第五話 幻の清洲会議 誰も首を斬ってくれない問題
第一章:柴田勝家、怒りの(?)上京
天正十年(一五八二年)六月十九日。
北陸の地から怒涛の勢い……ではなく、異常なまでの疑心暗鬼と慎重さをもって京へ近づいてきた男がいた。織田家の筆頭家老・柴田勝家(権六)である。
「殿! 京都・本能寺跡にて、明智光秀が徳川家康・羽柴秀吉の両名と会談を行っている模様にございます!」
側近の報告を聞いた勝家は、重々しい髭を撫でながらフンと鼻を鳴らした。
「また光秀の奴か……。あ奴、手紙でわしのヒゲを褒めておったが、あれは何の計略だ? わしを油断させておいて、急に『実はヒゲが似合っていませんね』と梯子を外す気か……!?」
「い、いや殿、絶対違います! そこに深い意味はありません!」
勝家は光秀の撒いた『全大名向けブラック告発状』を擦り切れるほど読み返し、完全に人間不信に陥っていた。
『勝家殿。お前も次は追放される番だったぞ。わしは一足先に逃げ切るが……』
(……上様は本当にわしを捨てるおつもりだったのか? 佐久間殿のように、落ち落ちと手柄を立てられぬ者を一箱の折檻状で追い出すおつもりだったのか……?)
自問自答を繰り返すうちに、勝家の胸にあった「上様の仇を討つ!」という燃え盛る使命感は、すっかり「……で、これから織田家はどうなるの?」というサラリーマン的哀愁へと変化していた。
「よし……京へ入るぞ。ただし、絶対に光秀の首は獲るなよ!」
「ええっ!?仇討ち に行かないのですか!?」
「アホか! 今光秀を討ったら、わしが面倒な事後処理を全部押し付けられるだろ! 家康と秀吉に任せて、わしは横から美味い汁だけ吸うのだ!」
こうして、織田家最古参の猛将・柴田勝家までもが「光秀の首のなすりつけ合い」に正式参入したのであった。
第二章:形骸化した「清洲(不成立)会議」
六月二十二日。京都・二条御所跡地。
本来の歴史ならば尾張・清洲城で、信長亡き後の織田家の領地配分と後継者を決める「清洲会議」が開かれるはずであった。
しかし、当事者たちが全員京都に集まってしまっているため、急遽京都で「臨時織田家首脳会議」が開催されることとなった。
出席者は豪華絢爛である。
* 織田家筆頭家老:柴田勝家
* 中国大返し(不発):羽柴秀吉
* 保護者枠:徳川家康
* 日和見枠:細川藤孝・筒井順慶
* そして——**なぜか死に装束のまま特別ゲストとして座らされている明智光秀。**
「……ちょっと待て」
光秀は腕を組み、不満げに眉をひそめた。
「なんでわしが織田家の今後の話し合いに座らされているんだ? わしは謀反人だぞ? 切腹させてくれと言っているだろう」
「黙っとれ光秀ぇ!」
秀吉が般若のような顔で叫んだ。
「お前が『上様は功績ある家臣を使い捨てにする酷い主だった』なんて暴露状を撒いたせいで、織田家の跡目争いが滅茶苦茶じゃ! 三男の信孝様も、次男の信雄様も、家臣たちから『どうせ上様と同じで俺たちを使い捨てにするんだろ』と疑われて、誰もついてこなくなっとるぞ!」
勝家も深く頷いた。
「左様だ、光秀。わしも信孝様を押し立てようと思ったが、告発状を読んで怖くなったわ。やはり上様の血を引く者は、いつ我らを粛清するか……」
「だからと言って、わしを会議に出すな!」
光秀は畳を叩いた。
「わしはもう明智家を解散したんだ! 領地も金も全部配った! 今のわしは『死に様を飾るのみ』だと言ったろう! 織田家の跡目なんて、秀吉と勝家で決めろ!」
「そんなに簡単に決められるかぁぁぁっ!!」
秀吉と勝家の叫びがハモった。
家康は静かに茶をすすりながら、光秀の肩をぽんと叩いた。
「光秀殿。諦めなされ。あなたが『あとは野となれ山となれ』と開き直った結果、織田家の権力構造は完全に崩壊いたしました。あなたが引導を渡さねば、誰もこの場をおさめられぬのです」
「嫌だ! なんでわしが引導を渡さなきゃならんのじゃ! 死なせてくれ!」
光秀の「死にたい」という悲鳴が虚しく響く。
世界で最も死にたがっている男が、世界で最も権力を握らされそうになっているという、最悪のパラドックスが発生していた。
第三章:衝撃の「明智・徳川・羽柴」三頭政治
会議は深夜まで紛糾した。
信雄も信孝も「父(信長)の悪評」のせいで家臣たちの信頼を失っており、織田家を一つにまとめる器量がない。
勝家と秀吉はお互いを牽制し合い、どちらも天下人の座に就くことができない。
そこで、極限の脱力状態に陥った大名たちが導き出した「最悪で最高の妥協案」が提示された。
プレゼンターは、黒田官兵衛である。
