24 思い出のだし巻き卵
あたりに空砲が鳴り響く。
とは言え、星野が聴き慣れているような銃声とは違う。小さなピストルからわずかな火薬で鳴らされるのは合図のためのものでしかなく、跳ねるように現場へ飛び出すのは児童たちだ。体操着と紅白キャップを身につけていて、いかにも元気がよさそうに見える。
そのなかには、星野が面倒をみている子どもの姿もあった。
小学校の運動場。競技に勤しむ児童。カメラ片手に観戦する保護者たち──。
なんの変哲もない、ただの運動会である。
「星野さん、奈々ちゃん! あおちゃんがかけっこで一等賞取るの見てましたか? 速かったでしょ⁈」
運動場を取り囲む保護者席の最後部で立ち見をしていた星野に、全力疾走して被保護者が抱きついてきた。
「50メートル走な」
「あおちゃん、本当に速かったですよ! かけっこ得意だったんですね」
一緒に運動会を観に来た奈々が、膝を折って駆け寄って来た子どもと目線を合わせた。子どもは誇らしそうに胸を張る。
「そうでしょ、そうでしょ! 星野さんに買ってもらった靴のおかげなんですよ!」
「普通の靴だったろ」
腰に抱きついてくる子どもをそのままにして、周囲を見渡す。子どもの後ろから、りえちゃんと美恵ちゃんが追いかけてきていた。
「もう! 星野見つけるなり走り出して! 先生に見つかったら怒られるわよ」
「だって、あおちゃんがそばにいないと星野さんが守衛さんに連れて行かれると思って……」
「お巡りさん呼ばれたら大変ですからね」
「ひとを変質者呼ばわりするな」
さすがに守衛は星野の顔を見知っている。……以前、子どもを迎えに来た時に職質のようなことをされたので。
「あはは。今日は私がいるから大丈夫でしょう。ちょっと得体の知れない若夫婦に見えてますよ、多分」
「不審者が2人になったな」
「っていうか、それはそれで裕一郎が怒るんじゃない?」
「? 裕一郎が怒る要素ありました?」
「あーあ」
「あーあ」
りえちゃんと美恵ちゃんが嘆きの声を上げたが、奈々は首を傾げるばかりだった。
「ほら、もう戻れ。友だちが待ってんだろ」
背中を押してやると、子どもは珍しくぐずって顔を上げた。どんぐりみたいな大きな目はなぜか慎重な色をたたえている。
「……今日、一緒に帰ってくれます?」
「は? 当たり前だろ。俺はなにしにココへ来てんだ」
「……ですよねー! じゃあちゃんと閉会式まであおちゃんの勇姿を見ててくださいね!」
一瞬でいつもの調子に戻った子どもは、友だちのところまで弾丸のように飛び出して行った。
昨今の運動会は6月ごろに開催されるのが通例らしい。そして驚くべきことに、午前で全プログラムが終了し、その日は給食もなく子どもたちは帰宅するというのだ。
「今日はたまたま休みが取れたから良かったが、児童全員の家族が休めるってわけでもねえだろうに」
藤の花の匂いがどこからともなく漂う道。子どもと手をつないで帰宅する中で、思わずそんな風にぼやいてしまう。
というか、本当は出勤だったのに池澤が職場で「あおちゃんの運動会行かなくていいんですか」などと個人情報をリークしたため、強制的に有給を取らされたのだ。
子どもはいつも通りの笑みを浮かべたまま、
「んー……でも、あおちゃんや美恵ちゃんみたいに、家族がお弁当つくれなかったり、そもそも家族がいなかったりすることもありますから、しょうがないんじゃないですか?」
思っていた以上に大人側の話が飛び出してきて、星野は面を食らった。思わず子どもの頭をなでると、髪がぐしゃぐしゃになったのにうれしそうに見上げてくる。
その様子を反対側から見ていた奈々が説明をつけ加えた。
「もともとは集団で食事するのが公衆衛生的にどうかな、という時期があったのが大きなきっかけだったみたいですね。今も続いているのは、最近は6月でももう暑いことが多いですから、運動するなら午前中だけってことなんじゃないでしょうか」
たしかに、最近の夏の暑さは星野の子ども時代と比較にならないほど暑い。星野は田舎出身で、真夏でも扇風機で過ごせていた。今はとてもそんなことはできないし、剣道場にだってクーラーがついている。昔ならあり得なかった。
理由は納得できたが、星野は薄ぼんやりとした郷愁を感じた。
「……俺は、結構運動会ってのが好きでな。兄貴がデカい重箱持って運動会に来てたよ」
