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第22話 苦悩する人と追いかける人

 夢を見た。

 隣で誰かが泣いている。

 右手をずっと握ってくれている。

 暖かい夢だった。

「痛!腹が痛!」

 暖かい夢も心地良い眠りからも激痛に追い出された。

「ここは…」

 夏が近いにも拘らずこの生暖かさ、広い部屋を小さく区切るカーテン。

 ここは病室か?

「俺、死ななかったのか」

 起き上がろうとしたが力が入らない。

 左腕と胸を全てプロテクターのようなもので固められていた。それに、起き上がろうにも激痛が走って起き上がれない。

「何とかして起きられないものか」

「枕元のボタン押すの」

 向かいに居る人だろう。親切な人だ。

「ありがとうございます」

「いえいえ」

 程なくして医師と看護師が来た。

 術後がどうのこうの言っていたがよく分からなかった。

「意識ははっきりしているね」

「はい」

「どこか痛むかい」

「右腕以外全部」

「吐き気はないかい」

「はい」

「それでは…」

「あの、」

「なんだね」

 目線をカルテから俺に変えて優しそうな医師が答えた。

「起こしてもらえませんか」

 医師と看護師は苦笑いで俺を起こしてくれた。

 向かいに居る人に改めて御礼をしたいと思い顔を見た。

 そこには大量の参考書だろうかそれに向っている女の子が居た。

「女!」

 驚きで指を指してしまった。

「ああ、彼女のことか、それは後で説明させてもらうよ」

 いや、冷静に言われてもいくら小学生とはいえ男女一緒は問題だろ。

「それより君の両親はとんでもない親だね」

 親?……ああ、そう言われればそろそろ帰ってくる頃か。

「息子が入院しているのに、生きているならそれで十分ですって一度見てすぐに帰る親は初めてだよ」

「いえ、来てくれただけで奇跡ですよ」

「そ、そうなのか。まあそれは置いておこう。で、君の状態だが…凛ちゃん少しどこかに行っていてもらえないかな」

 看護師さんが一緒に行こうといっているが彼女は断固として動こうとしなかった。

「大丈夫です。聞かないように努力しますから。それに、他人に興味は無いので」

「だがね……」

「構いませんよ」

 これ以上無駄な時間を使わせるのは失礼だ。ここは俺が折れよう。聞かれても大した事ないだろうし見たこと無い顔だ知り合いに言われることもないだろう。

「そうか、では。左腕は三箇所の骨折の複雑骨折、肋骨も何本も折れていて臓器に突き刺さっていてね。特に肺と心臓が深刻だった。全力をつくしたが完全とは言えないところだ。酷使すれば発作が起きるだろう」

「回りくどいのは嫌いです。はっきり言ってください」

 医師はため息を吐き頭をかいていた。医師は言いたくないことも言わなければならない辛い仕事だな。

「君はバスケットをしていると聞いてね。とてもいいづらいのだが」

「何ですか」

 覚悟を決めてくれたらしく分かりやすく言ってくれた。

「全力で20分…いや、10分走れるかどうかという所まで心臓がやられている」

 全力疾走を10分?ふざけるなよ。それだけなのかよ。

「幸運にも君はまだ小学生だ。成長すれば発作も起きなくなる。本来の機能を取り戻すだろう」

 医師の暖かい目も声も要らなかった。ほしいのは真実だけだ。

「いつですか。全力でゲームができるのは」

 初めてだろう。目を見て話してくれなかったのは。

「バスケットの本番…高校生までには直っていると思うよ」

 高校生…遠い、遠すぎる。

「もっと速く直らないんですか」

「そうだな……」

 医師はカレンダーを見て微笑みをくれた。

「星に願ってみてはどうだ。幸運にも今日は七夕だ」

 医師のアドバイスを俺は無言で受け止めた。

「すまない。冗談しか言えなくて」

 俺の真剣な目を見て医師は悪いことをしたと思ったのだろう。小学生の俺に頭を下げて本気で謝ってくれた。


「それで彼女のことだが…生憎部屋が足りなくてね我慢してくれ」

「はいそうですかで満足できるかって、この辺りで一番大きな病院がそれでいいんですか」

「わかった。君には正直に話そう」

 医師は俺の肩を掴み目前まで迫った目で語っていた。どうにもならない状況だと。

「大人の事情だ」

 それを言われたら何も言いようが無いではないか。

「まあ二ヶ月もの間一緒にいるんだ仲良くするといい」

 そして広い広い部屋に俺と彼女の二人きりになった。

「はあ、二ヶ月か…それに…10分…」

 10分。10分の試合でどうする。もし、五十嵐とキャプテン相手で10分あれば5本は決められる。実力が二人以下なら良くて10本だ。得点にして最大30点。それだけできれば逆転を決めるだけの仕事ができる。だが、もし前みたいな小学生がいたら…たしか海斗とかいったけあいつが相手だったら3本打てればいいところ。最悪得点なしも考えられる。

