Episode:7 リベンジマッチは月光のダンスホールにて その1
そうして再び、蒼の花園に脚を踏み入れた。
——やはり昨夜と変わらず、そこだけは霧が晴れていた。
「今度こそ、負けないッス!」
月光が描く翠の角——影は輪郭を鮮明に描き人型を捉えた。
「やあ、久しぶりかな。今宵も蒼い花影が映える良い月だ」
——絶句した。鬼や獣の類と見ていたが、言葉を話せるのか。
「悪いね、肉の器に慣れるのも案外大変なもんで。しかしまぁ、アンタとの再戦に間に合えたのは幸運か。語り合うのに言葉は不要なれど、こればっかりはオレの口からでないと嘘になるそうだ」
「待たれよ。その前に問いたい、何故汝はその顔をして殺人鬼と謳う?」
「そういうアンタはこの顔に覚えがあるって様子だな。いや、顔だけじゃない——角、力の方にも覚えがあるんだろう? だが生憎オレはアンタの知り合い本人じゃない。オレは……そうだな、『イド』ってのはどうだ? この身体が抑圧していたもう一人の自分ってやつさ」
「……彼が望んでおるとでも? そんな殺人鬼などという修羅道の中に」
律姫の問いに殺人鬼は澄ました嘲笑で返した。
「さあな、殺人鬼ってのは存外悪くない響きだが、どうもいただけない部分はある。オレが求めてるのは闘争——互いに命を削り合うひとときを好むだけで、殺すことなんて興味はない。
——さて、話を戻そう。オレがアンタに伝えるべきことは一つ、オレを打ち破れば終わりってわけじゃない——むしろそれからが始まりさ」
……終わりじゃない? むしろ始まり?
その真意は今の私には理解ができなかった。
けれど答えは変わらない。
「大丈夫、あっしは突き進むだけッスから」
「——ハッ、気持ちが良い返しだ。そうでなくっちゃ、燃え尽き甲斐もなくなるってもんだ。……さあ、ショウタイムといこうか」
烈火——燻る思いを乗せた拳にエンジンが掛かる。
その手で拳を受け止め、口角を上げる殺人鬼。まさに戦闘狂という風貌だった。
「より一層苛烈さを増した……いいね、そうこなくっちゃ」
末那から与えられたエネルギーが彼と渡り合うに至らせている。
お互いに徒手空拳。間合いの差は無に等しい。
だが殺人鬼が相手しているのは私だけではない。
「小通連っ!」
中空から降り注ぐ剣の雨——否、雨が剣と化しているというべきか。
剣状の碧の水が殺人鬼の道を塞ぐ。
「フン、アンタもその水を使うんだな。ならオレも、それに付き合ってやるとするか」
殺人鬼の手から律姫と同じ碧の水が湧き出でる。
首断つ包丁のような手刀を振るい、さらには水圧カッターのように放出する技も見せた。
「さ、アンタも見せてくれよ——囀りもしない虎鶫じゃあ、雷上動も張りやしない」
挑発すらもキザにこなすのは、生来の気質なのだろうか。
しかし生憎と、その言葉に返すセリフが思いつかない私は、ただ無言でその拳を握りしめた。
——ばちばち、と電流が火花を上げて身体を奔る。
薙ぎ払われた碧水の放射に潜り込むようにして身を躱し、射手へと急接近する。
そのままアッパーカットが炸裂、宙に浮かせて追撃を狙う。
律姫との連携は、しかし殺人鬼側の態勢の立て直しが早かった。
「悪いね、そう簡単に貰う気はないよ」
落下に合わせて描かれる一筆の斬。着地を狩られ攻勢が反転する。
「こっちも、そろそろ本気で一本獲らせてもらおう」
一撃を貰い、伏せる私に詰め寄る殺人鬼。すぐさま立ち上がり反撃せねばというコマンドが思考を埋め尽くす。
だが、相手の読みが冴えていた。
起き上がりと同時に攻撃を放つ。殺人鬼はそれを確認するより前に、既にバックステップで間合いの外に出ていた。
「そらっ、隙だらけだ」
こちらの後隙に差し込む足払い。そのまま碧水の刃が牙を剥く。
「させぬっ!」
軌道は直撃、しかしその前に律姫の薙刀と殺人鬼の刃が交差する。
「そろそろ刀を抜いたらどうだ? いつまでも姫様気取りじゃあいられんだろ」
殺人鬼には律姫の腰に差す刀が見えていた。
私でもわかる——あれにはとてつもない怪異の力が眠っていると。
「ふ、汝も罪深い男じゃのう。隠しているのはお互い様じゃというのに」
「ふっ、痛いことを言う。オタクらがついてこれるか心配だったんでね。……だがもうその心配もないかな」
殺人鬼と目が合う。期待の眼差しだ。
再び、雷が嘶くように叫ぶ。
今度は予期できた。あの霆が私の力を呼び覚ます——!
——召雷・弓張月!
私を貫く白光。身体に残響し続ける高ボルトの電荷。自らが生み出す雷よりも何倍も強力な電気を自らのものとした。
「最高だよアンタ、こりゃもう眠れそうにない。相当怪異に好かれていると見た。オタクの怪異さんはアンタに一目惚れでもしたのかね」
なんとなく、声がした。ここにいる誰かの声ではない、私の内側から響く声だった。
『強さたァなにか、あっしにャ教えれる言葉がねェ。だかんな、拳で教えちゃる——その重みが、痛みが『強さ』なンだ。それ以上は言えねェ、自分で探すと良ェ』
「お、じいちゃん……?」
昔、祖父に強さとは何かを尋ねた時の返答だった。
腹部で受け止めた祖父の拳が、たった今殴られたかのようにその感触を思い出せることができた。
あの時は何を言ってるのかわからなかったし、今だってわからない。
けれど私が今まで祖父の背中を追って殺人鬼と関わっているのは、その拳があったからじゃないのだろうか。
「さて、そっちは一肌脱いでくれたんだ。ならこっちもお返しが必要だよな——」
殺人鬼の瞳が碧に煌めく。
「——毀幻壊崩・碧」
呻き声は狂喜を孕んだ咆哮へ。
それと並行して進む肉体の変異。
表層を鱗が覆い、角はより強壮に。伸びゆく尾は流水を体現するかの如く。
龍をその身に宿した殺人鬼は高らかに新生を謳った。
「不本意ではあるが、汝らがそうくるのであれば仕方あるまい……抜剣、顕明連」
薙刀を置き、刀を抜いた律姫。
刀身に帯びる碧の水が乱反射し神威の光を浴びせる。
「これなら文句なし、さあやろう。どうせ一夜限りの饗宴だ、これで燃え尽きても不満はない……だろ?」
臨界点にまで達した熱狂。もはや留まることを忘れたエンジンと化した私たちは今、この蒼の群花を散り尽くして戦う以外の機能はない。




