君の笑顔で、リセットされる(同棲百合。写真家と恋人)
夜の十時。電車から出る人々は、いつもより疲れ切って見えた。……もちろん、楽しい予定の後で、充実した人だって居るに違いないのだが。そんな風に見えるということは、自分が疲れ切っている所為だろう。仕事先で言われた嫌味を思い出し、一つため息。頭を振る。
不快なことは、忘れよう。明日も仕事だ。撮る人間は、いつだって被写体に対してゼロで居なくてはいけない。師匠の言ったことを思い出す。
嫌なことを思い出しては打ち消し、思い出しては打ち消し、をくり返しつつ改札を出たときだ。
「おーい!」
恋人の声がした。ハッと顔を上げると、
「……ピヨ?」
そこには、今は家に居るはずの彼女の姿があった。
何処か白々しい駅の光の中、こちらへ向かって手を振っている。
「どうしたの?」
彼女の元へ、慌てて駆け寄る。
「えへへ、迎えに来ちゃった」
ピヨも、小走りでこちらに来てくれた。その顔には、悪戯っぽい笑みが浮かべられている。
「夜も遅いのに危ないよ」
遠くで救急車の音がしていた。乗客の足音が、昼間より早く消えていく。
「それ言ったら、イチもじゃん」
「ちゃんとタクシー使う気だったよ」
ピヨは使ってないでしょ、と言えば、彼女は「へへへ」と笑って明後日を向いた。
ちゃんと誤魔化す気すら無い誤魔化しだった。
「まあ良いじゃん」
まったく、とため息を吐く。
どうしてこう、無頓着なのか。
「良くないよ。ピヨに何かあったら」
注意しかけた私の唇に、ピヨの指がちょんと当てられた。
「でも、早く私に会いたかったんじゃない?」
ん? と小首を傾げ、口角を上げる彼女に。
「……」
私は何も言えず、は~~~~~と大きく息を吐く。
だって、その通りだから。
嫌な回想を振り切りながら考えていたことは、早くピヨを抱き締めたい、だった。ピヨの笑顔を見てすべてリセットしたいと、そればかり考えていた。
「……何でメッセだけでわかるかな」
ピヨの肩に、頭を乗せる。
「ふふふ。愛じゃない?」
すると彼女の手が、優しく私の頭を撫でた。その柔らかな感触が、気持ち好い。
「ね、そこのコンビニ寄ってから帰ろ。それで、好きなお菓子買お。あ、お酒も有りだな」
今度は甘い声が、私の耳をするする撫でる。
何処まで私を甘やかす気なのか。可笑しくなって、ふっと笑った。
「……お酒は駄目。お互い、明日も仕事でしょ」
顔を上げたら、
「駄目かぁ」
ピヨと目が合った。お互い、ふふふと笑い合う。
「駄目だよ。でもお菓子は、ちょっと贅沢しちゃおうか」
「そう来なくっちゃね!」
彼女の手を取ると、ピヨは嬉しそうにそれを握り返して、にこっと笑った。
「ラテとかも買っちゃおうかなあ。抹茶ラテ」
「眠れなくならない?」
「二人で半分こしたら、駄目かな」
「どうだろう」
手を繋いで、コンビニまで行く。
ただそれだけなのに、心は何とも言えず満たされた。
不快な記憶は、改札の向こうへ流れ、いつの間にか小さく小さくなっていた。
END.




