プロローグ
「君を愛するつもりはない。この結婚は契約結婚だ」
ロッタ王国は北部にある、華やかなりし北都オルガニア。
そんなオルガニアの中央部にそびえ立つマイネンシュトシュ公爵家の屋敷にて、一組の男女が向かい合っている。
「……」
向かって右側にいるのは、金の髪を内側にカールさせている女性だ。
シャギーになる髪をつまみながら話を聞いている彼女は、ベルヘイム侯爵家長女ヴァイオレッタ・フォン・ベルヘイム。
ヴァイオレッタは結婚式を終えた日の初夜、目の前にいる今日夫となったばかりの男の言葉を黙って聞いていた。
切れ長で玲瓏な青い瞳と、微動だにしない表情筋。
とにかく冷たい氷のような印象を与える男の名は、アイザック・フォン・マイネンシュトシュ。
若干二十五才ながらマイネンシュトシュ公爵家の領主を努める彼は、王国において武勲に並ぶものなしと言われている天才だ。
その軍才は本物であり、今まで騎馬民族に押され続けていた北方戦線をほとんど単独で盛り返してみせたのは、ほとんど彼の功績というのは有名な話であった。
彼はおそらく戦場での指揮と一切変わらぬのであろう抑揚のない言葉で、ただ淡々と続ける。
「君もわかっているとは思うが、この婚約はマイネンシュトシュ公爵家とベルヘイム侯爵家との結びつきを強めるためのものだ。故に君には妻としての責務は何も期待していないし、俺にも妻として口出しするのは避けてほしい」
軍事に秀で、王国内随一の魔導騎兵軍団を持ちながらも産業が育たず経済的に脆弱なマイネンシュトシュ公爵家。
南部の肥沃な領土や鉱山を多数抱え経済的に繁栄しながらも、戦力的にやや不安が残るベルヘイム侯爵家。
今回の婚姻はこの両家を結びつけ、互いの足りないものを補い合うための婚姻である。
そんなことは言われなくてもわかっているわ、とヴァイオレッタはコルセットの締め付けで痛みを発している腰をそっと撫でる。
ご飯を食べると戻してしまいそうになるほどの締め付け地獄から解放されたと思ったら、いきなり旦那からの冷たい言葉。
だがこの程度のストレスには前世の頃から慣れている。
互いに不干渉でいられるのなら、ヴァイオレッタはそれだけで十分だった。
私を労ってくれるものはお酒だけね、と彼女はゆっくりと公爵家の特産品であるビールを飲む。
そしてビールを飲んで、思わず眉間にシワを寄せた。
その様子を見たアイザックは、ヴァイオレッタが機嫌を悪くしたのだと思ったのか、少し慌てたように言葉を継ぐ。
「だがもちろん、公爵家夫人として君に何不自由ない暮らしをしてもらうつもりだ。好きなように過ごしてもらって構わない。北都オルガニアが田舎くさくて嫌だというのであれば王都に行ってサロンに出向き、社交に精を出してもらっても構わない」
「好きな、ことを……? でしたらアイザック様、一つだけでいいので私のお願いを聞いてはもらえないでしょうか?」
ヴァイオレッタには前世の記憶がある。
ベルヘイム家での何不自由のない暮らし、そしてこれから始まるであろう快適な契約結婚ライフ。
基本的には不満はない……たった一つ、あることだけを除いては。
「俺に聞ける範囲のことであれば構わないが……」
「もちろん問題ないです。アイザック様にお願いしたいのはただ一つ……私がウイスキーを造ることに反対をしないでもらいたいのです」
「ウイ、スキー……?」
彼女がこの世界に生まれ落ち、ずっと抱えてきた不満。
それは……この世界に、ウイスキーが存在していないことであった。
前世の彼女は、大のウイスキー好きのブラック社畜OLだった。
華金には行ったことのないショットバーに出向いてグラスを傾け、土日休みには近くの都市で開催されているウイスキーフェスに出没、連休が取れた時には遠出をして蒸留所見学をしてしまうくらいのウイスキーフリークだったのだ。
もっともこの世界では彼女は御年二十一才になったばかり。
ようやくお酒も飲めるようになり、ビールやワインなども一通り飲んできた。
無論この公爵領のビールもそう悪くはない、悪くはないのだが……やはり彼女からすれば、物足りない。
飲んべえは度数が高ければ高いだけ美味いと思ってしまう罪な生き物。
蒸留酒からしか得ることができない栄養というのが、たしかにあるのだ。
「ウイスキーの魅力は、熟成によって得られる様々な香味。ビールやワインのような様々な酒の魅力を併せ持つことができるのはウイスキーだけなのです!」
ヴァイオレッタはここしばらくの間温め続けてきた自分のウイスキーにかける情熱を、全てアイザックにぶつけることにした。
契約結婚上等である。
それでやりたいことができるのであれば、契約の一つや二つなど結んであげようじゃないの。
「そして何よりも度数が高い! アイザック様もビールよりワインの方が度数が高いから美味しいと思ったことはありませんか!?」
「あ、ああ……たしかにビールの度数がもっと高ければと思ったことはあるな」
「でしょう!? そしてウイスキーの度数は、なんとワインの3倍以上あります! つまり3倍美味しいということです!」
ヴァイオレッタは侯爵令嬢として、何不自由ない生活を送ってきた。
けれど彼女はその分、侯爵令嬢として恥ずかしくない行動を取らなければいけなかった。
彼女は何度か父であるベルヘイム侯爵に恥を忍んで、お酒造りの事業をやらせてくれないかと頼んだことがある。
だが父には、
「産業を育てそこから税を取るのが貴族だ」
とにべもなく断られてしまった。
「というかヴァイオレッタ、お前はまだ未成年だろう……」
と続く言葉は正論過ぎて、正直ぐぅの音も出なかった。
顔を真っ赤にしたヴァイオレッタは、以後父に同じことを聞くのが憚られてしまったのだ。
けれど父の目がなくなり、好きなことをしていいというお墨付きがもらえたのであれば、もはやヴァイオレッタに自重する必要はない。
「……というわけで私はウイスキーを作りたいのです!」
「あ、ああ、わかった、好きにすればいい……」
都合二十分に渡ったヴァイオレッタの熱弁を聞いて頭が痛くなったのか、アイザックは額をさすりながらそのまま追い払うように彼女を部屋から追い出した。
初夜に夫婦の寝室から追い出されるなど、公爵夫人となったヴァイオレッタからすれば激怒してもおかしくないような処遇だ。
だがその手にアイザック直筆のウイスキー製造の許可証を握るヴァイオレッタは、にこにこと笑みを浮かべながら、軽い足取りで自室へと向かっていく。
明日からのお酒造りに胸をときめかせている彼女はワクワクしながら、部屋の主が帰ってきたことに目玉が飛び出るほどに驚いたメイドにドヤ顔で許可証を見せつけ、ベッドでぐっすりと眠るのであった……。
読んでくださりありがとうございます。
短編からの方も、引き続きよろしくお願いします。
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