23 モヒートがいらないくらい
「いったい、どういうつもりですか?」
奈々は腰に手を当てて、ソファに座る裕一郎を睨みつけた。今日の男は休日らしく、車雑誌をタブレットで眺めている。奈々の声で顔を上げて、素知らぬ表情を浮かべた。
「……なんの話だ?」
「しらばっくれないでくださいよ」
裕一郎の態度に思わず眉が上がる。自然と声もきついものになった。
「私のこと軟禁して、どうするつもりなんですか?」
「軟禁って……物騒な言い回しをするな」
「家に帰してくれないんですから、軟禁であってます」
裕一郎となんだかんだあって、まあ恋人というか、そんなような関係にはなった。
なって以降、奈々は自宅に帰れていない。
最初のころは多少浮かれて、まぁしばらくはいてもいいかな、とは思っていた。裕一郎の部屋に入り浸るのははじめてでもないし、こんな関係になる前から一カ月ほど居続けたこともある。ゲストルームを自分の部屋にしてしまったのもそのころだ。
ただ、いくらなんでも三カ月は長過ぎる。
別に裕一郎から「一緒に暮らそう」などと今さらなことを言われてもいないし、奈々としても、やや関係性は変わっても──ベッドが同じになった程度だ──自分の生活を変えるつもりはなかった。
それが、一度出かけても、食材がないから買ってきてくれだの、今日は店を予約しているだの、いい酒が手に入っただのと甘言を弄して裕一郎は奈々を引き留めるのである。
そんなのは振り切って帰ればいい、とも思うが──敵はこちらを知り尽くしている昔馴染。奈々が「ちょっとくらい」と思う程度の塩梅を攻めてくるのだ。
けれど、もういい加減、そんなずるずるとした生活を改めなければ。
あおちゃんと星野さん、今ごろどうしてるでしょうか……。
一番気掛かりなのは、特別親しくしている店子である。星野はシフト制で勤務していて、夜勤の時はあおちゃんが寝るまで留守を預かっていた。あおちゃんにはしばらくお料理を教えられていないし、きっと残念がっているに違いない。
「今日は絶対帰りますからね!」
「なんだ? お前に急ぎのしごとなんかないだろ」
「あります。あおちゃんにお料理を教えるという使命が!」
「ああ……」
裕一郎は今思い至った、みたいな顔をしてタブレットをローテーブルに置いた。
「……昨日、トルティーヤとアボカドを買ってきたんだが」
「そうですか。ひき肉なら冷蔵庫にありますから、タコスでもなんでもひとりでつくればいいです」
「なるほど。今夜の俺はホワイトラムにライムジュースとミントを入れたモヒートをつくって、ひとりでタコスパーティってわけだ」
「…………」
「炒めたひき肉にチリパウダーをきかせて、焼いたトルティーヤに野菜とアボカドと肉を挟んで食う。ピリ辛くてこってりしたタコスに、さっぱりと甘いモヒートが合わさると……」
「……く! 卑怯ですよ裕一郎! 私をお酒で足止めしようだなんて!」
「別に俺にそんな意図などないが? 帰るなら帰ればいいだろう」
裕一郎はにやにやと口元を歪めていて、まるで悪戯を仕掛ける悪ガキみたいな顔をしていた。
「……………………今日は電車で帰ります」
……その悪ガキに屈した自分も、てんで子どもなのかもしれない。
裕一郎は宣言通り、自分でタコスをつくった。キッチンからつながったカウンターには、チリパウダーで赤くなったひき肉のほかに、ほぐされたローストチキンも皿に盛られていた。ふたりではきっと余ってしまうに違いない。
「星野とあおちゃんに持って行け。ふたりには、まあ世話になったからな」
「……そうですね」
裕一郎は星野家へのお土産にするつもりでこんなにたくさんつくったのか。どうやら、今日は本当に家に帰してくれるらしい。
それなら、電車で帰るのだし、お酒も飲んで大丈夫だろう。
「裕一郎、お酒は私がつくってあげますよ」
そう言って、キッチンの奥に設置されたパントリーに入って、ホワイトラムと、冷蔵庫から炭酸水とライムジュース、ミントを取り出す。
