第六話 天下の相談役(無職)と、激動の「ノッブ告発」余波
第一章:死に損なった男の優雅で鬱陶しい日常
天正十年(一五八二年)八月。近江・坂本城。
「殿、本日も徳川内府(家康)様および羽柴筑前(秀吉)様より、飛脚が到着しております」
重臣の溝尾茂朝が、うやうやしく差し出したのは、もはや坂本城の名物となった「二大巨頭からの悲鳴のような相談状」の山であった。
縁側で日向ぼっこをしながら、庭の池で泳ぐ錦鯉に麩を投げていた明智光秀は、めんどくさそうに片目をうっすらと開けた。
「……またか。今度は何の相談だ? 『堺の商人から税を取るべきか』か? 『柴田勝家の髭の手入れ代を公費から出すべきか』か?」
「いえ……羽柴様からは『織田信雄様と信孝様が、どちらが織田家の正統な後継者かを巡って、つい取っ組み合いの喧嘩を始めました。双方の家臣も加勢し始めて収集がつきませぬ。どうか光秀様、裁定を』とのことにございます」
「ほっとけ」
光秀は即答し、再び鯉に麩を投げた。
「知るか。織田家のお坊ちゃんたちが取っ組み合おうが、泥だらけになろうがわしの知ったことか。勝った方に『よくやった、ご褒美に金をやろう』とでも書いて返信しておけ」
「で、ですが光秀様! 徳川様からは『もし織田家の一門が分裂すれば、天下の秩序が乱れます。光秀様が京都へ赴き、お二人を直接一喝してください』と強く懇願されております!」
「断る!」
光秀は体を反転させ、完全に背を向けた。
「わしはな、茂朝。本能寺の変の後、全財産を配って軍を解散した『死に損ない』なのじゃ。なんで『死に損ない』が、織田家の御曹司たちの喧嘩の仲裁をしに京都まで行かなきゃならんのだ。行きたければ家康殿が自分で行けば良かろう!」
「家康様が行くと『徳川が織田家を乗っ取る気だ』と秀吉様が疑い、秀吉様が行くと『猿が生意気だ』と勝家様が怒り出すのでございます! だからこそ……誰の脅威にもならず、権力欲が無く、死にたがっている光秀様しか動けないのです!」
「どんな評価なんじゃ!!それ!!」
光秀は跳び起き、頭をかきむしった。
欲がない。
金もない。
野心もない。
ただ「死にたかっただけ」の男。
その「完全なる無毒さ」ゆえに、光秀の言葉だけが、互いに牙を剥き合う戦国大名たちの間で「唯一の絶対的中立意見」として通ってしまうという、恐ろしい怪現象が発生していたのだ。
第二章:爆発する「ノッブ告発状」の二次被害
光秀が坂本城でゴロゴロと拒絶を続けている頃、日本全国は光秀が六月に撒き散らした『天下大暴露状』の余波によって、パニックの極みに達していた。
【関東:北条氏政・氏直父子】
「光秀殿からの文によれば……『織田信長は家臣を使い捨てにする酷い主だったから討った。滝川一益(関東管領)もいずれ追放される予定だった』とある……」
北条氏政は、本能寺の変後の混乱に乗じて滝川一益を神流川の戦いで破ったものの、光秀の手紙を読んで深読みを開始していた。
「待てよ……滝川一益が追放予定だったということは、織田家は最初から関東を本気で治める気などなかったのでは……? 我らは無駄な戦いをしたのではないか……!?」
結果、北条家は余計な領域拡大をやめ、小田原城に閉じこもって自衛を固めるという、謎の引きこもりモードへ突入。
【奥州:伊達輝宗・政宗父子】
「父上! 明智殿からの文が届きましたぞ! 『織田信長は家臣を使い捨てにする酷い主だったから討った。伊達殿もいち早くよしみを通じれば安心などと考えていただろう。信じたら使い捨てにされていたぞ。』と書いてあります!」
「な……なんだ、その内容は!? だが、明智殿がわざわざ伊達にまで文を送ってくるのには意味があるはず……」
伊達輝宗・政宗父子は、光秀の手紙を深読みし、今後どう動くべきか深く思案し始めていた。
【四国:長宗我部元親】
光秀の謀反の直接のきっかけの一つとなった長宗我部元親は、土佐・岡豊城で感涙にむせんでいた。
「明智殿……! 我ら長宗我部家を守るため、自らの命と明智家を投げ打って織田信長を討ってくださったのか……!」