「は! 珍しく星野さんが子ども時代の話を聞かせてくれようとしてます⁈ 正座して聞きたいんですが!」
「いらん。……別に、弁当に入ってた唐揚げとかだし巻き卵とか、そういうのがうまかったってだけの話だ」
星野の家は、兄弟で歳がかなり離れている。そのため、星野は兄と姉に育てられたようなものだった。
小学校の運動会、星野の幼少時代は秋に一日がかりで行われるイベントで、昼食は家族がつくって持ってくる弁当だった。とくに兄は張り切って、重箱に食べきれないほどのおかずを詰めてくれていた。
──その時は、素直にうまいと言って腹いっぱいになるまで食ったっけ。
星野は運動が得意な子どもだったので、午後も頑張れ、という兄の応援が込められていたのだろう。やはり星野も短距離走で一位になって、その時の写真はきっと今も兄が実家に飾っているはずだった。
なぜか星野の思い出話に興奮しているらしい子どもが、はしゃいだ声を上げて手を引っ張る。
「それ、お兄さんがつくってくれたんです?」
「ああ。兄貴は俺の弁当をつくりたがるヤツだから」
「星野さんのお兄さん、星野さんのこと大好きですもんね!」
子どもは年始にあいさつをした兄のことをことさら慕っていた。兄の方も子ども好きなので、2人で雪の中を転げ回っていたものだ。兄が重い病を抱えていなければ、この子どもは兄に引き取られていたことだろう。
「……ねえ、星野さん。お昼の献立がまだなら、今からみんなで星野さんのお家のお弁当をつくってみませんか?」
奈々の提案に、子どもの大きな瞳がきらきらとかがやいた。
「奈々ちゃん天才ですか⁈ 星野さん、どうでしょう?」
問われて兄の弁当の中身を思い出す。星野は食べ物の好き嫌いのない子どもだったが、兄は弁当に好物ばかりを入れてくれた。そして、この子どもも星野の好物は好きだ。
「そうだな……そうするか」
星野の部屋に戻ると、3人揃って手を洗ってエプロンを身につける。さほど広いキッチンでもないので、大人ふたりと子どもひとりが立つともう定員満了である。
「さすがに今からお弁当一式つくるのは大変です。なので! 唐揚げと卵焼き、おにぎりというメニューでいきましょう!」
奈々は帰宅途中に買い込んだ食材を並べて、子どもにおにぎり係を、星野に卵焼き係を命じた。
「飯は炊いてあるから、それ使え」
「星野さん、塩昆布入れていいですか?」
「お前好きだよな、それ」
おにぎりはつくらせたことがあるので、子どもに任せて問題はない。
さて、星野は卵焼き、しかも兄がつくっていたのはだし巻き卵だ。兄がつくっている姿は何度も見たが、細かな分量など覚えているはずもない。
「……だし……?」
「星野さん、顆粒だしかめんつゆありますか?」
隣でトレイのまま唐揚げ粉をダイナミックにまぶしていた奈々が助言をくれる。星野は、味噌汁用の顆粒だしを引き出しから取り出した。
「お兄さんはだしをちゃんと取ってる方かもしれませんが、今日はそれを使うのがいいと思います」
「兄貴がそんな手の込んだことしてたとは思えねえから、大丈夫だろう」
あとの手順はネットで検索したレシピ通りに進める。
ボウルに卵とだし、水を入れて溶いたものを熱したフライパンに薄く敷く。焼けた卵をフライパンの上で巻いて、最後に巻き終わった部分をフライパンに押し当てる。ラップに引き上げて形を整えて、粗熱が取れたら完成だ。
出来上がっただし巻き卵を食卓へ運ぶと、おにぎりを握っていた子どもが歓声を上げた。
「わぁー! 星野さんの卵焼き、予想通りに不恰好ですね!」
「やかましい」
「完全に失敗じゃなくて、はじっこがぼろぼろで上手く巻けなかった感があるのが趣深いですよ。あとちょっと茶色いのが謎ですね」
「……醤油入れ過ぎただけだ」
少なくとも、兄のだし巻き卵はこんな色でも形でもなかった。兄は自分と違って手先が器用なタイプではあるが、あの仕上がりはイベントの時だけつくっていたものではないだろう。
「……俺が忘れちまっただけで、普段から飯つくってくれてたのかもな……」
卵焼きだけではない。唐揚げだって手づくりだった。兄だけではなく姉との合作だった可能性もあるが、自分がわずかながら自炊をするようになって、その労苦がようやくうかがい知れた。
朝から揚げ物をするなど狂気の沙汰だ。初心者が気合いだけでできることではない。
「……苦労、かけてたんだな……」
「……星野さん、あおちゃんと一緒にいるの、大変です……?」
