バーボン
次の日から、許可を得たヴァイオレッタは大手を振ってウイスキーを作っていくことにした。
まず彼女が行うことにしたのは、職人の勧誘である。
だが初日にして、ヴァイオレッタのウイスキー造りは暗雲に乗り上げてしまう。
「もう、ぜんっぜん職人がいないじゃない!」
マイネンシュトシュ公爵領は産業基盤が脆弱。
話には聞いていたが、実際に職人を探してみるとそれが事実であることがよくわかった。
金物屋はあるものの、どれも巨大な工芸品などを造るというより日常で壊れた鍋やフライパンなどを治すような小さなお店ばかり。
蒸留器のような巨大なものを造れる職人がまったくいなかったのだ。
北部の人間は質実剛健な者が多く、そもそも華美な贅沢品を求めない。
それは気質としては素晴らしいことのように思えたが、蒸留器造りにとっては深刻な問題であった。
戦いが多いせいか武器を作れる職人は多いのだが、あいにくヴァイオレッタが求めているのは尖った剣ではなく丸い蒸留器だ。
自分一人で探せるだけ探してみたのだが、あいにくこの土地は来てからまだ二日しか経っていないため勝手もまったくわからない。
そのためヴァイオレッタは、素直にお願いをしてみることにした。
「愛するつもりはなくて構わないので、職人を紹介してくれませんか?」
「……わかった。桶と樽の職人を呼べばいいか?」
「いえ、桶と樽に関してはもう用意しました。ですので私より巨大な銅を加工して自在に変形できる、口の固い職人をお願いします。愛するつもりはなくて大丈夫ですので」
「……そんなに何度も言わなくてもわかるから、少し待っていろ」
今更ながらに自分がひどいことを言ったことを自覚したのか、アイザックは少し憮然としながら使用人を呼び出す。
そしてトントン拍子で、公爵家が細工を行っている職人を一人貸りられることになった。
やっぱりすべきは、愛なき契約結婚なのかもしれない。
「なぜ、酒を造るのに金属加工が必要なんだ?」
「度数が高いお酒は、桶と樽だけでは造れないからです。蒸留する必要があるからですわ」
ヴァイオレッタはウイスキー造りをベルヘイム家からの持参金として用意された大量の金貨や鉱山の権利などからポケットマネーで行うつもりである。
なので本当なら企業秘密を口にする理由はないのだが……一応仮にもアイザックは旦那様だ。
職人を融通してもらった恩もあるし、ある程度話は通しておいた方がいいだろう。
「そういえば前も言っていたな……蒸留とはなんなのだ?」
「説明しても構いませんが……二度手間になるので、職人と一緒にでもいいでしょうか?」
「一応この地で産業を興すのなら、公爵の俺に先に話しておくのが筋だと思うが……」
たしかにそれもそうか、とまずはアイザックに練習がてら説明をしていくことにした。
「蒸留とは沸点の差を利用して、特定の液体を気化させてから冷却して液化させることです」
「フッテン……キカ?」
何もわからなさそうな無表情をするアイザックに、ヴァイオレッタは頭を抱えた。
この世界には魔法が存在し、魔石と呼ばれる天然のエネルギー源がある。
魔石を使ったコンロや冷蔵庫などというものも普通に存在している。
そんな便利な魔法なんてものがあるせいで、この世界では化学がまったく発達していない。
ヴァイオレッタはまず、手のひらからゆっくりと水を出した。
「無詠唱魔法が使えるのか……」
「淑女のたしなみです」
「……そんな淑女が早々いてたまるか」
巷では一部の天才しか使えないと言われている無詠唱魔法を、ヴァイオレッタは普通に使うことができる。
彼女は炎が酸素を下に燃焼していることや、水が水素元素と酸素元素からできていることを科学的に理解している。
おそらくその辺りの化学知識が効いているのだろう。
「まずはこの水を熱していきます。するとどうなるかわかりますか?」
「熱湯になるな」
ぶくぶくと泡を立てながら沸騰する水を見ながら、アイザックはそう呟いた。
以前家庭教師のバイトをしていたこともあったので、この辺りの教え方はお手の物だった。
「それでも熱し続けたらどうなりますか?」
「湯気になって消えていく」
「正解です。その湯気の正体は水蒸気……つまりは気化した水なのです」
沸点とは、このように液体が沸騰する温度のことである。
小学生の理科でも習うが、水の沸点は100℃。
そして液体ごとに沸点は異なっている。
ウイスキーの主成分であるエタノールの沸点は約78℃だ。
「つまり蒸留を行い、その沸点の差を利用してアルコール成分であるエタノールだけを分離させて取り出すのです」
「なるほど……新人の騎兵が熟練騎兵達についていけなくなっていくようなものか……」
「まあそんな感じですね(適当)」
一通りの説明を終えると、納得したらしくアイザックは去っていった。
そして公爵から直々の呼び出しということで慌ててやってきた職人のマーカスに、ヴァイオレッタは再び蒸留と蒸留器の説明をすることになるのであった……。
(やっぱり二度手間だったじゃない!)
