間に合います?
東京、赤坂の一等地にある15階建ての高級マンション、その最上階に夜巳幻子の芸能事務所である『夜巳プロダクション』があった。
エレベーターを降りるとすぐに事務所の入口になっていて、バブル期ならではの美しい受付の女性が2人、にこやかに微笑んで来客を出迎えた。そのまま廊下を進むと会議室、オフィス、社長室と続き、その向こうに一際大きい部屋があった。
ツルツルの床ばり、壁には大きな鏡が張り巡らされているその部屋は、タレントたちがダンスやレッスンなどをするのに使われているようだ。
夜巳はその部屋に入ると、壁にそっと手を伸ばし隠しスイッチを押した。すると大きな鏡の1枚がゆっくりと回転して、更に奥へと進む通路が現れた。
夜巳がその中に入ってゆくと、鏡はまたゆっくりと回転して元の状態へと戻った。
狭い通路を7mほど進むと10畳くらいの部屋に出た、とても薄暗く、唯一あるのは数十本のロウソクの明かりだけだった、そのロウソクも部屋中央の『ある場所』の周りに並べられているだけなので、部屋の隅の方は闇に包まれていた。
その部屋の中でぼんやりと明かりに照らされた3人の人影が夜巳幻子を待っていた。
「遅いぞ、幻子」
1番奥にいる男が幻子に向かってそう言った。
「会議が長引いてな」
幻子はそう答えながら部屋の中央、ロウソクに囲まれたあるものに頭を下げ手を前に出しそれにそっと触れた。
それは50代くらいの女性、……のミイラだった。
ミイラと言ってもかなり状態が良く、遠くから見るとまるで生きているようにさえ見えた。
女性のミイラはロウソクの光に囲まれて、不気味に立っていた。手を後ろ下に伸ばし、何も身につけていない上半身を上方向に反らして、髪は乱れ、鬼のような形相をして空を睨んでいた。
「がたみたまじ、、母さん、私の命はあなたへ戻ります。」目を伏せてそう言うと夜巳幻子は顔を上げた。
女性のミイラは夜巳幻子の母親であった。
「昨日の新幹線のやつ、、お前の乱だったそうだな」
今度は向かって右側にいる男が幻子に聞いた。
「あぁ」
まるで関心がないような口ぶりで幻子は男に向かって答える。
「効果が出てきているようね」左側に立つ女性がそう言う。
「そろそろ姉さんの出番ですよ」幻子がその女性に返した。
この部屋にいる4人はミイラの女性の子供たちであった。
奥にいる坊主頭に複数のタトゥーを入れた男は長男の『夜巳耶汰偈』
右側に立っているグレーの長い髪にメガネをかけた筋肉ムキムキの男は次男の『夜巳武迅』
そして左側の長身で美しい女性は長女の『夜巳苦奴蘭』
これに夜巳幻子を加えて4兄弟であった。
1番奥の耶汰偈が部屋の隅の方へと歩いてゆく、それに続いて3人も移動した。
部屋の隅にはデスクトップパソコンが置いてあった。
この時代、まだパーソナルコンピュータを個人で所有している人は珍しく、一般に入手できるものはDOSV機と呼ばれるいわゆる黒い画面にコマンド(文字)が永遠表示されるようなタイプが主流だった、半年前くらいからようやく画面が綺麗なマッキントッシュというパソコンが出始めてきた頃だった。
「これからはデジタルを使って人間の言葉を操る時代が来る。”乱”もデジタルでやり取りした時に効果が出るような工夫をしなければな」
耶汰偈がキーボードを使ってある言葉を入力すると、画面に一瞬ノイズが走った。
***
東京、渋谷。
PM4時半。
夕方6時からのMHKニュース(生放送)に使う模型なので理想は5時くらいにはスタジオに納品してアナウンサーの人たちに物を確認してもらうのがいい。
SOra工房のいい所はMHK放送センターにものすごく近い事だ。早歩きなら2分くらいで局の入口まで行けてしまう距離。
新幹線模型も時間ギリギリまで作業が出来る!
ただ、そうは言っても作業はまだまだ残っていた。
なにせ、模型の打ち合わせをしたのは朝の10時、そこから作業を開始して長さ600mmの新幹線の車両(1車両のみ)を作る。実質6時間くらいしか作業時間はないのだ。
スチレンペーパーという板を、切ったり貼ったりして、あとはABSというプラスチックの板を加工して作っている。とにかく車両の中にある沢山の座席を作るのに苦労した。君香がそれを請け負い佳奈も手伝った。車両本体は来海が1人で担当する。車両は屋根が取れるように作って中の様子が分かるようにする。
シャッ!シャッ!刃物が軽快に走る音が作業机の上に響く。来海の手さばきには一切の淀みがなかった。
車両の壁が出来ると、次に透明なプラスチック板をカッターで切って窓にしていく。佳奈は昨日体験した溶けていく窓を思い出してゾワッとした。来海の顔をチラッと見るが、来海はいつもと変わらずの表情で作業に没頭していた。
残り時間が迫ってきて、全員の作業ペースがもう一段階アップしていく。
「間に合いますかね?どこか省略しますか?」君香が来海に伺いをたてる。
あと20分足らずで工房を出てMHKに持って行かなければならない。
来海は車両の床を塗装していた。
君香達は出来上がってきた座席をダンボール箱の中にまとめていく、だが車両が完成しないかぎり座席を並べることが出来ないのだ。
「座席は現場で着けよう」来海が今塗装した部分をドライヤーで乾かす。あまり早く乾かすと板が反ってきてしまうので適度な温度で乾燥させていく。。
君香が必要な接着剤や筆などを工具に詰めて、台車の上に乗せる。
「よし!乾いた!行こう!」来海は600mmの車両本体を持ち、座席と必要な物を乗せた台車を君香が押してゆく。佳奈はその後ろをついて行った。
MHKの局内に入っても3人は走り続けた。時間はギリギリ。
ニュースを放送するスタジオは1番奥の場所にあるのだ!ゴールが遠い!
通行する人たちを避けながらタタタッと廊下を走っていると脇道から清掃員の掃除モップが飛び出してくる、慌ててそれを小ジャンプで飛び越える来海。
「障害物競走みたいですね!」佳奈が思わず声にした。(実際にこういう事はありました*作者談)
PM5時。なんとかスタジオに到着してアナウンサーをはじめ、演出、カメラマン、照明、音声など各セクションのスタッフに模型を見せて確認してもらう。
そして隙間をみて来海が座席を接着していった。
「乗客の話ではこの窓が急に消えたっていう事ですよね?」
ニュース番組の司会をつとめる女性アナウンサーが模型を指差してディレクターに確認していた。
その横でカメラマンが車両模型の内部まで映せるようにあれこれとカメラの角度を調整している。照明技術の人はライトの光が模型の窓に反射しすぎないように努める。
『すごい、バタバタとしているけど、みなさんそれぞれ仕事のプロって感じだ!』佳奈はスタジオ内の全員がみせる職人のような立ち振る舞いにしびれていた。
『本番15分前です!』FDの声にそれぞれが持ち場へとつくスタッフ。
そんな中、この模型の仕事を来海に頼んだディレクターが「ありがとうこざいました」と来海に頭を下げた。
「問題がなければ、これで失礼します」軽く会釈をして来海と君香、佳奈は工房へと戻った。