星野の無意識のつぶやきを拾ってしまった子どもが、不安そうな瞳で見上げてくる。
──そうか。兄や姉も、こんな気持ちだったのか。
血がつながっている分、無遠慮にケンカしたり邪険に扱われることもあったし、なんなら星野にはその記憶の方が強かったりするが、それでも。
星野は子どもの頭をぐしゃりとなでた。
「……子どもが余計なこと考えんな。食って寝て、勉強して遊んでろ。ガキはそういう生き物だ」
「でも……」
「俺だって、そうやってデカくなった。お前もそうしろ」
そう言うと、ようやく子どもは大人しくうなずいて、笑った。
「……はい! あおちゃんもいっぱい食べて寝て遊んで、星野さんみたいにおっきくてつよーい大人になります!」
「勉強抜けてんぞ」
子どものおにぎり用のボウルや具材用のスプーンなどを片付けて、食卓を整える。準備ができたところで、子どもとともに奈々の唐揚げの様子を眺めた。
「鶏肉はちゃんと火を通さないといけませんから、少し時間がかかるんですよ。もうちょっと待っててくださいね」
「……悪いな。今日は付き合ってもらって」
本来、今日の星野は出勤の予定だった。なので事前に奈々にお迎えの相談をしていて、最終的に2人で運動会を参観することになったのだ。
「いえいえ。あおちゃんの運動会の応援なら、ぜひ参加させてもらいますよ」
「……裕一郎くんは、あんまりいい顔しねえだろ」
「え、なんでですか?」
奈々がきょとんとした表情で星野を見上げてくる。本気でわからないらしい。
「……若い男女が並んで歩いてたら、カップルと思われるだろうが」
「はあ……でも、星野さんはただの店子さんですし。あおちゃんを立派に育てているのをお手伝いしたいと思うのは、大人が持ち合わせる一般的な道徳感情では?」
「…………」
否定するような発言はない。全くもってその通りだ。だが、激しく、違うそうではない、と言いたくなる。
奈々は美人でしっかりした女だと思うが、どこか世間ずれしていた。子どもがいなければ星野は絶対に関わらなかっただろう。
「……裕一郎くんは大変だな……」
「あおちゃんは星野さんを苦労させたりしませんからね」
「なぜ裕一郎の話に?」
カラッと揚がった唐揚げとぼろぼろのだし巻き卵、形が均一になってきた小さめのおにぎり、そして星野がつくり置いていたなすの味噌汁を食卓に並べる。
「いただきます」
「いただきます」
「いっただっきまーす!」
三人で手を合わせて、遅めの昼食をはじめた。
「星野さんのだし巻き卵、味が濃くてご飯が進みますね!」
「……しょっぱいなら無理して食うな」
「星野さんがはじめてつくってくれたものは全部いただきますよ!」
普段食が細いくせに、そういうところは妙に律儀だ。
悪い気はしないが、あまり塩分が多いものを食べさせるわけにもいかない。子ども皿の卵焼きを二切れほど自分の皿に移した。子どもは黙ったままだった。
「……兄貴の卵焼きは、もっとちゃんと卵の色をしてて、きれいに巻いてあって、食べるとだしがきいてた。だから冷めてもうまかった」
「なるほど。なら、お兄さんのだし巻き卵は白だしとみりんあたりを使ってたんじゃないですか? 練習してみます?」
「いらん」
「……じゃあ、あおちゃんが練習します!」
子どもが元気をよく手を上げるのを見て、奈々もうれしそうに手を叩いた。
「いいですね。じゃあ今度私と一緒につくってみましょうか」
「はい! つくり方もお兄さんに聞いておきます! この! 星野さんからいただいた携帯電話があるので!」
「ですって。いいですよね、星野さん?」
「……好きにしろ。つくったものはちゃんと食べろよ」
「星野さんに毎日運動会気分を味わわせてあげますとも!」
「いらん」
調子の良いことを言う子どもだが、それでも、今さら兄姉の苦労を知った自分よりは、ずいぶん賢いのではないだろうか。へんな風に気を回しすぎるところのある子どもだ。
「……料理の練習をするのはいいが、大人の真似事なんざするなよ。お前はまだガキなんだから」
大人なんて、飽きるほどやる時間があるのだ。子どもを無理に大人にする必要なんてないだろう。
星野の言葉におにぎりをくわえていた子どもは目を見張って、照れくさそうに、うれしそうに笑った。
奈々ちゃんはちゃんとお家に帰れたようです。
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