「皆様……お静かに。私から、この混乱を収める唯一の策をご提案いたします」
官兵衛は不敵な笑みを浮かべ、一枚の羊羹……ではなく地図を広げた。
「第一に、織田家は解体し、諸大名の連合体とします。天下の政務は、徳川家康様、羽柴秀吉様、柴田勝家様の三名による『三頭政治』といたします」
「ほう……」と勝家と秀吉が身を乗り出した。
「第二に……その三頭政治の『相談役』として、明智光秀殿を据えます」
「「「「はぁぁぁぁぁっ!???」」」」
満場一致の大絶叫が上がった。
一番猛反発したのは、当の光秀である。
「ふざけるな官兵衛! わしは上様を殺した謀反人だぞ!? なんで相談役に就任しなきゃならんのだ! 腹を切らせろ!」
官兵衛は静かに首を振った。
「光秀様。あなた様は『欲』が一切ございません。全財産を捨て、命すら捨てようとされた。戦国の世において、最も『裏切る心配がない人物』は、あなた様しかおられないのです」
「な……!?」
「家康様も秀吉様も勝家様も、お互いを信用しておりませぬ。しかし、『死にたがっている光秀様』が間に挟まっていれば、誰も光秀様が天下を独り占めするとは思いませぬ。あなたがただそこに座って『はあ、早く死にたい』と言っているだけで、天下の均衡は完璧に保たれるのです!」
「どんな理屈だ、それぇぇぇぇぇっ!!」
光秀は頭を抱えた。
欲がない。
金もない。
兵もない。
ただ死にたがっている。
その「完全なる無欲」こそが、野望と猜疑心に満ちた戦国大名たちにとって、最高の『安全装置』になってしまったのだ。
第四章:煕子の笑顔と、光秀の絶望
二条御所跡地からの帰り道。
光秀はトボトボと歩きながら、隣を歩く煕子に愚痴をこぼした。
「……なぁ、煕子」
「はい、殿」
「わしはな……甲州征伐の後に正夢を見て……『どうせ惨めに死ぬなら、開き直って豪華に自害してやろう』と思って本能寺の変を起こしたんだ」
「ええ、存じ上げております」
「なのに……なんでわしは、徳川・羽柴・柴田の三頭政治の『相談役』なんてものに就かされねばならんのだ……? なんで誰もわしの首を斬ってくれんのだ……?」
煕子はクスクスと可愛らしく笑った。
「殿。世の中とは、思い通りにならないものですね」
「思い通りにならないにも程があるだろう! わしは死に装束の寸法まで完璧に合わせたんだぞ! 毎日毎日、最高級の香を焚いて待っていたんだぞ!」
「ふふっ。ですが、殿」
煕子は光秀の手を優しく握りしめた。
「家臣たちも、京の町衆も、みんな殿のおかげで命が助かり、お米や金を貰って幸せそうにしております。そして何より……殿がこうして、私の隣で生きておられる。私は、これが一番嬉しいのです」
「……煕子」
光秀は言葉を詰まらせた。
(わしの『死に様を飾るのみ』という思いが……結果として誰も死なない世界を作ってしまったというのか……?)
史実では、山崎の戦いで数万の兵が死に、明智家は滅び、柴田勝家は賤ヶ岳で敗れて自害し、豊臣と徳川の抗争でさらに万の血が流れるはずだった。
だが、光秀が「もう知らん、あとは野となれ山となれ」と開き直り、全財産を放り投げたことで、戦国大名たちの「戦う理由」と「疑心暗鬼」がギャグのように昇華され、奇跡的な平和が訪れようとしていた。
第五章:シン・明智光秀の誕生
天正十年七月。近江・坂本城。
「全財産を放り投げた城」として有名になった坂本城に、光秀は戻ってきていた。
死に装束は……念入りに洗濯されて仕舞われた。代わりに着たのは、動きやすい普段着である。
側には、退職金をもらったはずなのに「手伝いに来ました!」と勝手に戻ってきた斎藤利三や明智秀満たちの楽しげな声が聞こえてくる。
「殿ー! 徳川家康様から『三河の美味しい味噌』が送られてきましたぞー!」
「殿ー! 羽柴秀吉様から『頼むから相談役としての初仕事(和解文書への署名)をしてください』と泣きの文が届きましたー!」
光秀は縁側に腰掛け、空を見上げながら深いため息をついた。
「ハァ……どいつもこいつも、わしを休ませる気がないな」
膝の上には、秀吉と家康から届いた膨大な書類の山。
相談役としての仕事が、早くも山積みであった。
「……まあ、いいか」
光秀は苦笑いしながら、ぽつりと呟いた。
「どうせ一度は捨てた命だ。正夢(史実)なんて、もう知ったことか。滅びの道が途絶えたなら……本当に、あとは野となれ山となれ、だ!」
開き直った男・明智光秀。
天下を狙わず、欲を捨て、ただ「生き残ってしまった」男が紡ぐ、誰も見たことがない新しい戦国時代が、ここから始まっていくのだった。




