第三話 本能寺跡地の「死に装束オフ会」と首の押し付け合い
第一章:京都・本能寺跡地の異様な光景
天正十年(一五八二年)六月八日。京都・本能寺跡。
焼け焦げた柱や瓦が散乱するかつての寺域の一角に、白と金の豪奢な絹幕で囲まれた巨大な陣幕が出現していた。
幕の内部には青々とした畳が敷き詰められ、上質な茶道具、最高級の香炉から立ち上る名香の煙、そして色とりどりの馳走が並べられている。
その中央に座しているのは、真っ白な絹の死に装束に身を包んだ明智光秀であった。
隣には同じく白い打掛を纏った妻・煕子、嫡男・光慶。そして、光秀の後方には、金を貰ったにもかかわらず「殿を一人で死なせはせん!」と残ってしまった斎藤利三、明智秀満、藤田行政ら重臣たちが、これまた一式揃えた白装束で鎮座している。
「うむ。香の焚き具合も完璧、茶の湯の沸き加減も上々だ」
光秀は柄杓で湯を汲み、茶を点てながら満足そうに頷いた。
「煕子、茶は美味いか?」
「ええ、殿。死に装束でいただくお茶というのも、乙なものでございますね」
「ハハハ、そうだろう! どうせ切腹するなら、冷たい竹藪の泥の上より、最高級の畳と香に包まれた方が格段に気持ちが良いからな!」
光秀は上機嫌であった。
夢の中(史実)では小栗栖の竹藪で落ち武者狩りに遭い、泥まみれで刺殺されるという最悪の最期を遂げた。
だが今はどうだ。京の都の中心で、最高の馳走と茶を楽しみながら、いつやって来るかも知れぬ「一番乗り」の敵を優雅に待っているのだ。
「で……利三。一番乗りの敵はまだ来んのか?」
光秀が問うと、背後で白装束を着た利三が申し訳なさそうに頭を下げた。
「は……それが、『山崎のあたりに大名の手勢がちらほら見え始めた』との報告が入っておりますが……一向に京の内へ入ってまいりませぬ」
「はあ? なぜだ? 上様の仇討ちだぞ? 一番乗りでわしの首を獲れば『天下の義士』として名を上げられるというのに、なぜ誰も攻めてこんのだ?」
「それが……恐らくは、殿が全国に撒かれた『あの文』のせいでございます……」
第二章:大名たちの「光秀の首・大押し付け合い大会」
同じ頃、京都郊外・山崎の地。
ここには本来なら「山崎の戦い」で光秀と激突するはずだった各地の織田家臣や、近隣の国人たちが集まりつつあった。
しかし、陣幕を張った彼らの雰囲気は、血気盛んな仇討ちのそれとは程遠く、まるで「ババ抜きで貧乏くじを押し付け合っている」かのような重苦しい沈黙に包まれていた。
「……なぁ、中川殿。本当に光秀殿は本能寺跡地で死に装束を着ておられるのか?」
高山右近が、青ざめた顔で中川清秀に尋ねた。
「ああ……物見によれば、間違いなく死に装束で茶を点てておられるそうだ。『一番最初に来たヤツの前で腹を切る』と仰って、切腹用の脇差まで膝前に置いておられるらしい……」
「狂っておる……狂っておるぞ……明智日向守……!」
高山右近は頭を抱えた。
「で、どうするのだ? 誰が一番に乗り込んで、光秀殿の首を頂戴するのだ?」
中川清秀の問いに、集まった大名たちは一斉に目をそらした。
普通なら「我こそは!」と首を獲りに行く場面である。
しかし、今の状況で光秀の首を獲ることは、恐ろしい「罠」に他ならなかった。
光秀は全国に『信長ブラック告発状』をバラマキ、明智家の全財産を家臣や領民に分配し、軍を解散してしまった。
その結果、何が起きたか?