元親は勘違いした。光秀が「取次の面目を潰されたから殺した」という真実を、「長宗我部家を守るために命を懸けてくれた」と超美化したのだ。
「全軍に命ず! 明智殿に何かあれば、長宗我部家は全兵力を挙げて京へ駆けつけるぞ! 明智殿を死なせるな!!」
全国の大名たちが、光秀の手紙をそれぞれの都合の良いように解釈し、勝手に「光秀への恩義」や「光秀への恐怖」を募らせていく。
その結果、光秀を討とうとする者は誰一人として現れず、むしろ「光秀は何をするか読めん(本能寺で信長を殺した実績があるため)」という理由で、光秀の機嫌を伺う使者が連日坂本城に押し寄せる事態となっていた。
第三章:細川ガラシャ(玉)の帰還と、婿の冷汗
「父上、ただいま戻りました」
八月中旬。坂本城に、光秀の娘であり、細川忠興の妻である玉(後の細川ガラシャ)がやってきた。
本能寺の変の直後、光秀が細川家に「玉は離縁するなり、幽閉するなり好きにしろ。金はやるから手切れだ」という無茶苦茶な文を送ったため、細川家によって丹後の味土野に幽閉されていたのである。
光秀は驚いて立ち上がった。
「玉!? なぜここにいるのだ! お前は細川家で暮らしておると思ったのに……! 忠興の奴、まさか本当にお前を離縁して追い出したのか!? 彼奴め、わしが自害しなかった事への腹いせか!」
腕まくりをして怒る光秀に対し、玉はクスクスと品良く微笑んだ。
「いいえ、父上。逆でございます。忠興様は『光秀殿から手切れ金を貰ってしまった手前、玉を粗末に扱ったら外道と罵られる』と怯えに怯え……毎日毎日、私のもとへ豪華な馳走や手紙を送り届けてくださり、この通り大切にされておりました」
「……は?」
「今回は『義父殿に手切れ金のお礼を申し上げてこい』と、忠興様が泣きそうな顔で私を送り出してくださったのです」
玉の後ろには、細川家からの大量のお詫びの品(最高級の丹後ちりめん、丹後の海の幸、金など)が積まれていた。
光秀は呆然とした。
「……わしはな、玉。お前が細川家で肩身の狭い思いをしないように、わざと『手切れだ』と突っぱねたんだぞ? なのに、なんで細川家は逆に恐縮して、お前を甘やかしているんだ?」
「父上が『開き直って全財産を捨てた』という噂が、細川家には『完璧な計略』に見えているようでございます。忠興様は『義父殿の思考は常人には読めぬ、下手に逆らうと何されるか分からん』と、毎日夜も眠れぬ様子ですよ」
光秀は天を仰いだ。
「夢(史実)で見た落ち武者狩りで百姓の竹槍に突かれ、泥まみれで惨めに死ぬのを避けたかっただけだったのに……。なんでみんな、わしを『深謀遠慮の策士』みたいに扱うのじゃ……」
「ふふっ。良いではありませんか。私と忠興様の仲も、以前より深まりましたわ」
玉は嬉しそうに笑った。
光秀の投げやりな決断が、めぐり巡って娘の夫婦仲まで良好にしてしまっていたのである。
第四章:秀吉、ついに坂本城へ直訴に訪れる
八月下旬。近江・坂本城。
「光秀ぇぇぇぇぇっ! 頼むから助けてくれぇぇぇぇっ!」
ついに耐えかねた羽柴秀吉が、自ら数人の供だけを連れて坂本城へ乗り込んできた。
草鞋履きのまま居間に上がり込み、畳に額をこすりつけて平伏する。
光秀は冷ややかな目で秀吉を見下ろした。
「羽柴筑前守ともあろう者が、なにを『死に損ない』の足元で這いつくばっておるのじゃ。みっともないぞ」
「みっともなくて結構! 助けてくれ光秀! もう限界じゃ!」
秀吉は涙目になりながら叫んだ。
「勝家殿と織田信孝様が『秀吉は上様の仇も討たずに京でウロウロしている腰抜けだ』と叩いてくるんじゃ! かと言って、わしが勝家殿と戦おうとすると、家康殿が『光秀殿の意向に反する』と言って圧力をかけてくる! わしの天下人に成り上がる計略が、八方ふさがりで完全に詰んどるんじゃ!!」
「知らんよ」
光秀は茶をすすった。
「わしは『あとは野となれ山となれ』と言ったろう。お前が天下人になろうが自滅しようが、わしの知ったことではない。勝家殿と大喧嘩して滅びれば良いではないか」
