倖せな親指(歳の差夫婦。年上×年下)
洗い物を終え、ソファーへ向かう途中。
右手親指に違和感を覚え、確認する。
(あ)
するとそこには、ベリ、とめくれたささくれがあった。
(ささくれかー)
無視をしてもいいが、一度気が付くと妙に気になってしまう。微かにズキズキとした痛みも感じて来た。
(もう取っちまうか)
えいっ、とひと思いに引きちぎる。
上手いこと取れて血も滲まなかった。ほっとする。ちょうどゴミ箱の傍なのも良かった。
と思っていたら。
「あ!」
おひいさんの声がした。
そちらを見れば、食後のお茶をローテーブルに置いていた彼女が、困った顔でこちらを見ている。
「もう、嘉助さん。ささくれは爪切りで切らないと」
それから小走りで傍に来て、俺の手を取った。
「ごめんごめん、つい」
「消毒しましょう」
「大丈夫だよ」
その様子は可愛らしくも大袈裟に感じたので、へらりと笑い、かわそうとする。
「いいえ、駄目です」
しかし存外真面目な声が、それを阻止した。ぎゅ、と手を握られる。
「もし膿んでしまったら、嘉助さんが痛い思いをするでしょう?」
こちらを見上げる眼差しは、真剣で。
「そんなの嫌です」
その言葉が本心であると、しっかり伝わってきた。
「おひいさん」
胸の中に、じわ、と何か温かなものを感じる。
「消毒しますから、こちらへ」
彼女に手を引かれ、俺は素直に従った。
(……いいもんだな)
誰かが自分よりも、自分の身を大事にしてくれること。
その嬉しさが沁み入るように広がっていく。
「おひいさん」
ソファーに座り、消毒液を取ってきた彼女を見上げた。
年下なのに、その姿は慈愛に満ちていて眩しい。
「ありがとね」
「……もっとご自分を大事にして下さいましね」
おひいさんが、軽く眉を下げ微笑んだ。仕方なさげな笑みなのに、その眼は何処までも優しい。
そのことに、俺は擽ったいような甘やかさを感じていた。
ちゃんと絆創膏まで巻かれた己の指が、愛おしく倖せだった。
END.