♢♢♢
ヴァイオレッタはそれから、マーカスとマンツーマンで蒸留器を造っていくことになった。
彼女は蒸留器の完成形を知っているため、最初から試行錯誤をする必要はなく、工期自体は大幅に短縮することができた。
だがそれでも銅製の巨大な単式蒸留器……ポットスチルを一から造るのはかなりの重労働であり、完成までにはおよそ一ヶ月半ほどの月日が必要となった。
「ずいぶん待たせてしまいましたが……完成しましたよ、ヴァイオレッタ様!」
鍛治師であるマーカスは、二十代後半ほどの黒髪黒目の大男だった。
猫を思わせるようなアーモンドアイと、少し浅黒い肌。
その童顔からは想像が付かないほどに逞しい体躯を持つ彼は、誇らしげに胸を張っていた。
彼はこの若さで工房を持てる腕利きの職人であり、ヴァイオレッタが指示した通りの形にきちんと仕上げてくれるその調整力は、正にプロの職人だった。
マーカスの視線の先には、今日完成したばかりの銅製のポットスチルの姿がある。
ちなみに材料が銅なのは、蒸留の際に発する銅イオンが蒸留により生じるネガティブな味……オフフレーバーを取り除いてくれるからだ。
(すごいわ、前に蒸留所で見たものとそっくり……)
その見た目は、キセルをひっくり返し火皿の部分を地面にくっつけたような形をしている。
ポットスチルはサイズや形によって作り上げられる原酒の味が大きく変わる。
今回は工作の手間を考えポットスチル自体は小型にし、ランタン型と呼ばれる蒸気を溜める部分であるヘッドの表面積を広めに取ることで、加工の難易度と飲みやすさの両立を目指している。
ヴァイオレッタが蒸留器に触れると、加工を終えたばかりだからか銅はまだ少し温かかった。
つるつるとした光沢を発しているこの蒸留器が、彼女が待望した蒸留酒造りの第一歩となるのだ。
「そうしたら早速造っていくわね!」
「もちろんです!」
もう待ちきれないと、ヴァイオレッタは早速蒸留器の運転を始めていくことにした。
まずヴァイオレッタは開閉式のポットスチルの蓋を開き、両手にもろみの入った桶を抱えた。
糖化させた大麦麦芽を酵母によって発酵させて造るこのもろみをポットスチルで蒸留することで、ウイスキーは造られる。
このもろみを造るのにも一苦労だったわ……とヴァイオレッタはこの一月半の日々を振り返る。
ウイスキー造りには実に工程が多い。
大麦を水に浸して発芽させ大麦麦芽……モルトを作成し、砕いて糖化させるところまでは問題なくできたのだが、そこから先の酵母による発酵がなかなか難儀だったのだ。
白パンの作成に使われているイースト菌やビールに使われている酵母など、一通り使えそうなものを集めてどうにかそれっぽいものを造ることができたのはここ最近のこと。
「えいやっ!」
一月半分のうっぷんを晴らすかのように、ヴァイオレッタは開かれた開閉式のポットスチルの中にもろみを入れていく。
ちなみに侯爵令嬢がこうして手作業でもろみを造ったり入れたりしているのを見ても、マーカスが何かを言うことはない。
ヴァイオレッタが手ずからやらないと済まないタイプの人間であることをこの一月半で嫌というほど理解した彼は、同じ職人仲間としてヴァイオレッタのことを認めていたからだ。
職人から職人仲間として認められる侯爵令嬢は、世界広しといえどヴァイオレッタだけだろう。
「よし、運転開始!」