1. 大義名分の消失:光秀はすでに「敗北を受け入れ、反省(?)して死ぬ準備をしている」状態だ。そこに軍を率いて襲いかかれば、「戦う気のない無抵抗の人間を殺して手柄を横取りした卑怯者」と全国から猛批判を浴びる。
2. 天下の激務の押し付け:光秀を討って「天下の仇討ち」を果たしてしまえば、自動的にその大名が「次の天下人候補」として担ぎ上げられてしまう。しかし、信長亡き後の織田家は疑心暗鬼で空中分解寸前。そんな火中の栗を拾いたい大名など一人もいない。
3. 世論の嫌われ者:京の町衆や近江の領民は、光秀から米や金を貰って大喜びしている。今光秀を殺せば、「金をくれた明智様を殺した悪党」として京の民から恨まれる。
「なら、誰が光秀を討つんだ!?」
「秀吉にやらせよう!」
「そうだ! 戻ってくる猿に全部押し付けよう!」
こうして、本来なら奪い合いになるはずの「討首の手柄」は、誰からもいらないと拒絶され、中国路から爆走してくる羽柴秀吉への「押し付け合い」へと発展していったのであった。
第三章:爆走する秀吉と、深まる疑心暗鬼
六月十日。摂津国・富田。
「ハァ……ハァ……っ! 走れ! 走れ!! 京へ急げ!!」
羽柴秀吉は、汗と泥にまみれながら馬を走らせていた。
史実を上回る超人的なペースで中国路を激走してきた「中国大返し」である。
だが、秀吉の表情に勝利の予感や覇気はない。あるのは「焦燥」と「困惑」だけであった。
「報せは!? その後の光秀はどうなった官兵衛!?」
並走する黒田官兵衛に、秀吉が叫ぶ。
「は……はっ! 本能寺跡地の光秀ですが……昨日、京の有名な菓子屋から『葛切り』を大量に買い寄せ、重臣たちと涼んでいたとのことです!」
「葛切り食っとる場合かアイツはぁぁぁぁぁっ!!!」
秀吉は馬上で発狂しそうになった。
「なんで誰も攻め込まんのだ! 細川は? 筒井は?中川!高山!池田も! 近隣の国人連中も何をしとるんじゃ!」
「それが……皆様、京の手前周りで陣を張り、『秀吉殿が到着されるまで手を出しては失礼だ』と、譲り合っておられるようで……」
「譲り合うな、そんな手柄ぁぁぁっ!!」
秀吉は頭をかきむしった。
秀吉のシナリオでは、こうなるはずだった。
『光秀が天下を奪おうと京で威張っている』
→『秀吉が怒涛の大返しで戻り、光秀軍を粉砕』
→『信長公の仇を討った大英雄として、織田家の実権を握る』
しかし、現実のシナリオはこうだ。
『光秀が死に装束で葛切りを食べている』
→『誰も攻め込まないので、秀吉が一番乗りしてしまう』
→『腹を切ろうとしている光秀の前でポカンとする』
→『光秀「あ、秀吉くん? 遅かったね。じゃ、切腹するから首斬って」と言われて首を斬る』
→『世間「えぇ……戦う気ない人を殺したの……?」と引かれる』
「いかんぞ……いかんぞ、これ……! 完全に罠じゃ! 光秀の奴、最初からわしをハメるためにこんな奇策を……!」
官兵衛も深刻な顔で頷いた。
「秀吉様……光秀は狂ったフリをして、我が軍の士気を挫き、油断したところを急襲する腹積もりかもしれません。我が軍が京に入った瞬間、京の町衆に紛れ込ませた軍勢が一斉に我らに襲いかかるよう仕組んでいるのかも……」
深読みが得意な策士・官兵衛だからこそ、光秀の「単なる開き直り全投げ」を「最悪の罠が仕掛けられている」と誤認してしまったのだ。
「官兵衛……どうすれば良い?……わしは光秀を討ちたくないぞ……そのまま討てても悪者になってしまうし、そなたの言うように罠かもしれん……!」
「秀吉様、ここは急ぎ柴田勝家様や織田信孝(信長の三男)様に連絡を取り、彼らに一番乗りを譲るのです! 我らは二番手として同行し、責任を回避しましょう。罠であったとしても彼らを犠牲にし、我らは回避できます!」
「それだ! それで行こう!!」
天下を奪うはずだった秀吉が、自ら「手柄の譲り合い」に参入した瞬間であった。
第四章:退屈すぎる「本能寺オフ会」
六月十二日。本能寺跡。
「……あ〜あ、ヒマだなあ」
死に装束の光秀は、畳の上に寝転がりながら欠伸を噛み殺した。
「殿、行儀が悪いですよ」
隣で裁縫をしていた煕子が苦笑する。
「だってしょうがないだろう、煕子。もう六月十二日だぞ? 本能寺の変から十日も経っているんだ。夢のとおり(史実)なら、明日には山崎で秀吉と大決戦をやっている頃だぞ?」
