22 星野さんの夏のお味噌汁
目が自然とぱっちり開いた。
まだ暗い天井が見えて、うんと両腕を伸ばす。お布団の中でぐーっとのびをしてから、ベッドの上で体を起こした。
あおちゃんは、今日もすっきりお目覚めです!
すぐにリビングへ行くと、キッチンには星野さんがいた。
「星野さん、おはようございます!」
「おはよう」
星野さんはちらりとあおちゃんを見て、ぶっきらぼうなごあいさつをしてくれた。星野さんはなにかお料理をしていたみたいですぐに視線をもとに戻したけれど、でも、いつも必ずあおちゃんを見てお話ししてくれる。
あおちゃんの星野さん大好きポイントのひとつです!
星野さんの手元にはお鍋があって、そこからお味噌のいいにおいがお部屋に漂っていた。
「星野さん、帰ってきたばっかりですか?」
「ああ。飯食ったら寝る」
星野さんは夜のお勤めから帰って来ると、だいたい味噌汁をつくってくれる。なんでも、唯一自分でつくれる料理だから、らしい。
これは、あおちゃんに手料理を食べさせたい、という星野さんの愛以外のなにものでもないでしょう!
「じゃあ今日の朝ごはんは和食ですね。あおちゃんが星野さんのごはんよそってあげます」
「いらん。さっさと顔洗って着替えてこい」
そうだった。
慌てて洗面所に行って顔を洗う。そのまま自分の部屋でお着替えして、リビングに戻るともう星野さんがご飯の準備を整えてしまっていた。
「ああー」
「こっちは腹減ってんだよ。いいから座れ」
ソファの前で正座して、ガラステーブルに並べられた料理を眺める。
ご飯とお味噌汁、鮭の缶詰、コンビニの卵焼き、いつかスーパーで買ったひじきの煮物が、ちゃんとそれぞれのお皿に分けられて並んでいる。あおちゃん用の小皿には星野さんのお口で二口分くらいがのせられていて、あんまり食べられないあおちゃんへの配慮がされていた。
「いただきます!」
「いただきます」
ふたりで手を合わせて、朝ごはんをいただく。あおちゃんはあんまりたくさん食べられないので、ご飯よりおかずをいっぱい食べなさいと言われていた。
でもあおちゃんは白いご飯、好きなんですよねえ。缶詰の鮭にお醤油とおかか入れて食べるのとか最高です。
「……奈々ちゃんと連絡取ってるか?」
あおちゃんの3倍くらい盛られたごはんを飲むみたいに食べてる星野さんが、小さく訊ねてきた。
「はい。でも、ここに帰って来てる感じはないんですよねえ」
奈々ちゃんは上の階に住んでるお姉さんだ。あおちゃんと仲良くなって、お料理を教えてくれたり、星野さんが夜勤の日にあおちゃんといてくれたりする。最近、裕一郎くんというお兄さんのお家に行ったきり、帰って来ない。
「もうあおちゃんは6年生ですから、ひとりでお留守番できますよ? 昨日も大丈夫でした!」
昨日は久々に夜勤の星野さんを見送って、ひとりで一晩過ごした。星野さんが買ってくれたスマートフォンで、美恵ちゃんやりえちゃんとメッセージのやり取りをしていたので、全然さみしくなかった。
それでも星野さんは難しい顔をしている。おしごと的にも、夜中にあおちゃんみたいな子どもがひとりでいるのは良くないと考えているみたいだ。
「……まあ、奈々ちゃんが裕一郎くんとうまくいってるってことか……。俺たちは俺たちでなんとかするしかねえな」
「そうですとも! あおちゃん、もうお姉さんですから、ひとりで大丈夫です! 寝るだけですし」
「池澤の家に預けるなり、なにか考える」
「……それはそれで楽しそうなんですけどぉ……」
星野さんのなかであおちゃんはお姉さん枠には入らないらしい。残念だ。
おしゃべりしていたら、いつの間にか星野さんはご飯を食べ終わっていた。お茶碗山盛りのご飯だったのに!
慌てて口を一生懸命動かしている間、星野さんは空になった食器を持って席を立った。きっとコーヒーでも淹れるのだろう。その間にあおちゃんも頑張って完食を目指します!