ポットスチルにつけた魔道具のスイッチを付けると、大きく振動しながらポットスチルが加熱され始める。
ここの温度管理もなかなかに大変で、しっかりと80℃前後の温度を保ち続けるのにはずいぶんと苦労した。
魔道具造りを自身の手でやるのも初めてだったが、そもそも温度を一定に維持する魔道具が存在しないため、自分で造るしかなかった。
魔道具技師であっても造れぬような魔道具をなんとかして形にしてみせたのは、ひとえにヴァイオレッタのウイスキーへの執念故だろう。
低く唸るような音を鳴らしたポットスチルが熱され始める。
側面につけてあるのぞき窓から見てみれば、もろみがぶくぶくと泡立ち始めているのがわかった。
そして下で熱されたアルコールの主成分であるエタノールが、気化して上へ昇っていく。 そのまま伸びている金属管、ラインアームを通って冷却器へ。
この冷却器を使って熱されて気化したアルコールを冷まし、液体として取り出すのだ。
もちろんこの冷却器も魔道具であり、あっという間に冷やされたアルコールがポトポトと桶の中へ落ちていく。
そして一度もろみを取り出して中を綺麗にしたら、先ほど取り出したアルコールと余留液を混ぜて再度蒸留を行っていく。
ウイスキーはこうして、ポットスチルで二度蒸留を行う必要があるのだ。
「ふぅ……ようやく原酒が出来たわね」
「おおっ、これがウイスキーですか!」
「いえ、これはウイスキーじゃないわね」
「これはウイスキーじゃないんですか……?(困惑)」
ウイスキーは蒸留して造ったお酒をオーク……樫材の樽に入れて熟成することで造り出すお酒だ。
世界で最も有名なスコッチウイスキーや前世で流行っていたジャパニーズウイスキー、渋いお酒として有名であったバーボンなどには細かなルールがある。
ただ蒸留しただけの液体はニューメイクとして、ウイスキーと区別されるのだ。
なぜそんなことをする必要があるのかといえば、ウイスキーとは熟成によって輝くお酒だからである。
蒸留したてのウイスキーは言わばまっさらな赤子のようなものであり、入る樽の影響を大きく受ける。
ビールの樽を使えば若干苦みを伴うようになるし、ワインの樽に入れれば酸味やフルーティーさなどが前に出るようになるのだ。
中でも最も有名なのは、ブランデーを入れたワインであるシェリー酒の樽を使ったシェリー樽熟成のウイスキーだろう。
この世界には蒸留器が存在していないため、シェリー樽熟成のウイスキーを造るためにはまずブランデーを造り、その上でシェリーを生産し、シェリーの樽を用意するという長い手順を踏む必要がある。
ヴァイオレッタが求めるウイスキーを造るまでの道のりは、まだまだ長い。
だが自身の手でウイスキー造りを行える今は、そんな道のりもまったく苦ではなかった。
「とりあえず今回は、バーボンを造っていくわ」
最初に造るウイスキーに関しては悩んだが、ヴァイオレッタはバーボンを造ることにした。
バーボンというのはざっくり言えば、オーク材の新樽の内側を焼いたものにウイスキーを入れて熟成させたものを指す。
厳密な定義の話をすれば連邦アルコール法でコーン比率や蒸留方法、蒸留時のアルコール度数や熟成年数などなど細かな決まりはあるが、そもそもここは異世界だ。
ウイスキーに関してはヴァイオレッタがルール。
彼女がバーボンと言えばそれがバーボンなのである。
「それじゃあまずは樽造りから」
ヴァイオレッタは用意しておいた新樽の内側を、無詠唱魔法で生み出した炎で焼いていく。