グラスにクラッシュアイスと生のミント、ライムジュースを入れて、ミントをマドラーで潰す。それから炭酸水とホワイトラムを入れて、よくかき混ぜて完成だ。
裕一郎はミントや切ったライムを飾るけれど、奈々はそんな面倒なことはしない。ひとに渡すものは別だが、自分たちで楽しむものに装飾したところで意味などない。
アルコールと食事は、度数とおいしさと手軽さが全てだ。
裕一郎の分もつくって、食卓に並べる。
焼いたトルティーヤ、切ったアボカド、レタス、手作りのサルサソース、ひき肉、ローストチキンがそれぞれ並んだ。自分でつくって食べるスタイルである。
「じゃあ、乾杯」
「乾杯」
一応、礼儀と思ってグラスを掲げてひとくちモヒートを含む。ミントとライムのさわやかな香りと炭酸の爽快さが舌の上で弾ける。すぐ後にホワイトラムのわずかな苦味と甘みが広がって、ごくごくと喉を鳴らして飲み込んだ。
「はぁ、おいし……」
しっかり冷えたモヒートはキンキンに冷えたビールに並ぶ爽快感だ。
だが、向かいの裕一郎はむせて盛大に咳き込んでいる。
「おまっ……これどれくらいラム入れた⁈」
「んー、ちょっとですよ? このくらい」
「グラスの三分の一じゃねえか! レシピじゃ50mlなんだよ!」
「知らないんですか? アルコールはたくさん入れた方がおいしいんですよ?」
「隠し味みたいに言うな! アル中の発言だろ!」
裕一郎は文句を言いながら、それでもそのグラスをあおった。別に裕一郎だって酒が弱いわけじゃない。むしろ好きな部類だろう。
裕一郎が自分の酒に付き合ってくれることを、奈々はちゃんと知っている。
裕一郎は、いささか酒の進みは遅く、それでもタコスを食べながら杯を空にした。二杯目も奈々につくらせたので、アルコールはたくさん入れた方がおいしい、という奈々の持論に納得したに違いない。
二時間ほど酒を呑みながら食事をすると、裕一郎の意識が朦朧としはじめた。奈々がつくったモヒートを4、5杯ほど飲み干した後、テーブルの上に突っ伏しそうになる。
「寝るなら部屋に行ってください。こんな時期でも、クーラーに当たり過ぎると風邪ひきますよ?」
「……つれてけ……」
夢うつつなのか、かすれた声でそう言うので、仕方なく気合いを入れる。裕一郎は背も高いし筋肉もあるので、奈々ひとりだとかなりの重労働なのである。
文字通り両手をつかんで引きずって裕一郎の部屋に入り、なんとかベッドに乗せる。
「……おまえのせいなんだからな……」
「ええ? いい歳した中年男がなに女子大生みたいなこと言ってるんですか。自分の酒量を見極められないほど子どもじゃないでしょう?」
そう言ったら、ベッドの上でちっと舌打ちするのが聞こえた。
「……かえるのか?」
裕一郎が、じっとこちらを見つめてくる。目元がわずかに赤くなっていて、瞳は妙に潤んでいた。酔っているのは本当なのだろう。
「…………」
「……どうしても? あすでいいんじゃないか? もうあおちゃんはねてるじかんだろ」
「………………」
裕一郎の言うことは、正論だった。
裕一郎のタコスがおいしくて、お酒が楽しくて、すっかり夜も更けてしまった。これから星野家を訪問すればかえって迷惑になるだろう。
「……とまっていけ。それで、あしたふたりでいこう」
「………………」
──完敗だ。
だって奈々には、それでなんの文句もないのだから。
「……絶対絶対、約束ですからね」
「ああ」
裕一郎は、いつもよりは素直な笑みを浮かべて、奈々を手招きした。それに吸い寄せられるように裕一郎の腕に納まる。全身がいつも吸っている煙草と、モヒートの甘いミントの匂いに包まれた。
「……もしかして、狙ってました?」
「さぁな」
くぐもった笑い声に、なんだかムカついてあごを額で頭突きしてやった。
モヒートのカクテル言葉「渇きを癒して」




