パンだった
俺は、パンになった。
……といきなり言われても、
何を言っているのか分からないと思う。
俺も分からない。
昨日まで俺は、普通の会社員だった。
朝は満員電車。
昼はコンビニ弁当。
夜は残業。
そして帰宅したら、スマホをいじりながら寝落ちする。
そんな、どこにでもいる男だった。
少なくとも、昨日までは。
「……ん?」
目を覚ます。
視界が妙に低い。
というか、視界がない。
「……?」
身体を起こそうとする。
動かない。
手もない。
足もない。
首もない。
「…………」
待て。
落ち着け。
これは夢だ。
きっと夢。
そうに決まっている。
俺は目を閉じる。
……目がないので閉じられない。
「…………」
詰んだ。
人生で初めて、本当の意味で詰んだ。
そのときだった。
「おーい。焼けたぞー!」
男の声が聞こえた。
次の瞬間。
俺の身体が、何者かによって持ち上げられた。
視界がぐるんと回る。
「いい焼き色だな」
大きな手。
白い服。
そして俺の目の前に現れたのは――巨大な顔だった。
「……」
俺は悟った。
俺は今、パン屋にいる。
そして。
「今日の新作、勇者様に献上するか」
男は俺を皿の上に置いた。
俺は、自分の身体を見る。
こんがりと焼けた茶色。
ふっくらとした丸い形。
表面には、香ばしい焼き目。
そして中央には、一本の切れ目。
「…………」
パンだった。
俺は。
パンだった。
「いやぁ、我ながら完璧な出来だ」
パン職人が満足そうに笑う。
違う。
そうじゃない。
俺はパンとして焼かれたんじゃない。
俺は――
人間だった。
……たぶん。
その瞬間。
頭の中に声が響いた。
《転生特典を付与します》
「…………!」
声が出ない。
《固有スキル『発酵』を獲得しました》
いらない。
《固有スキル『焼成』を獲得しました》
いらない。
《固有スキル『食べられる』を獲得しました》
それはスキルなのか?
《称号『異世界のパン』を獲得しました》
もっと他にあっただろ。
剣とか。
魔法とか。
せめて人間の身体とか。
《なお、転生先はパンです》
知ってる。
今まさにパンだから。
「さて」
職人が俺を持ち上げる。
「勇者様のところへ持っていくか」
嫌な予感がした。
いや。
ものすごく嫌な予感がした。
そして俺は、馬車に乗せられた。
揺られること数時間。
たどり着いたのは、巨大な城だった。
どうやら俺は、本当に異世界に来たらしい。
「勇者様。こちらを」
「パン?」
凛とした声。
俺の前に、一人の少女が現れた。
金色の髪。
青い瞳。
腰には立派な剣。
どう見ても勇者だった。
「焼きたてです」
「ありがとう」
少女は俺を手に取った。
そして。
「……おいしそう」
やめろ。
その目をやめろ。
俺は元人間だ。
食べ物を見る目で見るな。
「いただきます」
少女が口を開く。
「待ってくれ!」
叫んだ。
つもりだった。
しかし出てきたのは。
「……」
無音。
当然だ。
パンなのだから。
少女が俺を口元へ運ぶ。
もう駄目だ。
俺の異世界生活。
開始から半日。
終了。
そう思った、その瞬間だった。
「――ん?」
少女の手が止まった。
「なんだ……これ?」
俺の身体から、突然光が溢れた。
《条件を満たしました》
《固有スキル『パンチ』を獲得しました》
「…………」
パンチ?
《拳を持たない者が、拳を極めるためのスキルです》
意味が分からない。
俺はパンだぞ。
拳なんてない。
だが。
少女が俺を皿に戻した瞬間。
俺の身体が、ぶるん、と震えた。
そして。
――ドンッ!
俺の身体が宙へ跳ね上がった。
「えっ?」
少女が驚く。
俺はそのまま飛んでいき――
城の壁に激突した。
――バァンッ!
「…………」
「…………」
静寂。
床に落ちた俺を、少女が見つめている。
やがて彼女は、ぽつりと言った。
「……パンが、壁を殴った?」
違う。
俺だって意味が分からない。
しかし。
この瞬間、俺は決めた。
食われてたまるか。
パンとして生きる。
いや。
パンだからこそ。
俺は――
この異世界で、頂点を目指す。
こうして。
世界で初めての、
**戦うパンの物語が始まった。**