 心臓に負担をかけるな…か。

「ゴール下でボール待ってるしかないかな」

「ちょっと、あんた。小5よね」

 向かいの女の子確か凛とかいったか。

「なんで分かるんだ」

「あんたの彼女が毎日来てるからね。話をしてるの」

 愛華のことか、そうか毎日来てくれていたのか。

「それよりこれ分かる?」

 俺のベッドの横にあった椅子に座った彼女は算数の参考書を俺の前に出した。

 彼女が指さした問題は五年生の始めに習ったような問題だった。

「お前馬鹿?」

 この問題が解けないならこの先の問題も解けないような基本の問題だった。

「お前って言うな。あたしには虹島凛って可愛い名前があるの」

「あっそ、いいか虹島こんな問題解けないでよく五年生やれていたな」

「ちょ、ちょっと待った」

「なんだよ」

「苗字で呼ぶの可笑しくない?名前で呼べ名前で」

 誰かにも似たようなことを言われたような……ともかく、俺もその時を思い出して。

「俺の名前は中本慎也って言うんだ。そういうならお前も」

「慎也、余計なことはいいから速く教えなさい」

 なんだこいやつは、俺の周りにはいなかったような奴だな。

「なに慌てているのか知らないがいいか凛この問題はだな」

 俺は凛の先生として基礎から教えることになった。


 五十嵐に勉強を教えてもらうことがある。その時は分かりにくい説明だとか意味が分からないとか言っていたが本当にすまないことをしたと今分かった。

「だから、ここは掛け算じゃなくて割り算だって言ってるだろ」

「さっきは掛け算だったじゃん」

「あーもう、さっきとはここが違うだろ」

「失礼しま……慎也君目覚ましたの」

 疲れ始めた頃愛華が来てくれた。愛華の慌てているのと喜んだ顔を見ると俺はついさっきまで死にかけていたんだと思い出させられる。

「愛華も来てくれたことだし、これは…ぽい」

 参考書を凛のベッドに投げ捨てた。どうやらコントロールは落ちていないようだ。

「慎也ひどい。あたしだって二人の邪魔なんかしませんよーだ」

 凛の代わりに愛華が隣に座った。学校帰りだろうか制服のままだ。

「もう大丈夫なの。いつ退院できるの」

「二ヶ月後だとさ」

 怒鳴っていた俺を見て期待していたのだろう。今すぐにでも退院できるのかと、俺自身も今すぐに退院できそうな気分だ。

「二ヵ月後って夏休みが終ってから…そんなの嫌だな」

 付き合い始めてほんの少し、以前と変わらない付き合いで付き合っているのを実感することも無く気まずい関係になってその問題も解消されずに長い間会えない。

 愛華にとっても俺にとっても辛い現実だ。

「夏休みは一緒に海に行きたかったのに」

「そう拗ねるなって、仕方ないだろ」

「もーどうして屋上なんかに行ったの。入れないはずでしょ」

 そうか、愛華は知らないんだ。

「そのことは先生も知りたいな」

 担任の先生と五十嵐それから伊藤が病室に来た。嘘はもう嫌だとあれほど思ったのに嘘をつかなかった俺を思うと嫌な奴に見えた。

「空を飛べると思ったんです」

 先生は理解できない顔をしていた。五十嵐も愛華もよく分かっていないようだ。伊藤でさえ驚いているようだ。

「屋上の扉が開いていて、気持ちいい風が吹いていて、周り全てが空に見えて、鳥が自分を呼んでいて、空と鳥と自分しかそこにはなくて、鳥に呼ばれるまま空を飛んで、ああ、俺は空を飛べるんだと思ったんです」

 先生はそうですかと言い残し難しい顔をしながら病室を出て行った。五十嵐も愛華を連れて出て行った。ただ、伊藤だけはもう少しと言ってその場に残った。

「どうして本当のことを言わなかったの」

 罪の意識がある、悪いのは私だと言っているようだ。

「本当のことを言ってどうなる。怪我が治るのか?」

「それは……」

「起きてしまったこの現実はどうにもならない。本当のことを言おうが言わなかろうが俺にとってはどっちでもいい。だけど…」

「だけど…なに」

「本当のことを言ったら愛華は怒るだろうな。そしてお前のことをどう思うだろうな。どうなろうにしろ愛華がこれ以上悲しむようなことを俺はしたくないんでね」

 見たかった。目覚めて初めて会った愛華は笑ってくれなかった。愛華の笑顔が見たかった。

「中本…ありがとう。ありがとうね」

 女性を泣かせたくない。俺の考えの一つだがこの涙ならいいかもしれない。



 慎也君が目を覚ました。良かった。私のことを忘れていなくて。

「ねえ未来。慎也君の近くにいるにはどうすればいいかな」

「んー、面会時間の間ならいいと思うけど」

「それだけじゃ足りないの。もっと長い間一緒にいたいのに」

「我慢するしかないんじゃない。中本はあれでも入院の身なんだから休ませてあげないと」

 そうだよね、慎也君怪我してるんだもん。私も我慢しなきゃいけないかな……

 怪我速く治って退院してくれないかな。

 怪我?

「ああ、そうか」

「どうしたの?」

「なんでもなーい。相談に乗ってくれてありがとうね」

「あっ、うん」


 急いで家に帰った。お母さんが帰ってくるまであと1時間ぐらいかな。

 キッチンでちょうどいいサイズの果物ナイフを見つけた。

「ナイフ、ナイフ、ナイフ」

 ルンルン気分で部屋に戻って正座。そして、ナイフ。うん、いい感じ。

 手首にナイフを当ててしばらく考えた。

「血が出るだけじゃすぐに退院させられちゃうな。もっといい方法は無いかな」

 ここは思い切って切腹?でもあとが残ると慎也君怒るだろうな。

 んーま、いいか。退院したらまたすればいいんだし。


 痛い、痛いよ。……救急車って遅いんだな。

 思ったよりいっぱい出たよ。

「待っててね。今行くから」

 暗くなっていく。

 黒の中に赤が見える。


 だんだん気持ちよくなってきたよ。


 慎也君。



 大好き。


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