対いらない。
しかし。
次の瞬間。
城の外から爆発音が響いた。
ドォォォンッ!
「なに!?」
レモネが窓へ駆け寄る。
遠く。
城下町から黒い煙が上がっていた。
「魔物……?」
レモネの表情が変わる。
勇者の顔だった。
「ブレッド」
彼女が俺を見る。
「行こう」
俺は皿の上で震えた。
嫌な予感しかしない。
「大丈夫」
レモネは俺を懐に入れた。
「あなたも勇者の仲間でしょ?」
違う。
俺はパンだ。
戦えない。
攻撃力4だ。
しかもパン粉しか出せない。
だが。
城を飛び出したレモネの体温を感じながら。
俺は少しだけ思った。
――この世界で。
俺にしかできないことがあるのかもしれない。
そして俺はまだ知らなかった。
この世界には。
**パンを食べた者にしか使えない、禁断の魔法が存在することを。**
そして、その魔法こそが。
魔王を倒すための唯一の鍵になることを。