と、思っていたのに、星野さんが戻ってきても、あおちゃんはまだお皿を空にできていなかった。
「無理して食うなよ。お前、すぐ腹壊すからな」
「これくらいなら大丈夫です!」
星野さんは、いつもあおちゃんが食べ切れるか、ちょっと足りないくらいの量を盛り付けてくれる。足りなくておかわり、という経験は、お父さんとお母さんとおばあちゃんがいなくなってからは、星野さんのお家がはじめてだった。
星野さんはお味噌汁以外はつくれないし、お味噌汁も出汁入りのお味噌でお湯に入れるだけだ。おかずは基本コンビニとスーパーのお惣菜だけど、でも、星野さんとのご飯はおいしくて楽しい。
「今日のおみそ汁、トマト入ってるんですね。意外とおいしいです」
「なんか、ネットで見た」
でも星野さんは微妙な顔を浮かべてコーヒーをひと口すすった。星野さん的にトマトのお味噌汁はイマイチだったらしい。そんなに悪くはないと思うんですけれどねえ。
「……もう暑いな」
「はい。そろそろプールの授業はじまりますよ」
「……連絡プリントもらってないが?」
「あっ!」
学校かばんの中に突っ込んだままなのを思い出す。あおちゃんは「しっかりしてるね」と言われることが多いけれど、実はわりと忘れ物をする方だ。
「……飯食ってからでいい」
「……申し訳ありません……」
しばらくご飯に集中して、今朝も全部食べ切ることができた。ごちそうさまをしてから、部屋まで走ってプリントを探す。けれどプリントを挟んでいるファイルはぱんぱんになっていて、どれがどれだか全然わからない。
「ううーん……なんか、けっこう前にもらった気がします……」
「……っていうか、俺に渡してねえプリントそんなあんのか……」
声がして振り返ると、星野さんがお部屋に入ってあおちゃんと学校かばんを見下ろしていた。
「ああー! 勝手に入ったらダメなんですよ! レディーのお部屋なので!」
「そんな言い回しだれに教わった? 奈々ちゃんか?」
「りえちゃんです! 『家族でもプライベートは大事よ』って!」
「……間違っちゃいねぇが……とりあえず、そのプリントの束は全部よこせ」
「ああー!」
背の高い星野さんにファイルを取り上げられると、あおちゃんが取り返すのは難しい。でも諦めきれずにぴょんぴょんと飛び跳ねて、必死になって星野さんの手元へ腕を伸ばした。
「こら、飛び跳ねるな。下の階のひとに迷惑だろうが」
「返してくださいー! それ宿題とかテストも混じってますー!」
「提出する宿題だけ返してやる」
そう言いながらプリントを選別する星野さんは、にやにや笑いを浮かべている。きっと小テストの点数を見たのだ。星野さんはテストの点数を気にしたりしないけれど、あんまりひどい点はあおちゃんが恥ずかしい。
「おい! お前運動会のお知らせのプリントあるじゃねえか!」
「え? 渡してませんでしたっけ?」
「……お前、わざとじゃねぇだろうな?」
「違いますよ!」
去年、星野さんが忙しそうだなぁ、と思ってわざと運動会のお知らせを渡さなかった。当然、星野さんは運動会をやっていたことを知らないし、その日はお小遣いでお昼ごはんを食べた。りえちゃんと美恵ちゃんと一緒だったので、あおちゃん的には楽しく一日を終えたのだけれど、後日りえちゃんのお世話をしているアケチくんから星野さんへ連絡が入ったらしく、星野さんはすごーく怒った。
普段から顔が怖く見える星野さんだけれど、あんなに怖いと思ったのはあの時がはじめてだった。
「休めるかどうかはわからねえのは事実だがな、お前が日中どこで過ごすかは保護者としてちゃんと知ってねぇといけねぇんだよ」
「もー、わかってますよ……去年いっぱい叱られましたから!」
ほっぺをぷうと膨らませてにらんだけれど、星野さんの顔の方が怖かった。勝てる見込みは当然ゼロだ。
「……このプリントは全部吟味して後で返す」
「うう……あおちゃんの小テストだけでも……」
「さっさと学校行け」
「……はーい……」
確かに、もうそろそろ登校しないといけない時間だ。遅刻するのはテストの点が悪いことより星野さんのお怒りポイントが高い。
しょんぼりしながら玄関に向かうと、星野さんも玄関まで付いてきてくれた。
「……今日は非番だ」
「え、そうなんですか?」
ひばん、というのはお休みのことだ。もう星野さんと一緒にいて長くなるので、それくらいはあおちゃんにもわかる。
「夕飯、食いに行くか?」
「じゃあお寿司! お寿司のおうどんがいいです!」
「なんで寿司行ってうどん食うんだよ……まあ、いいか」
星野さんが少し笑った。きっと、怒っているわけではない、ということが言いたかったのだと思う。そういうの、口で言わない格好つけなところが星野さんにはある。ちょっとかわいい。
あおちゃんとしては、久々に星野さんとお食事に行けることに一気にテンションが上がった。両手で万歳してしまう。
「やったー! じゃあ今日はすぐに帰ってきますね!」
「いらん。ちゃんと遊んでこい」
「……へへへー! 星野さん、行ってきます!」
「ああ。行ってこい」
星野さんの声を受けて、玄関の扉を開く。外が見える通路からは青空が広がっていて、強くなった陽の光がちょっとまぶしい。
うーん、今日も良い一日になりそうです!
夏の献立編です。今回も一週間ほど、毎日19時ごろに更新します。
どうぞ最後までお付き合いください。