「ヴァイオレッタ様は無詠唱魔法まで使えるんですか……」
「淑女のたしなみね」
「絶対にそんなことないと思いますが……」
感心しながら呆れてみせる器用なマーカスに微笑みながら、ヴァイオレッタは内側を焼いた樽の中に蒸留で造ったウイスキーを詰めていく。
最初に出てきたウイスキーは有害物質が出る可能性があり、最後の方のウイスキーは香味などが落ちるため、入れていくのはミドルカットと呼ばれる蒸留されたものの真ん中の部分だけだ。
樽の中に詰め終えたら、更にその中に焦がした板を入れる。
これはインナーステープと呼ばれ、ウイスキーに樽の香味成分を素早く移すための手法の一つである。
「これで……そうね、二ヶ月くらい待ったらひとまず試作品は完成にしましょうか」
「結構待つんですねね」
「本当なら8年くらい待ちたいんだけど」
「そんなに待つんですか!?」
バーボンは比較的熟成年数が少なくて済むが、ヴァイオレッタが好きなのはワイルドチキンの13年やVWハーパーの12年等、比較的長熟のバーボンだった。
飲み手の時はわからなかったが、作り手になって初めて前世の日本で飲めていた長熟ウイスキーのありがたみがわかる。
「まずはウイスキーの赤ちゃんを飲んでいきましょうか」
当然ながら、ウイスキーが大好きなヴァイオレッタはただ造ってお預けを食らうことには耐えられない。
なので製造したウイスキーの赤ちゃん、ニューメイクをマーカスと一緒に飲むことにした。
グラスの中に入れ、まずは中の液体をゆっくりと光に当てる。
恐ろしいほどに透き通った、水のような無色透明。
二度の蒸留を行ったことで、そのアルコール度数はおそらく60度は超えているだろう。
かなり粘度も高いらしく、液体がグラスの中を落ちていく速度は非常にゆっくりだった。
続いてスワリング、グラスを軽く左右に振って香りを立ち上らせる。
粘膜が驚かないように少し距離を離してから香りを嗅げば、ふわりと甘い香りが鼻腔を刺激した。
乳酸菌飲料のような独特の優しく甘い香り……かつて蒸留所見学に行った時の記憶が脳裏に蘇る。
(ああ、まさかまたこの世界で蒸留酒が飲めるようになるだなんて……)
うっとりとしながら、ヴァイオレッタがゆっくりとグラスを傾ける。
ピリリとした強いアルコールの刺激、そして遅れてやってくるモルトの素朴な甘み。
アルコール感は思っていたほど強くなく、思っていたよりするすると飲めてしまう。
熟成もされていなければ、舌がビリビリとするほどに度数も高い。
けれどニューメイクを飲んだヴァイオレッタは、思わずほぅと熱い息をこぼしてしまう。
「美味しくて……すごく、懐かしいわ」
「……強っ!? こいつは……すごい酒ですね」
そのアルコールの強さにたじろいでいるマーカスを見ながら、ヴァイオレッタは笑った。
たしかに初めて蒸留酒を飲んだら、そういう反応になるのも無理はない。
正直に言えば、彼女も前世で初めて飲んだ時はなんだこの消毒液はと思ってしまったものだ。
飲んでいると懐かしさがこみ上げ、思わず目の端に涙が溜まってしまう。
もう二度と飲めないかもしれないと思っていた蒸留酒を、こうしてまた飲むことができる幸せ。
せっかくならこの幸せを、契約結婚とはいえ書類上は夫であるアイザックと共有してもいいかもしれない。
ヴァイオレッタはそんな風に思うのであった……。