「そんな冷たい事を言うな!相談役じゃろうが!」
秀吉は光秀の膝に泣きついた。
「お前が本能寺で上様を殺したから、こんなことになったんじゃ! 責任取らんかい!」
「責任? ハハハ!」
光秀は高笑いした。
「わしはな、その責任を取るために『本能寺の跡地で死に装束を着て腹を切る準備』を完璧に整えていたんだぞ? それを『討つと悪者になるから嫌だ』と言って逃げ回ったのはお前たちだろうが! 責任を捨てたのはお前たちだ!」
「グヌヌ……ッ!!」
秀吉は反論できず、ぐうの音も出なかった。
完璧な論破である。
光秀は死ぬ準備をしていた。それを生かしたのは周囲の都合だ。ゆえに、今の混乱の責任を光秀に求めるのは、お門違いも甚だしかった。
「……じゃあ、どうすればええんじゃ……」
秀吉はガックリと肩を落とした。
光秀はしばらく考えた後、ふっと溜息をついた。
「おい、猿」
「……なんじゃ」
「お前、天下人になりたいのか?」
「そりゃあ……なりたいに決まっとるわ。上様の跡を継いで、この戦国の世を終わらせたいと思っとるんじゃ……」
光秀は秀吉の顔をじっと見つめ、やがて呆れたように鼻で笑った。
「なら……『織田家の家臣』として天下を取ろうとするのをやめろ」
第五章:光秀の悪魔的アドバイスと、新しい時代の予感
「……え?」
秀吉はポカンと口を開けた。
「織田家の家臣を……やめる?」
「そうだ」
光秀は身を乗り出し、秀吉にささやいた。
「お前はな、『上様の仇討ち』という看板にこだわりすぎておる。だから勝家殿や信孝様に『家臣の分際で』と言われるのじゃ。織田家の家臣という枠組の中で争うから、泥沼になるのだ」
「じゃあ……どうすれば……」
「朝廷に行け」
光秀の目が、一瞬だけかつての「智将・明智光秀」の光を取り戻した。
「朝廷に金を積み、出来るだけ高い官位を貰え。そして、織田家の家臣ではなく、朝廷の臣下として天下を統括するという名目で独立するのだ。そうなれば、勝家殿も信孝様も信雄様も、お前に文句は言えん。朝廷の臣下に歯向かうのは、朝廷への謀反になるからな」
秀吉の目が、見開かれた。
( 織田家の跡目争いを飛び越えて……織田家の家臣では無く朝廷の臣下となる……!?)
史実では、秀吉は賤ヶ岳の合戦や小牧長久手の合戦を経て、数年後に思いつく「朝廷の臣下(史実では関白)への就任」という大ワザを、なんと光秀の「テキトーな助言」によって天正十年の段階で伝授されてしまったのだ。
「光秀……お前、天才か……!?」
秀吉は身体を震わせた。
「天才ではない。わしはただの『死に損ない』だ」
光秀は興味なさそうに手を振った。
「お前が朝廷の臣下になれば、織田家の家臣同士のくだらない喧嘩からは切り離される。わしもこれ以上、無駄な相談を受けずに済む。それだけだ」
「光秀ぇぇぇぇぇっ! お前は恩人じゃーっ!!」
秀吉は光秀に抱きつこうとしたが、光秀に顔面を蹴り飛ばされた。
「近寄るな汚い! さっさと京都へ行って朝廷の臣下になれ! そして二度と坂本城に来るな!」
「分かった! すぐ行く! 官兵衛ーっ! 朝廷へ金を運ぶ準備をせよ!!」
秀吉は転がるように坂本城を飛び出していった。
庭の静寂が戻ってきた。
光秀は冷めた茶を飲み干し、再び縁側にゴロリと横になった。
「……ふぅ。これで少しは静かになるか」
隣に座った煕子が、クスクスと笑いながら光秀に膝枕を差し出す。
「殿。口では嫌がっておられましても、羽柴様のお世話を焼いてしまわれるのですね」
「お世話ではない。わしが静かに昼寝をするためだ」
「ふふっ、そういうことにしておきましょう」
光秀は煕子の膝の上で目を閉じ、満足げに息を吐いた。
信長を討ち、全財産を捨て、歴史を破滅させようとした開き直り男。
しかし、その男の「テキトーな一言」が、今度は天下の仕組みそのものを根本から塗り替えようとしていた。
「あとは野となれ山となれ」の果てに訪れるのは、破壊か、それとも誰一人予測できなかった「誰も死なない新しい平和」なのか。
光秀の壮大な暇つぶしは、第七話へと続いていくのであった。