光秀は起き上がり、側近の明智秀満を見た。
「秀満。秀吉の奴、今どこにいるんだ?」
「は……一昨日の時点で摂津富田まで来ていたのですが……なぜかそこから一歩も進まず、陣を張って停滞しております」
「なぜだ!? 猿なら大返しで一気に攻め込んでくるはずだろ! 途中で腹でも壊したのか!?」
「それが……噂によれば、越前の柴田勝家様や、四国攻めに向かう寸前で取りやめた織田信孝様が到着するのを待っているらしく……『仇討ちの一番乗りは織田家一門にお譲りする』と遠慮されているようで……」
「遠慮すんなよ!!」
光秀は畳をバンバンと叩いた。
「わしは死に装束で待ってるんだぞ!? 毎日毎日、香を焚いて、美味しい茶を点てて、いつ来てもいいように格好良い死に様まで練習しているんだぞ!? なんで誰も来ないんだよ!!」
「殿……あまりの開き直りぶりに、周囲が恐怖して近寄れないのでございます……」
藤田行政が引きつった笑いで言った。
実際、京の街では奇怪な噂が駆け巡っていた。
『明智光秀は死に装束を着ているが、あれは陰陽道の呪術だ』
『本能寺跡地に一歩でも踏み込めば、信長公の怨霊と光秀の呪いで即死する』
『光秀を討った者は、次の天下人として光秀の呪いをすべて引き継ぐことになる』
もはや光秀は「戦国大名」ではなく、「触ったら呪われる呪物」として扱われ出していたのである。
「もう嫌だ……」
光秀は膝を抱えて丸くなった。
「夢(史実)では真面目に天下を狙って裏切られて惨殺され……開き直って『さあ殺せ』と準備しても誰も来ない……戦国の世って、こんなに難しいものなのか……?」
「殿、元気を出してください。ほら、葛切りのお代わりですよ」
「食べる……食べるけどな……」
死に装束で葛切りを啜る光秀の顔は、歴史上どの光秀よりも哀愁に満ちていた。
第五章:迷走する歴史、そして『あの男』が動き出す
六月十三日。
本来ならば「山崎の戦い」が行われ、明智家が滅亡するはずだった運命の日。
山崎の合戦場には、誰一人として兵がいなかった。
秀吉軍は富田で静観。
細川・筒井軍は洞ヶ峠でお茶会。
柴田勝家は北陸で疑心暗鬼になって動けず。
徳川家康は光秀の配慮のおかげで無事に三河へ帰還中。
そして京都の中心・本能寺跡地では、明智光秀が死に装束のまま、暇になった重臣たちと囲碁を指していた。
「殿、秀吉様から手紙が届きました」
溝尾茂朝が差し出した文を、光秀はめんどくさそうに開いた。
『光秀殿。
貴殿は何を考えているのだ?
わしは上様の仇を討って次の天下人になりたかった。が、貴殿が勝手に自害する準備をして待っているせいで、わしの思い描いたように進まぬではないか!
上様を殺しておいてこれはないだろ!お願いだから、兵を出して戦ってくれ! そうしたら、わしは正々堂々と貴殿を討って次の天下人になれる! 羽柴秀吉』
光秀は手紙を破り捨てた。
「知るか!! お前の引き立て役なんかになってやるか! 勝手に困ってろ!」
光秀の「完全放置プレイ」により、織田家臣団のパワーバランスは完全に崩壊。
秀吉は天下人への足がかりを失い、織田家はリーダー不在のまま泥沼の派閥抗争へ突入しようとしていた。
その時である。
「報告! 報告いたします!」
使者が本能寺跡の陣幕へ飛び込んできた。
「何事だ? 秀吉が諦めて攻めてきたか?」
「いえ! 三河へ戻られたはずの徳川家康様が……大軍を率いて、京へ向かって進軍中とのこと!!」
「……は?」
光秀は囲碁の碁石を落とした。
「家康殿が……? なぜだ? 堺から海路で無事に三河へ帰ったはずだろ!?」
使者は、家康が発したという全軍への激文を読み上げた。
『明智日向守殿は、我が長男・信康の仇である信長を討ってくださった恩人である! さらに三河への逃げ道まで手配してくださった! このような義理堅いお方を、一人で死なせるわけにはいかん! 徳川軍、全軍をもって光秀殿をお救いし、京の治安を守るのだ!!』
「「「「えええええええええっ!?!?」」」」
陣幕内に、光秀と重臣たちの絶叫が轟いた。
「家康殿ぉぉぉぉぉっ!! 余計なことをするなぁぁぁぁぁっ!!」
光秀の「綺麗サッパリ死ぬ計画」は、恩義を感じすぎた徳川家康の乱入によって、さらに予測不能な超展開へと巻き込まれていくのであった!




